機動戦士ガンダムAGE 第37話「ヴェイガンの世界」

     ▼あらすじ


 捕虜としてヴェイガンのコロニー、セカンドムーンに連行されたキオは、そこでイゼルカントと対面する。「地球の代表としてヴェイガンを知って欲しい」と言われ、市街に送り出されたキオは、ディーンとその妹ルウと出会う。特にルウと打ち解けるキオだったが、彼女がマーズ・レイにより余命がわずかである事を知って戸惑う。
 戸惑うキオに、イゼルカントは真意を語る。これまで地球種にしてきた攻撃にも、必ず生き延びるチャンスを与えていたのだ、と。
 一方、鹵獲されたAGE-3の分析を元に、ヴェイガンは独自のガンダムを完成させつつあったのだった。





      ▼見どころ




      ▽37話〜39話が下敷きにしているもの


 キオの目を通じて、今まで見えてこなかった「ヴェイガンの世界」を垣間見る事になる、この第37話からの3話は、『ガンダムAGE』全体から見ても重要なターニングポイントです。
 ここでメインになっているのは、ディーン、ルウというヴェイガンの子供とキオとの交流、それによってヴェイガンの人々が晒されている過酷な生活環境の活写です。
 この回はAGEとしては珍しく戦闘シーンが全くない(それどころか、MSが動いているシーンもほとんどない)のですが、しかしこれまで積み重ねられてきたヴェイガンのイメージが大きく変容するというドラマ的な魅力に支えられて、シナリオとしてはむしろ引き締まった内容になっています。


 一方で、キオとディーンたちとの交流をめぐるドラマ展開は、特に理屈や解説なしに、そのまま見て受け止めるのが一番良いと思える話なので、重要なシーンですが筆者はあまり言及しない事にしようと思います。
 代わりにここで解説するのは、周辺の道具立てや、シナリオ全体の組み立てに見られる構想部分です。
 まずは以上の点、ご了承ください。



 さて、そこでまず確認していきましょう。
 主人公が敵勢力に捕虜にされ、敵側の一般民の生活を垣間見る、あるいは共に生活するという展開は、これは



 『ガンダムUC』のオマージュです。
 そしてUCのこのコンセプトは、歴代のガンダム作品と照らしても非常に特異な要素だったと言えると思います。主人公が敵側と生活・行動を共にして、その内実を知り考えるというテーマは、過去のガンダムシリーズにはあまり見られない要素でした。一時的に敵地に潜入したり一時的に接触する事はあっても、そこで敵陣営の人々と共同生活を送る主人公というのは、部分的な例外を除けばほとんど存在しなかったように思います。
 特にUCについては、バナージ・リンクスパラオでの虜囚生活からいったん救出されても、その後さらにガランシェール隊と行動を共にしており、敵味方の陣営の枠を超えて事態を見つめていく事になります。複雑に陣営が絡み合う非宇宙世紀ガンダムでも、このような事は稀だったのではないかと思います。どちらかといえば、こうした傾向は『風の谷のナウシカ』(特にコミック版では、ナウシカは風の谷からトルメキア、土鬼などの勢力を渡り歩き、いずれとも行動を共にします)や『もののけ姫』(アシタカはタタラ場とも、モロたち森の神とも行動を共にする)などの宮崎駿作品に特徴的なシナリオ作りです。
 これまでに指摘してきた事も加えて考えれば、『ガンダムUC』がいかに過去のガンダム作品とは違った文脈が盛られていたのか、改めてお分かりかと思います。
 しかしAGEは、こうしたゼロ年代ガンダムとしてのUCの問題意識も、キオが捕虜になるという展開によって取り入れているのです。


 さらに。AGEで描かれるヴェイガン最大のコロニー、セカンドムーンの市街地の様子ですが、これは



 明らかに中東あたりをイメージした街並みになっています。
 また、キオがイゼルカントの屋敷で食事をするシーンがありますが、



 右下に写っているこれは、インドのナンか、それに類する食べ物でしょう。欧米のパン類とは違うようです。
 ことのついでに言えば、



 セカンドムーンにあるイゼルカントの宮殿ですが、これは



 『逆襲のシャア』で隕石を落とされた、チベットのラサに、微妙に似ています。
 このラサの建物は逆シャア作中では連邦政府の本部ですが、現実にも存在するチベット政府の宮殿です →参照・ポタラ宮(Wikipedia)
 つまり、全体的に中東から中央アジアのイメージでセカンドムーン市街が描かれているという事になります。
 これも、面白い特徴です。ガンダムにおいて、戦争の原因としての貧困が描かれる事は何度かありましたが、



 スウィートウォーターのこうした情景を見ても分かるように、欧米のスラム街的な表現をされていました。



 左上にバスケットボールのコートが描かれている事に注目。これなど、あからさまにアメリカのスラム街のイメージです。
 AGEの表現は、こうしたガンダム作品の標準的なイメージから見ると、いささか異質です。


 そもそも、宇宙世紀の世界観というのは、いわゆる西欧近代の延長上にある近未来として組み立てられていました。たしかにハヤト・コバヤシや、あるいはZガンダムのウォン・リーのような東洋的なキャラクターも登場していましたが、彼らとて基本的には洋服、スーツなどを身に着け、西洋文化を享受していた事には変わりありません(前回使用したスクリーンショットでも、ウォン・リーは自動販売機からジュースを買っていました。またエゥーゴの会合場所はハンバーガーショップです)。
 ガンダムにおいて、中東やアジアのイメージが登場する事は非常にマレです。あったとしても、Gガンダムのように極端にデフォルメされているか、あるいは上記宇宙世紀のアジア人たちのように、あくまで「さまざまな民族が混在する移民国家」のようなイメージ(人種のサラダボウル)の一部でした。
 一部例外として、「ニュータイプ」のイメージ形成に強い影響を与えたララァ・スンのインド風のイメージがあります。あるいは(これは私のツイッターの発言に対して指摘した方がいたのですが)『ガンダムZZ』のタイガーバウムや、アフリカに舞台を移してからの青の部隊なども例外に含まれるとは言えます。
(ただし、タイガーバウムについては、これは「西洋近代の視線から辺境の奇異な習慣を一方的に観察する」という、ポストコロニアリズムが批判したような視点から描かれていると言えます。同じZZに、ムーン・ムーンという、MSをご神体として崇めてしまうような「未開民族」のいるコロニーを登場させている事からも類推できるでしょう。そこで描かれている「アジアっぽい文化」は、作中の一般的な宇宙世紀文化を相対化するような力を持つものとは描かれていません
 また、青の部隊などのアフリカ編に登場するジオン残党たちの描写にしても、そこではイスラム的な宗教色を持たないように配慮されています。基本的に宇宙世紀という世界観は、宗教的な素地がリセットされたフラットな西欧近代世界であって、『Vガンダム』のように新たな新興宗教でも登場させなければ、宗教対立など起こらないかのように描かれているのでした)


 ところが、冷戦構造の崩壊、さらに21世紀に入って9.11を挟んで後は、こうした世界観は大きく変化せざるを得なくなったと言えるでしょう。
 イラク戦争以降の中東情勢、あるいは世界第二位の経済大国となった中国と、その軍事費の増加、海上でのトラブル。北朝鮮問題もありますし、東南アジアでもキナ臭いトラブルは少なくありません。
 おそらく、「21世紀の戦争をイメージしてください」と言われた時、そこに中東やアジアが入らない想像が出来る人はほとんどいないでしょう。
 軍事的な問題をおいても、中東はもちろん、中国をはじめアジアの各国は(インドも含めて)経済的に存在感を増し続けており、もはや西欧文化圏だけを思い浮かべて「世界」とする事は不可能です。
 しかし、宇宙世紀ガンダムは、こうした異なる文明・価値観の対立を描きにくい設定になってしまっているという問題があります


 おそらくこうした不如意に突き当たったためかと思われますが、小説版『ガンダムUC』では、シャンブロを操って地球連邦の首都ダカールを襲撃する者たちを露骨にムスリムとして描き、しかもその本文中に「貿易センタービル」の破壊を明言するといった、歴代宇宙世紀ガンダムとしては異例の、現実の世界情勢を持ち込んだ描写をして見せました。しかしこれも、結局は過去のガンダムシリーズに対して浮いてしまうと思われたのでしょう、アニメ版では大幅に改編され、ロニ・ガーベイたちは「ただのジオン」として描かれたのでした。


 ……そして、このようなガンダムの世界観の硬直に、強烈な改変を迫ったのが『ガンダム00』という作品でした。主人公を中東出身の少年とし、中東紛争を大きくクローズアップ、また中国・ロシア圏の近未来の姿として人革連という組織を登場させたこの作品は、今まであえて「既存の国家名が解消された世界」で展開されていたガンダムシリーズを、現実の地政学的状況の延長線上に引きおろしてまで、新しい風を吹き込ませようとしたのでした。
 00のファーストシーズンは、こうした設定や物語展開などに意欲的な試みを多数仕掛け、ガンダムの問題意識をアップデートしようとした側面が多々ありました。成功したかどうかについては、微妙な部分もありますが……。


 ともあれ、AGEにおいてヴェイガンが、こうした中東・アジア的な描写をされている事が重要であるという点はお分かりいただけたかと思います。ガンダム00的な問題意識が、ここで取り入れられているのです。



 しかし、この第37話で取り入れられている問題意識は、これだけではありません。もう一つ、看過できないファクターがあります。何かと言うと



 これです。
 キオ・アスノは、かつて亡くなったイゼルカントの息子にそっくりだ、というのです。
 とはいえ無論、アスノ家とイゼルカントの間に血縁関係があったりするわけではありません。単なる、他人の空似だったという事でしょう。
 この二人がたまたま空似していた、というのはいかにもご都合主義なようですが……しかし正に、他人の空似を重要な契機に事態の打開が図られた、そんなガンダム作品がありましたよね?



 ディアナ・ソレルとキエル・ハイム。そう、『∀ガンダム』です。
 イゼルカントの息子とキオが似ている事、そしてキオがイゼルカントの息子の服を着てヴェイガンの人間として行動すること。これらは∀の重要テーマのオマージュと見る事も出来るのです。


 第34話の解説で述べたようにニュータイプという概念が優生思想・選民思想化してしまうという問題から、『クロスボーンガンダム』を経て脱却した富野由悠季監督は、『∀ガンダム』においてNTのような超越的な能力の介在しない形で、戦いを終わらせる新しい方法論を世に問う事になりました。それが、このディアナとキエルの入れ替わり――互いが立場を交換する事で相互理解を図る事ができるのではないか、というプロットなのでした。
 キオが「イゼルカントの息子」という立ち場に事実上なり替わる事で、ヴェイガンの内情を理解し、その相互理解が戦争状況を打開するための突破口になっていく――ここでAGEは明確に、『∀ガンダム』のテーマをも引き継いだ事になる。


 キオの火星での生活や行動を、そうした意味を透かして見てみるというのも、AGEという作品のテーマや問題意識の全貌を考える上では非常に面白い。



 まとめましょう。
 第37話からの一連の、火星を舞台にした展開は、『ガンダムUC』『ガンダム00』『∀ガンダム』という、近年のガンダム作品が新たにシリーズに持ち込んだテーマ、問題意識、方法論を複合的にシリーズに取り込んでいく、そんなシナリオになっているという事です。
 そして、上記モチーフが複合された火星でのエピソードが、キオ・アスノのこの戦争に対する姿勢を決定する事になっていくのでした。
 私が、キオ・アスノをもって「ゼロ年代ガンダム」を代表させるような論じ方をしているのも、こうしたキオ編のプロットを総合的に判断しての事です。
 三世代編において、私も上記の事を前提に話を進める事になりますので、ご留意願います。


 さて、あとは細かい所を。



      ▽ヴェイガンの社会


 この回でようやく描かれるヴェイガンの国内の様子、なのですが。
 出された食事の貧しさ、マーズ・レイの猛威などが強調されていることも無論重要なのですが、よくよく見てみるとそれ以外にも気になる点が描かれています。
 ディーンとルウの暮らしを見てみると、この兄妹は二人で暮らしている様子で、特に両親の存在を思わせる物が画面内に見られません。
 そうして振り返ってみれば、ゼハートとイゼルカントも血縁関係はありませんし、唯一親子関係が明示されるイゼルカントとその息子も、子供の死別という形で関係を断たれてしまっているのでした。


 地球側は、世代を重ねる人々として描かれてきました。アスノ家の三世代が正にそうですし、他にもムクレド・マッドーナとロディ・マッドーナ、ディケ・ガンヘイルとアリーサ・ガンヘイルとウッドピット・ガンベイルなどなど、主要人物たちが親子として、世代を重ねてきた存在として登場します。
 ヴェイガンは対照的に、世代を重ねている痕跡が徹底的に見えない描かれ方をしているわけで、この対照関係はAGEの主要テーマにダイレクトに関わるだろうと思われます。
 世代を重ねられないヴェイガンは、アセム編からキオ編の間のゼハートがそうであったように、コールドスリープによって個人が長期間を生きる形を取っているようです。イゼルカントもこのようにして、フリット編以前の頃からずっと国や体制を維持しているわけです。
(なお、このようにコールドスリープによって長期的に体制を維持していたという点は『∀ガンダム』のディアナ・ソレルと共通です


 短命なかわりに子孫を残せるか、子孫を残せないかわりに個人が長生になるか。これは日本神話などでも現れる普遍的な構図なのですが。
 いずれにせよ、ヴェイガンのこうした描かれ方には、よくよく注意していく必要がありそうです。この記事の読者の方も、今後の読解のために是非この点は念頭においていただきたく思います。


 あともう一つ。



      ▽細かいところ


 キオのヴェイガン体験の裏側で、AGE-3の解析がヴェイガン技術者の手で進められています。そして同時に、ヴェイガン側がつかんでいるEXA-DBの情報が、セリフから垣間見える脚本にもなっています。



 EXA-DBのすべてが手に入れば戦争が終わる、と聞かされ大笑するザナルド。
 ここで一つ私が指摘しておきたい事は、第35話で解説したことの補足です。
 ヴェイガンの技術者は、このように述べています。



「その時代は、モビルスーツ1つを取ってもみても、今とは比べ物にならなかったと聞いています。パイロット一人が、数百機のユニットをコントロールできたと」


 ちらっと出て来たこの話、一体何を指しているのでしょうか?
 もちろん、銀の杯条約以前のAGE世界にそのような兵器があった、というのが「作中レベルでの」答えです。しかしここまで私が展開してきた、歴代ガンダムシリーズに照らしながら解釈していく視点で見たら、どうでしょうか。過去のガンダム作品に、「パイロット一人が、数百機のユニットをコントロール」するような技術が存在したかどうか、考えてみると……



 これ、ガンダムX』のビットモビルスーツを暗に示唆してるんじゃないでしょうか
 あるいは、ビットモビルスーツはそこまで大量の機体を操る技術ではないと言うならば、『ガンダムW』に登場した、モビルドールをゼロシステムの応用でコントロールする



 こちらのイメージもあったかも知れません。


 いずれにせよ、ここでちらりと挙げられている「EXA-DBに収められた技術」は過去のガンダムシリーズに登場したテクノロジーを想起させるものです。
 35話の解説で、私がEXA-DBを「∀ガンダム黒歴史のオマージュ」と推定した理由の一端がこれです。明言はされていませんし、また『∀』作中のように過去ガンダム作品の映像を直接使用してもいませんが、しかし「ここで黒歴史を思い出してね」という情報は確実に織り込まれているものと見ます。


 以上は私の前々回解説の補足というか補強ですが、少なくともAGEが行き当たりばったりなオマージュをしているわけでもない事を、ここでも確認できるように思います。



 というわけで、今回はこんなところで。
 本当は2013年のうちにキオ編解説まで終了できる予定だったのですが、少しずれこんでしまいました。まぁ、引き続きマイペースで続けていきたいと思います。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次