吉里吉里人 上

吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)

吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)



 先日、惜しまれつつ逝去された井上ひさしさんの作品。
 氏への追悼記事から興味を持ってとりあえず読み始めてみたのですが、これがなかなかにクセモノの小説で、唸らされました。


 東北地方のとある村が、日本から分離独立しようとするという、それ自体は荒唐無稽で、多分に馬鹿馬鹿しい流れのお話。であるにも関わらず、時折チラチラと、どう考えても俄か知識ではなさそうな、深い国際法への知識とか、並々でない文章力などをチラつかされるわけです。最初の印象とは裏腹に、どうもただの馬鹿馬鹿しい話ではないらしいと思わざるをえず、ついつい引っ張られるように読んでしまう。


 物語自体もそうで、吉里吉里国の独立を巡る出来事や、登場人物たちの会話・意見などが、逆に普段はなかなか意識しない、国家としての日本を逆照射する仕組み。その手管は、上手いというよりは半ば以上、老獪の域に達しています(笑)。
 とにかく、卑近なくらいに親しみやすいストーリーに、この国の事などをなにげに根本から考えさせる要素を散りばめつつ、とにかく「喰えない」周到さが印象に残りました(笑)。
 まぁ確かに、物事の根本を問うというのは、思ったよりもずっと難しい事で、これくらい周到にやらないと足元をすくわれてしまったりもするわけですが。



 個人的に一番印象に残ったのは、東北地方の方言、いわゆる「ズーズー弁」を「吉里吉里語」という固有の言語にしてしまう辺りでした。
 雑貨屋のおばちゃんが、標準語で話しかけられて「外国語はわからない、吉里吉里語で話してくれ」という意味の発言をしたのを読んで、ようやくこれが生半可な作品ではないという事を決定的に思い知らされたのでした。
 なおかつ、夏目漱石の名作などを「吉里吉里語訳」と称して全部ズーズー弁に翻訳されたのを見て仰天する羽目に(笑)。こういう、普段から自明と思っていた事を揺すぶるような発想に触れるのは、刺激的でもあり。嫌いではないので、一気に身を乗り出すような気持ちで入り込みました。
 しかもその後、登場人物に、吉里吉里語を言語学的に詳しく分析させた末、「吉里吉里語は日本語と非常に構造の似ている言語です」とぬけぬけと書かせるふてぶてしさ。もうたまりません(笑)。


 そんなわけで、感心半分、気が抜けない半分で読み進めております。ちょっと間を置きつつ、引き続き中巻、下巻へ。