殺す・集める・読む――推理小説特殊講義

 

殺す・集める・読む―推理小説特殊講義 (創元ライブラリ)

殺す・集める・読む―推理小説特殊講義 (創元ライブラリ)

 

 

 ホームズシリーズ読破の記念に。

 高山宏先生の著作となれば、これはもう私にとってはご馳走みたいなもので、博覧強記とそれに裏付けられた豊富な洞察に浸るだけでもう幸せなのだった。

 本書もドイル、チェスタトン、クイーン、クリスティ、乱歩に小栗虫太郎などなどのミステリ作品をわりとマイナーなタイトルまで押さえた上に、同時代の文学、風俗習慣や事件、さらに16世紀に急激に深まった暗号学の系譜とかケインズ経済学までも援用して、推理小説というこのヘンテコな文学形式の成立や展開を縦横に論じるという、とんでもない充実度の一冊なのでありました。

 あまりにも手広いので知らない作品や出来事への言及も多く、そのたびに「ああ、これも読んでおきたいな」などと焦燥感にかられるわけですが、正にその焦燥感こそが私の読書のモチベーションの一つなのであります。たまにこういう本を読むことで、私のそっち方面へのやる気がどんどん充填されていくわけだった。

 

 とりあえず本書に触発されて、この後にチェスタトン作品を読み始めたりするわけですけど。ブラウン神父のシリーズは知ってましたが、チェスタトンが逆説、つまりパラドックスの大家としてどんな小さな文学事典にも載っている名前だ、などと言われて、知らなかったので仰天したりするわけであります。うーむ。世の中知らない事がまだまだ多い。

 とりあえずそんなわけで、推理小説というこの特殊な作品形式をテーマにこんな多様で豊穣で深いアプローチができるという事にただただ瞠目した読書でありました。興味のある方には是非お勧めしたい。

ロボットに倫理を教える

 

ロボットに倫理を教える―モラル・マシーン―

ロボットに倫理を教える―モラル・マシーン―

 

 

 気になったので気まぐれに買ってみた一冊。

 たまに人工知能とかそっち関係の本が読みたくなるわけですが、まぁそうした話の一貫として。

 

 いろいろと興味深い内容でした。ロボット工学とかそっち方面の本である以上に、これ倫理学の本として面白かったという感じです。

 倫理の体系にもいろいろあるわけですが、本書のように「ロボット、あるいは人工知能に実装する」という具体的なテーマがある場合、実装すべき倫理の方も画餅であったり、抽象的な理想論であったりしてはいられないわけです。具体的にプログラミングできる内実とサイズに落とし込まないといけない。そういった観点から検討することで、むしろ倫理学の方が逆照射される仕組みになっているわけでした。

 

 また、固定された倫理条項をあらかじめプログラミングしてそれを守らせるだけでは不十分で、ロボット自身が自らの参加している場を観察し、常に流動する倫理のラインを察してそこに合わせていく必要もある、という議論になり、なかなか難しいハードルが課されることになっていきます。この辺も意外性があって、けっこう面白く読みました。カント的な定言命法だけでは不十分という話になるわけです。

 

 既に我々の生活のあちこちに人工知能は進出してきていますし(株式の取引なんかにも影響を与えていたり)、社会と関わる以上、人工知能に何かしらの配慮を実装する必要というのはどうしても出てくるわけで、問題意識も喫緊のもの。私の個人的な創作に活かせそうなインスピレーションもありましたし、なかなか面白い有意義な読書でありました。

シャーロック・ホームズの事件簿

 

 

 ホームズシリーズもこれにてラスト。今回は特にネタバレ注意。

 

 最後に来て、明確に初期の頃と読み味の違う話が散見されるようになってきた事に気付いて、いろいろと示唆的だなと思った事でした。とくに、「なんだその結末」といささか呆気にとられた「這う男」とか、ホームズがほとんど推理をする余地をもたない「覆面の下宿人」とか。

 思うに、探偵ホームズという存在にはいろいろな役割があって、そのうち特に後期作品で顕著になって来たのが、「外部からやってきた未知のものを鑑定する役目」だったのかなと思うわけです。

 この巻だと「ライオンのたてがみ」「白面の兵士」が分かりやすい。前者は、不可解な殺人事件に見えていたものが、実は嵐の影響で遠方からやってきていた自然の危険生物だったという話で。推理による事件の解明というよりは、外部からやってきた物が原因で起こった不可思議な現象の鑑定という方が近い、という感覚です。

 そもそもホームズの活躍した時代、作中でも頻繁に登場する電報や船舶による物流の向上で、イギリスと世界中がかつてないくらい結びついて、それに合わせて海外から未知のもの、不可思議なものが押し寄せてくる時代だったわけですよね。ホームズはそうしたものを正確に鑑定し、未知ゆえに得体が知れなくて恐怖と混乱を巻き起こしていた状況を鎮める役割を負っていたのだとも読めるように思います。これは『四つのサイン』でインド由来の特徴的な凶器を見極めたり、「オレンジの種五つ」でアメリカの秘密結社の存在を紹介して事態を正確に把握したり、「悪魔の足」で海外の特徴的な毒物を鑑定して事件を説明したり、というようにシリーズを通して行ってきたことなわけで。この巻の「ライオンのたてがみ」のクラゲ、「這う男」の猿、「白面の兵士」の伝染病なんかもその系譜だと見た方が分かりやすい。

 作品の発表年代に照らせばまるきり逆ですが、私の読書遍歴に引き寄せて分かりやすく説明するなら、京極夏彦の妖怪シリーズにおける憑き物落としに近い事をホームズもやっているわけですよな。

 そういう意味で、探偵小説というのが正にこの時代に本格的に火が付いた、ということの理由の一面が非常によく分かる作品なのだと思います。

 

 必ずしも推理小説として満足できる作品ばかりではありませんが、だからこそホームズシリーズの本質を読み取るにはかえって示唆が多い短編集だと思ったことでした。

 

 さて、せっかくなのでもうしばらくミステリの古典もいろいろ読んでみようかと思ったりもしていますが、まぁ他にも読みたい本候補は大量にあるので(多分全部読んでたら人生が5回くらい必要なくらいあるので)、まぁぼちぼちで。