構造人類学

 

構造人類学

構造人類学

 

 

 『悲しき熱帯』は非常に面白い本だったわけですが、しかしあれだけ読んでもレヴィ=ストロースの学問的な姿勢が分かるわけではないところはあって。

 なのでちょっと無理してこの辺も読んでみた。

 

 そもそも厳密な学問的議論を本格的にやるほど踏み込むつもりはないという不良読者なので、形而上的な議論部分は遠巻きに眺める程度の読み方しかしなかった面はある。ただ、それにしても意外だったのは、私がかつて想像していたよりも、レヴィ=ストロースの考え方や取り組みスタンスに共感できなかった、という点だったというのはある。

 これは多分、プロップの昔話分析読んで「あ、なんか私が持ってる関心と方向が違う」と感じたのと近い。構造に着目するということは、個別の要素に紐つけた分析をむしろ退けるということなんだなぁ(これについてはいずれ、今読んでいる『野生の思考』の感想書く時に詳しく述べると思う)。

 

 とりあえず、文化人類学というのが新しい学問で、かついろんな既存の学問分野に半端に隣接しているので位置づけが難しかったり、そういうところでいろいろと苦労があったらしいとか、まぁその辺をざっと眺めたことでした。

 むしろ私の関心に引っかかってくるところで面白かったのは、本文中で紹介されている、とある南米部族のシャーマンの話で、とある学者がその弟子になったところ、口の中に綿を入れておいて、頃合いを見て歯茎を噛んで血を出し、血に染まった綿を吐き出して「これがお前を苦しめていた病気の原因だ」とやる方法を伝授されたそうなんですな。

 で、他の部族のところに出かけた時に、その部族のシャーマンと病気治癒のシャーマン力勝負みたいになった時に、この綿のトリックが相手より優れていたため、相手部族のシャーマンは信頼を失ってしまい失踪、のちに発狂してしまったといった話が紹介されていたのでした。ふーむ、そういうトリックに自覚的なのか、という。

 でもそれは単にこうした神がかりによる病気治療を単に否定しているわけではなく、レヴィ=ストロースは一種の精神療法としての効果を認めていて、その辺も面白かったりしました。確かに言われてみれば、そうしたプリミティブな社会では我々の社会のような高度な薬による治療とかは難しいわけだし外科的治療にも限界があるし、だとすれば精神療法的なアプローチというのは与えられた条件の中で最も有望な方法かも知れず。そこが発展したと見るならば合理的かもしれない。

 

 そんな感じで、なんだかんだいくつか示唆もあって面白い読書でありました。さて、レヴィ=ストロースはもう1冊くらい読もうかなと思っておりますが、そちらの感想もいずれ。