死亡遊戯


死亡遊戯〈日本語吹替収録版〉 [DVD]

死亡遊戯〈日本語吹替収録版〉 [DVD]


 最近、わりと難しめの映画ばかり見ていた気がするので、気分転換にブルース・リー
 この作品は、ブルースが生前に撮影しておいたクライマックスシーンに、その死後ストーリーを補完して完成させたという変則的な経緯でできたそうで。


 まず端的に言って、上記の事情がそのまま作品の出来に直結してるという部分はあります。具体的に言うと、生前撮影されたシーンと、死後に作られたシーンが別物すぎる感じですね。シナリオも微妙に噛み合ってないですし。
 一目瞭然なんですけど、主人公の行動が全然違うんですよ。裏社会の策謀に巻き込まれて殺されかけ、自分が死んだと思わせておいて裏社会の黒幕に復讐を誓うという筋で、中盤まで主人公ビリーはシリアスそのもので、戦闘に臨む際も余裕が無い感じでいるんですけど。いざブルース本人の格闘シーンになった途端に、わざと余裕見せて挑発してみたりニヤッと笑ってみたりというブルース独特のお茶目さが見られて、とても同一人物に見えないっていう。


 印象としてはそんな感じなので、普通に作品として鑑賞するならやはり辛い点をつけざるをえないところなのでしょうけど……DVDのパッケージにストーリーよりも製作の経緯が書かれてる事に象徴されるように、この作品はやっぱり「作品として上手くまとまらなかったという事実」をメタに鑑賞するべき作品だよなぁ、と思った事でした。
 つまり、ユン・ピョウやサモ・ハン・キンポーなど名だたる実力者が関わり、愛情込めて作られたにも関わらず、映画前半のビリーがちっともブルース・リーらしくないと実感する事で、「あぁ、やっぱりブルースは替えのきかないワンアンドオンリーなんだ」って頷くという、そこまでがこの作品の鑑賞です、多分(笑)。


 非常に変則的な視聴体験ではありましたが。いずれにせよ、どういう形であれ、このラストのクライマックスシーンを世に送り出してくれたことには感謝だよなぁ、と。いやー、やっぱり私、ブルース・リーのあの挑発が大好きなのですw
 あと、散々ヌンチャク同士でデモンストレーション合戦をして見せたあと、なんだかんだ最終的に相手を倒すのがキック技の連続だったり、というのも。トンファーキックならぬヌンチャクキックか!(笑)
 ……などと言いつつ、このブルース本人が出てくるシーンはレンタルしたのを返すまでに3回くらい見返してました。実に良い。


 あと、「ブルース・リーの再現」としては辛い評価になる中盤までのシーンですが、そこを抜きにして単純にアクション映画としては見どころもあり、これはこれでという感じもあります。少なくとも退屈しない程度には面白かったですし。


 そんなわけで、なんだかんだ言いつつ楽しめはしたかな、という感じ。ま、カンフー映画に大仰な感想つけてもしょうがないでしょうし。だからこそ頭からっぽにして見られたってもんです。
 以上、ざっと。

 黄金狂時代


黄金狂時代 (2枚組) [DVD]

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 満を持してチャップリン見始めました。まずはこの辺から。
 正直なところ、大昔の喜劇映画ってどれくらい笑って見られるのかなという気もしていたのですが、いざ見てみたらけらけら笑って見るはめになりました。元がサイレントなせいもあって、言葉の壁とか文化的な断絶とかもなく、すんなり入ってすんなり楽しめた。なるほどねぇ、って感じです。
 主役が自分からバカバカしい事をやって笑いを取りに行くケースと、状況そのものが動いてその中で主役が意図せずキリキリ舞いさせられるのが滑稽でおかしい場合と、喜劇にもいろいろあると思うんですが、私が好きなのは後者なんで。そういう意味でもチャップリンの喜劇は肌に合うのかも。


 しかし、単に面白いってだけでなく、映像の表現力に素朴に驚いたところもありました。有名なシーンらしいんですが、チャップリンたちが雪の山小屋で食べ物が無くて、飢えた末に靴を煮込んで食べてしまう場面。これが何とも、今まで見たことないような新鮮な驚きとともに見ることができて、もうこの1シーンだけですっかりこの映画のファンになってしまったのでした。
 なんかもう、チャップリンが靴底を食べる様子の、なんと美味しそうなこと。大体私、映画見るときは夜0時前後の夜中なので、「革靴を食べるシーン」見て小腹がすいてくるという、異次元の体験をすることに(笑)。よもやこんな飯テロがあり得ると思わなかったですw
 単なる写実でもないし、最近だと映像の特殊効果ってCGばかりですけど、そういうCGともまた違って、なんだかすごく新鮮な映像体験だったのでした。「実写映像でこんなこともできるんだ」と、久しぶりにこんなに強く思わされた。


 映画の後半については、なんかだいぶ痛々しい展開でした。華やかな酒場で一人だけなじめずに浮いてしまうチャップリンの様子に、どうしようもないシンパシー感じてしまって苦笑いしたり(笑)。ヒロインに関わってもらって気を良くして白馬の騎士っぽく振る舞ってしまうところとかもこう、「やめとけって……」とか思いつつ、どうにも他人事のような気がしないわけですよ。ええもう。
 特に、ヒロインが大晦日に来るというのを真に受けて真剣に準備するチャップリンと、そんなこと忘れて、軽薄な言動をあれだけ嫌っていた酒場の男と仲良く年越しで盛り上がっちゃうヒロインっていう、いかにもありそうな、非モテ男にとっては信じたくない「現実」が無慈悲に描かれてですね、うわーうわーってなるの(笑)。
 これ、映画だから最後にチャップリンにもハッピーエンドが来ますけど、あの大晦日の場面のままエンディングになるのが現実なんですよ、ぼくはしっているんだ(何


 でも、見ててつらくはない。なんでかって、色恋方面でさっぱりダメなチャップリンが演じてる男の方に視点が寄り添ってて、しかもそれが喜劇調に、笑いとばせるように描かれてるからなんでしょうね。
 なんか、そういうところに、何とも言い難い嬉しさみたいなものを感じた気がします。


 誰だったかなぁ、落語家の人が言ってたっていう話をどこかで見たことがあって。
 忠臣蔵赤穂浪士は主君への忠義のために見事に散ったけど、そこで華々しく散る決心がつかずに、逃げちゃった家臣たちもいた。で、落語で主人公になるのは、そこで逃げちゃったようなダメな奴らなんだよ、っていう話だったかと思います。
 落語とか喜劇とかって、普通の物語なら主役になれないようなダメなやつ、みっともない奴、しょうもない奴を主役にして、そういうダメな奴の視点に寄り添ってくれるからか、私みたいなダメな奴にとって時にすごく優しい。慰められてるような気分になることがあって。
 この映画もだから、事前に予想してるのとは全然違う、予想外な展開ではありましたが、そういう慰めがもらえたような気がしてちょっと嬉しかったのでした。


 なるほどねぇ、チャップリンってこういう感じなのか、と頷きつつ。またちょっとずつ、暇を見つけて他のも見ていこうかと思ったことでした。

 カンタベリー物語(上・中・下)


完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)


 次に何を読もうかなーと思いつつ千夜千冊を眺めていて、なんとなく手に取ってみたチョーサーの『カンタベリー物語』でした。時系列で読むのを断念したとはいえ、いきなり1000年以上も時間が飛んでしまった(笑)。


 カンタベリーへの巡礼の間に、集まった老若男女、様々な職業・身分・立場の人々が順番に物語を話していく、という内容。
 読み物としての面白さでいうと、途中でちょっと読んでいてダレる感じもあったし、今まで読んだ中で飛びぬけて面白かったという読書ではなかったのですが。しかし一方で、チョーサーの目論見、その全体の構想、アイディアには感心しました。
 要するに骨格になっているのは説話集だと思うのですが。説話集というのは短い話を並べていくわけなので、個々の話の面白さはありつつも、全体の構成としてはどうしても単調にならざるを得ない側面があって。そこを解消するために、『千一夜物語』のように額縁となる話を構築したりもするわけですが。
 この『カンタベリー物語』はさらに、その語り手を様々な異なる人物にする事によって、単調さを解消する工夫になってるわけですね。最初に、語り手となる人々を一人一人、順番に紹介してみせる。で、語られるそれぞれの物語は、その物語自体が読者を楽しませるほかに、「こういう場で、こういう物語を語る事を選んだ」という形で人物描写にもなってるわけです。
 語り手が全然別の、幅広い立場の人たちなので、収録する話の統一感という事も変に意識する必要が無い。騎士は格調高い宮廷恋愛物語を語り、その次に市井の粉屋が俗で卑猥極まりない笑話を語る。キリスト教聖人の殉教説話もあるし、動物寓話もあるし、英雄伝っぽい歴史語りもあるし、プラトンの対話編みたいなのもあるし、とにかく聖も俗も超えて、バリエーションのやたらと広い様々な物語が語られる、それで不自然でない額縁になってるわけですね。この工夫が、何とも唸らされる工夫でした。
 さらに、(中断されてしまってますけど)料理人の話では食べ物に関するたとえが多くなってたり、弁護士の話はやたらと比喩や修辞的な言い回しがウザいくらい出てきてウンザリさせられたりして(笑)、語り手によって文章のテイストも変えられるという、そういう形でも「説話集の単調さ」を避けることが出来るようになっていて。
 恐らくは、この時代なりの「説話集の娯楽性を高める」ブレイクスルーだったのかな、と思いつつ読んでいました。そして、その工夫がかなり成功しているし、アイディアとして面白い。
 そんなわけで、かなりテクニカルな部分での上手さが印象に残った読書でした。


 さらに、話の中盤辺りに登場する「バースの女房」が、それまでされていた物語における女性の扱いに猛反発し、「夫だからって妻を無条件に制約できるなんて冗談じゃないわよ」的に大演説をぶってみせたり、さらにその発言に対してキリスト教の学僧がカウンターで皮肉交じりに逆襲してみせたりと、互いが物語を話しつつ、相手の物語に異を唱えてぶつけてきたりするので、場の緊張感もすごい(笑)。
 そこに互いの考え方の衝突、みたいな裏テーマも見えるから、ただの説話集では絶対生まれないような流れと、緊張感と、重層的な意味が出てくるところもなかなかに面白く。
 まぁ私がこの中に入るとしたら、などと考えると尻込みしたくなりますがね……こんな緊張しっぱなしの旅嫌だよ(笑)。


 そんな感じでした。
 にしても、本書を読んでいてつくづく思ったのは、やっぱ聖書読まないとだめだなー、って事で。去年からの取り組みで、ギリシャ神話由来の話は大体わかるわけですけど、聖書由来の話は全然分からない。せっかく基礎固めをするつもりでいるのに、これじゃアカン……というわけで、次に新約聖書を読むことにしました。読み終えた時に、また感想を書きますが。
 うーん、道のりはまだまだ遠いなぁ。