機動戦士ガンダムAGE 第39話「新世界の扉」

     ▼あらすじ


 セカンドムーンから脱出したキオたちの前に、ヴェイガンが開発した新しい機体「ガンダムレギルス」が現れ、キオたちを圧倒する。アセムはじめ海賊軍も奮戦するが、ヴェイガンの兵力の前にピンチに陥ってしまう。
 イゼルカントは、戦いながらもキオにプロジェクト・エデンの真意を語り始めていた。極限状況を作り出す事で争いをやめられる賢い人類だけを残すという計画に、キオは戸惑い反論の声をあげる。が、レギルスとイゼルカントの圧倒的な戦力の前に追い詰められてしまう。
 辛くも、海賊軍の奸計によって脱出する事ができたキオは、「わからないよ……」と呟くのだった。




      ▼見どころ


 37話、38話と、ほぼ戦闘シーンの無い回が続いたわけですが。今回はその反動であるかのように、全編にわたって戦闘ばかりです。
 そしてテーマ的には、イゼルカントの真意がついに開陳された回でもあります。本記事としては、39回解説のメインはそこに据えざるを得ないのですが……とはいえまずは、前回思わせぶりに書いたことの補足から。



      ▽キオの優しさの反動のこと


 前回の記事にて、あからさまにこの39回の展開を念頭においた記述をいくつかしました。つまり、キオの「優しさ」はそれ自体が、キオが恵まれた環境で育ったことの表現にもなってしまい、それが「持たざる者」ヴェイガンの人々との断絶になってしまう、という事です。
 今回、キオとイゼルカントの間にまず交わされるのは、そうした行き違いでありました。



「ならばわたしと戦え。わたしを倒さねば地球へは帰れんぞ」
「それもできません! 僕には、あなたと戦うことなんて、できない」
「そのような……」



「そのような甘い考えで生きていけるとでも思っているのか!?」


 無論ここでは、キオが「地球にも自分を待ってくれている人がいる」という自身の都合でイゼルカントの元から去ろうとしている事への、苛立ちがセリフに反映されています。しかし同時に、キオが(ある意味でイゼルカントの目論見通り)「ヴェイガンも悪い人ばっかりじゃない」事を知ったからこそ戦えないと言っているのを、「甘い考え」と一言で切って捨てています。
 そして皮肉にも、こうしたキオへの苛立ちが、(フリットに続き)普段冷静なイゼルカントの感情的な反応を引き出し、結果的に「プロジェクト・エデン」の真意を語らせる事にもなったのでした。言ってみれば、イゼルカントがプロジェクト・エデンの真の意味を口にしたのは、キオの甘さを教え諭すような意味合いで出たようにも見受けられます。
 これもキオ・アスノの奇妙な魅力のひとつと言えるかも知れません。ここまでの展開でも、またこの後も、フリット・アスノアセム・アスノ、そしてイゼルカントの三者が、あたかもキオの保護者になりたがり、その座を巡って口論したり争ったりしているような側面が垣間見られるからです。
 ちょうど、『ガンダムUC』のバナージが似た状況にありました。カーディアス・ビストスベロア・ジンネマン、ダグザ・マックールなどがそれぞれにやたらとバナージに道を説諭したがる、という脚本になっています。SEEDや00で、主人公が(一部兄貴分的な人物がいるにせよ)保護者的人物の助言ではなく、基本的に同年代同士の関係性から道を探ろうとする話になっていたのと、対照的です。要するに作り手および受け手の年代がかなり反映される部分という事なのですが。
 AGEの場合、保護者的にキオを導きたがる大人たちが現れるという意味ではUC的な脚本を取り入れています。前話やこの回のキオのセリフを見ても分かるように、この少年は敵味方という分別も越えてイゼルカントの問いを真っ直ぐ受け止め、望む通りにヴェイガンの実情を目に焼き付けた――そのように物事を受け止められるとても素直な少年です。無理もないのですが……しかしその割に、キオは教え導かれた事をそのまま無批判に鵜呑みにしたりもしません。この回でも、イゼルカントの思想に対してはっきりと異論の声をあげています。



「ほかに方法はあるはずなんだ!」
「でも!」


 キオというキャラクターの特異性が、こうした所に見られます。彼は目の前で起きた出来事は素直に受け入れる。しかし出来事をうけてどう考えるかは、安易に人の意見を鵜呑みにしない。従って、ゼハートにも話した事のなかったプロジェクト・エデンの真相を語って聞かせたにも関わらず、キオは疑問でこれに応えるのです。そりゃあ



 こんな表情にもなろうというもの。


 ですから、キオという人物の特性がイゼルカントの本音を引き出したわけで、物語の進捗に大きな貢献をしてはいます。しかし、ヴェイガンの人々との距離が縮まったわけではないという事にもなってしまっています。
 その最大の象徴が、この回の最後に示された、



 軍に志願するディーン、なのでした。
 ルウに笑顔をもたらし、ディーンたちと関係性を構築できたはずのキオは、しかし結果的に、ディーンにこのような決断をさせる事になってしまうのでした。
 以上の事を確認した上で、今度はイゼルカントが語った内容を見ていきたいと思います。



      ▽プロジェクト・エデンとイゼルカント


 それでは、イゼルカントの語るプロジェクト・エデンの真意を、まずはセリフで追ってみましょう。



「わたしがこの戦争を起したのは、ヴェイガンの民を地球へ移住させるためではない」


 から始まり、



「人は誕生したその時から戦いに明け暮れていた。限られた資源と限られた大地、それらを奪い合うために繰り返されてきた血塗られた歴史だ。このままではいずれ人類は滅びる
「だからこそわたしは、決して争い事をしない賢き者たちを集めた新たな人類の創造に着手したのだ
「極限状況下における人間の対応が、脳や身体の能力、DNA配列などの違いによってどのように左右されるのかを調べ上げ、その上でより優れた人類種を選び出す……ノーラやエンジェルといったコロニーを襲ったのも、極限状況をつくり出すためだ」
「ヴェイガンのコロニーでも事故に見せかけて同じことをやった」
「言ったはずだ。新たな人類の歴史を担う、優れた種を選び出すためだと」
「戦争のない世界、穏やかで平和な理想の楽園……ヴェイガンも連邦もない、優れた種のみが生きる理想の楽園をわたしはつくり出す!」



 と、矢継ぎ早にキオに告げるのでした。


 この部分、特に「戦争をやめないと人類が滅ぶ」という断言はいささか唐突で、視聴者の中には飛躍と聞こえた人もいるのではないかと思います。
 一応補足しておくと、ここで念頭に置かれているのは恐らく、『∀ガンダム』の黒歴史なのでした。たび重なる戦乱により地球を一度放棄せねばならなかった、それほどの人間の「闘争本能」が『∀』後半の主なテーマでありました。『AGE』劇中であれば、銀の杯条約を人類に結ばせたほどの過去の大戦争、という事になります。
 とはいえ、AGE劇中ではそうした過去の戦争の様子、その凄惨さについては極めて描写が少なく、視聴者の印象にも残っていなかったことと思います。結果としてイゼルカントの論法は、やはり唐突に受け止められますし、めちゃくちゃにビームサーベルをAGE-3に叩きつける描写とも相まって、イゼルカントの狂乱ぶりばかりを印象付ける事になっています。


 そうした印象のせいでしょうか。小説版『AGE』第4巻では、セカンドムーン脱出のこのシーンで、イゼルカントの思想を地の文で「社会ダーウィニズム」と厳しく否定的に指摘していました。社会ダーウィニズムというのは、進化論を人間に適応して、人間の間でも、また国家においても適者が生存する=勝ち残ってきた者が優れていて、敗れた者は劣っていると見る結果、最終的には「優れた国・人種だけを残せばよい」といった思想にまで流れて行った、19〜20世紀の思想の一潮流の事です。結果として、歪んだ解釈の果てにナチス・ドイツユダヤ人迫害にまで結びついた事で有名でした。


 ここで、イゼルカントの思想を「社会ダーウィニズム」と評するのは、正しい。
 とはいえ、この一言でイゼルカントという人物だけを切って捨ててしまうわけにいかない事は、ここまで当解説記事を読んでいただいていた方にはお分かりかと思います。そう、



「私は、宇宙に出た人類の革新を信じている。しかし、人類全体をニュータイプにする為には、誰かが人類の業を背負わなければならない」
 “劣った”オールドタイプをなくして人類すべてを“優れた”ニュータイプにしなければならないとして、



「ここに至って私は、人類が今後、絶対に戦争を繰り返さないようにすべきだと確信したのである! それがアクシズを地球に落とす作戦の真の目的である! これによって地球圏の戦争の源である、地球に居続ける人々を粛清する!」
 このように演説したシャアと、イゼルカントの思想とは、実は極めて近い。
 イゼルカントがここで述べた考えは、いわば歴代ガンダムシリーズが連綿と描いてきた問題系なのであり、小説版のようにただイゼルカント個人の妄想として片づけてしまえる話ではないのでした。第21話の解説で私が縷々説いた通りの、問題です。


 しかし、これ、おかしくないでしょうか?
 アセム編を通して書いた通り、戦闘面において「Xラウンダーが優れていて、そうでない者は劣っている」という優劣関係を、アセム・アスノはスーパーパイロットになる事で覆しました。
 ガンダムの歴史で見ても、第34話の解説で書いた通り、ニュータイプとオールドタイプという社会ダーウィニズム問題は、逆シャアガンダムXクロスボーンガンダムという流れの中で解消されたはずです。
 ところが、キオ編になって、イゼルカントの口から、再度この問題が提示された事になります。


 ここで、かつてアセム編での、このセリフが効いてきます。



「イゼルカント様は言われた。Xラウンダーは人類の進化ではなく、むしろ退化である。人は再び、理性を持たぬ野獣へ帰っているのだ、と」
 宇宙世紀ガンダムにおいては、遠隔攻撃端末を操る事ができる能力と、「人類の革新」という意味付けとはセットで、これをニュータイプと呼んでいました。しかし、フリット編の頃から慎重に描かれてきたようにガンダムAGEにおけるXラウンダーは、戦闘能力としては秀でていますが、それが「人類の革新」というような意味を持たされてはいません。何故かと言えば、この「優れた人類」を指す別な枠が、イゼルカントの思想として、キオ編以降になって登場しなければならなかったからです。
 つまり、キオ編で改めてこの問題を持ち出す、というプロットがフリット編の頃から、極めて周到に準備されていた、という事になります。


 では、改めて問いましょう。なぜ? と。
 ガンダムの歴史上では90年代までで一度清算がつけられたはずの、ニュータイプとオールドタイプという「社会ダーウィニズム」問題が、なぜキオ編になって描かれなければならないのでしょうか?


 答えは簡単です。ゼロ年代以降のガンダムによって、この「進化した人類」というヴィジョンが再び現れたからです。
 ひとつは、『ガンダムUC』のニュータイプ描写において。
 そしてもう一つは、もちろん、



ガンダム00』のイノベイターとして、です。



 つまり。キオ編において再び「社会ダーウィニズム」を劇中に登場させる事で、ガンダムAGEは直近のテレビシリーズである『機動戦士ガンダム00』の総括にも、着手した事になります。
 否、むしろ、この後三世代編においてキオを巡って展開されるのは、SEEDや00というゼロ年代に放映されたガンダムの問題系の整理と、総括なのでした。
 初代ガンダムは『Zガンダム』によって、逆シャアまでのガンダムは『Gガンダム』によって、90年代ガンダムは『∀』によって、それぞれ批評的なアンチテーゼを導入することで過去を検証するという意欲的な試みが歴代作品においてなされてきました。が、直近のガンダム作品、SEEDや00の問題提起やテーマを批判的に受け止めて総括していくというのは、放映から間もない事もあり難しい。
ガンダムAGE』は、この点を引き受けていきます。
 各年代をアスノ家の三世代に象徴させ、ガンダム全シリーズのテーマやモチーフを貪欲に取り入れ続ける事を企図してきたAGEにとって、「ゼロ年代ガンダム作品の総括と問題点の提起」というのは避けては通れません。
 私見では、AGEはこれについてもかなり高いレベルでやり遂げているように思えます。いよいよ次回から始まる三世代編において、私なりに解説していくつもりでいますが……今はともかく、ゼロ年代ガンダムのテーマ批評をキオ編以降で成立させるために、Xラウンダーといった設定、それを巡る脚本が周到に計算されていた事を確認しておいてください。
 そう。ニュータイプについて考えるなら避けて通れないはずの、「テレパシーによる意思疎通」の是非に、アセム編まででまったく触れていないのも同様の意図があったからです。


 さて。何度も書いているように、この解説記事の一番の眼目は、ガンダムAGEという作品の「歴代ガンダムの総括と批評」という意欲的なプロットを明らかにする事にあるので、どうしてもこの辺りの強調がくどくなってしまいますが。
 それはそれとして、最後にメカまわりの要素を少し眺めて、この回の解説を終える事にしましょう。



      ▽レギルスとAGE-3



 前回から今回にかけて、色々な意味で印象深い登場を果たしたガンダムレギルス。そのデザインを軽く眺めてみます。



 まず何より、ヴェイガンMSに特徴的な頭部のメインカメラ。これがガンダムの顔部分にコラージュのように合わさる事で、その存在の異様さを際立たせています。またAGEのガンダムは青系統の色彩でデザインされていますが、レギルスは初代ガンダム以来の伝統的なトリコロールカラーをとっている事で、ヴェイガンデザインとの融合がより異様に感じられるよう意識されているように思います。
 他にもヴェイガン製ならではの特徴は多々あります。たとえば尻尾のようなユニットが独立で稼働したり。それからこれは解析元のAGE-3もそうなのですが、ビームサーベルが手首に固定式なのもヴェイガンMSの特徴を引き継いでいます。
 一方で、ビームライフルが手持ちなのは、今までのヴェイガンMSには無い特徴ですね。
(2/19追記:手持ちのビームライフルについては、ゼイドラなどに前例がある事をコメント欄で教えて頂きました。お詫びして訂正いたします)
 あと、ギラーガにも装備されていた遠隔攻撃・Xトランスミッターも搭載されています。これを操る事で、イゼルカントもXラウンダーだと示してもいます。


 さて。では過去ガンダムのオマージュという視点で言いますと、



 レギルスのこの顔の造形、一番近いのは



 ガンダムGP02でしょう。特にエラがはっているところ、あごのラインなど。
 これは無論の事、敵側のガンダムというモチーフとして最も印象深い例であるからでしょう。それまで、ガンダムと戦うのは主にモノアイの、違うデザイン系統のMSであったのですが、『0083』のGP02によって「ガンダム同士が戦う」という展開に先鞭をつけ、特に平成以降のガンダムにおいては定番中の定番なシチュエーションとなりました。
 当然、歴代ガンダムのモチーフを総ざらえするべく、ガンダムAGEにも「ガンダムガンダム」の構図は必然的に取り入れられたわけであり、そのデザインについてはやはり大元であるGP02のイメージが強く取り入れられたのでした。


 もっとも、GP02が「核兵器搭載」という、いわば連邦軍の欺瞞を象徴するガンダムだったのに対して、レギルスは前話解説で見たような、キオとイゼルカントとのやり取りから作られたMSでもあります。
 そして、フリットにならってガンダムを「救世主」の象徴だとするなら、レギルスはヴェイガン側の「救済」イメージをも、託されていると見る事も出来るかも知れません。
 さらにさらに。アスノ家のガンダムは基本的にAGEシステムによる産物ですが、レギルスはAGE-3という機体に、過去の失われた遺産=EXA-DBの技術をも合わせ持ったガンダムです。これまでのアスノ家の技術の集大成に、さらにヴェイガンが依拠してきた技術もハイブリッドされて出来ているわけであり、極めて高性能である事が劇中でも描かれています。
 そうであるが故に、AGE-3はオービタルの姿で一度大破させられ、さらに海賊軍がフリットから預かってきた予備パーツにより復活を遂げるものの



 さらにレギルスの前に破壊されてしまいます。
(ここで、予備パーツによりAGE-3が一度復活するというのは、モチーフ元であるVガンダムの要素を色濃く受け継いだ描写ですね)
 普通、こうした形で劇的に復活を遂げたなら、逆転劇のカタルシスに行くところなのですが、AGE-3は復活してもなお歯が立たない、という事になってしまっています。
 こういうところ、AGEという作品の娯楽活劇作品としてのウィークポイントなのですが……しかしテーマは明確です。AGE-3ではどうあってもレギルスには勝てない事が、視聴者に明確に印象付けられることになります。
 それが次回、三世代編冒頭でお披露目となるアスノ家4機目のガンダムガンダムAGE-FXが登場する重要な必然性になっているわけなのでした。
 レギルスとイゼルカントを知った、AGEシステムとキオが、これにどう対抗するのかを、次回解説でAGE-FXから読み解いてみたいと思います。


 この回は、他にも、海賊軍の活躍ぶりを連邦軍と比較したり、イゼルカントとザナルドの会話からヴェイガンの指揮系統を考察したり……といった視点もあるのですが、割愛したいと思います。次回以降、またおそらく記事が長くなるので、体力を温存させてください(笑)。
 という事で、今回はここまで。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次