リヴァイアサン


リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)


 こちらも勢いのまま読みました。こうなったら毒喰らわば皿までです。


 こちらも社会科の教科書等で有名な「万人の万人に対する闘争」くらいの基礎知識しかなかったわけですが、読んでみるとその辺、けっこう意外に思う部分もありました。
 訳者の解説によればホッブズユークリッド『原論』を読んでいたく感動し、その影響を受けたそうで。なるほど読んでみると、ユークリッド的な論理展開で、一番基礎的な原理から様々な結論を演繹しようという意図が非常に鮮明でした。その点、『法の精神』と真逆。


 また、「万人の万人に対する闘争」が、前提として「人はみな生まれながらに平等」という観念から出てきてるというのが個人的に面白かった感じ。なるほど言われてみれば、生まれながらに偉い人がいたなら、その偉い人に最初から従う集団が出来てしまうわけだから万人の闘争というのは起きようがなくなりますものな。
 社会思想の歴史なんかも全然頭に入ってないので当てずっぽうですが、「人はみな平等」みたいな人権思想が成立し始めてきたのに合わせて、社会観みたいなものも更新される契機だったのかな、と思ったりしていました。


 そして一方、この大著の後半はほとんどがキリスト教会、ローマ法王の現世における権威に対する、神学的な議論に費やされていました。これも意外だったり。
 まぁでも、大したものだなと思うのは、キリスト教会の権威を否定するために聖書を援用して、徹底的に聖書から論拠をとって論戦に挑もうというスタイルですよな。あえて神学の方法論で行くという。思えば、福音書の中でイエス・キリスト自身も、パリサイ派からの論難に対して逐一旧約聖書からの引用をもって応じ、論破していたわけで、西欧宗教のこの律儀な原典主義みたいなところは、素朴にすげぇなと感心するというか、呆れるというか(笑)。


 まぁでも、そうまでしてホッブズがこんな話題に延々取り掛かった事、その重要性というのは何となく分かるのでした。
 素人考えですけど、多分、宗教組織が世俗に対して権力を持っている状態というのがあると、国が近代国家になれない、みたいな側面があるんだろうなと思うわけです。
 日本では、織田信長比叡山を焼き討ちすることでようやく達成した事を、ホッブズは著作でやろうとしたのだなぁ、と、そんな風に読んだわけでした。なるほど大変だ。


 本書後半部分は、日本人にはなかなかピンと来ない内容なのかもですが、それでもこうして全文訳出してくれてる事のありがたさよね。内容は日本人に縁遠い話題でも、「日本人に縁遠い話題で占められていたこと」はホッブズの意図を把握するのには重要ですものな。
 というわけで、そんなありがたさを噛みしめつつ。