千夜一夜物語


完訳 千一夜物語〈1〉 (岩波文庫)

完訳 千一夜物語〈1〉 (岩波文庫)


 通勤の行きと帰りの電車で違うものを読んでいるわけですが、ここ1年以上、帰りの電車で読み続けていたのがこちらです。岩波文庫版、全14冊。さすがにヘビーでした。
 とはいえ、想像していた以上に色々な観点をもたらしてくれて、非常に楽しく有意義な読書でありました。


 当初は、シェヘラザードとシャハリヤール王との有名な額縁物語があるにせよ、基本的にはただの説話集だと思っていて、だから単に将来伝奇モノを書く時の材料集めになればいいかくらいの気持だったんですけどね。これが読んでみたら、かなり趣が違いました。
 シャハリヤール王は妻に不倫され、激怒して殺害、以降国内から若い女を連れてきては一夜を共にした後に殺していくというのを繰り返していた、女性嫌悪を体現したような人物。で、そうした聞き手に対して、シェヘラザードがどんな物語を選んで語るか、王の反応に合わせて次にどんな物語をチョイスしてくるか……というのが、息詰まる駆け引きになっていて、ハラハラドキドキしながら読み進めたのでした。
 王は女性嫌悪に取り憑かれているので、愚かな女が因果応報で惨めに懲らしめられる話が聞きたい。そしてシェヘラザードの生殺与奪は当然シャハリヤール王が握っている。安全に生き永らえたいなら、王の求める話をし続けるのが一番安全なのに、しかしシェヘラザードはなかなかそういう話をしないのですね。賢い女が男どもをやり込める話とか、さらには女が機転を利かせて不倫をの場を乗り切る話とかを何度もしてみたりする。そのたびに王の機嫌を損ねて殺される寸前まで行ったりするんですけど、次の話を始めるタイミングとか話の傾向を変えたりとかして、なんだかんだ1000の夜を乗り切ってしまう。
 なんかもう、並々ならぬ勇気と反骨精神がなければ、とてもこうは出来ないだろうと思えるわけです。


 そんなわけで、まったく予想していなかった額縁部分の物語が、非常に面白かったし刺激的だったのでした。
 あと、シェヘラザードが物語をする時、彼女の妹ドニアザードが王と一緒にその場にいるわけですけど、通算600夜も過ぎた辺りで不意に、シャハリヤール王が「ところでお前の妹、いっつもここにいるけど、一体何やってんの?」みたいな事を言い始めて「今さらかよ!」と読みながら思わず突っ込んでしまったりとか(笑)。なにげにそういう小ネタ挟んで来るあたりも面白かったりしました。


 そして、シェヘラザードが語る多様な物語群。
 アラビアンナイトといえば魔法のランプに魔法のじゅうたん、とにかく魔法や魔神に彩られたファンタジーな世界観というイメージがありましたが、読んでみると意外にそういう要素は少なくて。有名な「アラジンと魔法のランプ」や「アリババと四十人の盗賊」は西洋に紹介される際に組み入れられたもので、大本の原典には実は無い話だということだそうですから、これらを除くと驚くほど超自然的な魔法や魔神が登場する話は少ない。ついでに言えば、バリエーションもあまり多くない。
 その一方で気になったのが、登場人物にやたらと商人率が高いことでした。グリム童話なんかと比べても圧倒的に高い。出て来る主人公の半分近くは商人なんじゃないかしら。
 そしてまた、話の冒頭に「父の遺産を遊興で使い果たした」「なけなしの財産を一目ぼれした女奴隷に全額つぎ込んでしまった」といった、金銭の動向が詳しく語られ、いわば主人公の所持金の増減が話の流れを決めている。全財産を失った者が不思議な因縁で大金持ちになったり、その逆だったり。ほとんど、金銭こそが魔法のように振る舞っている、という感想を持ったのでした。ちょうど「わらしべ長者」のように。
 貨幣経済と密接に連関した説話群という感じ。
 大昔、学生時代のことですが、小松和彦の著作で、座敷童や六部殺しの説話を、「村落に貨幣経済が入って来たことで、それまででは考えられなかったような家の急激な隆盛と没落が起こり、それに対して村落が説明として生み出した説話」という風に説いていたわけですが。そんな風に貨幣の流通というのが物語にも影響を与える、という話を久しぶりに思い出していたのでした。
 この辺りは非常に自分の中で新鮮なテーマだったりして。何か機会があったら、追ってみるのも楽しいかも知れません。


 ともあれ、面白い問題意識をいくつか拾えたので、非常に有意義な読書でありました。
 にしても1年以上ひとつの作品をちまちま読み続けるというのもなかなか機会のない事で。疲れたので、しばらくは短いものを読もうかな……(笑)。