カンタベリー物語(上・中・下)


完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)


 次に何を読もうかなーと思いつつ千夜千冊を眺めていて、なんとなく手に取ってみたチョーサーの『カンタベリー物語』でした。時系列で読むのを断念したとはいえ、いきなり1000年以上も時間が飛んでしまった(笑)。


 カンタベリーへの巡礼の間に、集まった老若男女、様々な職業・身分・立場の人々が順番に物語を話していく、という内容。
 読み物としての面白さでいうと、途中でちょっと読んでいてダレる感じもあったし、今まで読んだ中で飛びぬけて面白かったという読書ではなかったのですが。しかし一方で、チョーサーの目論見、その全体の構想、アイディアには感心しました。
 要するに骨格になっているのは説話集だと思うのですが。説話集というのは短い話を並べていくわけなので、個々の話の面白さはありつつも、全体の構成としてはどうしても単調にならざるを得ない側面があって。そこを解消するために、『千一夜物語』のように額縁となる話を構築したりもするわけですが。
 この『カンタベリー物語』はさらに、その語り手を様々な異なる人物にする事によって、単調さを解消する工夫になってるわけですね。最初に、語り手となる人々を一人一人、順番に紹介してみせる。で、語られるそれぞれの物語は、その物語自体が読者を楽しませるほかに、「こういう場で、こういう物語を語る事を選んだ」という形で人物描写にもなってるわけです。
 語り手が全然別の、幅広い立場の人たちなので、収録する話の統一感という事も変に意識する必要が無い。騎士は格調高い宮廷恋愛物語を語り、その次に市井の粉屋が俗で卑猥極まりない笑話を語る。キリスト教聖人の殉教説話もあるし、動物寓話もあるし、英雄伝っぽい歴史語りもあるし、プラトンの対話編みたいなのもあるし、とにかく聖も俗も超えて、バリエーションのやたらと広い様々な物語が語られる、それで不自然でない額縁になってるわけですね。この工夫が、何とも唸らされる工夫でした。
 さらに、(中断されてしまってますけど)料理人の話では食べ物に関するたとえが多くなってたり、弁護士の話はやたらと比喩や修辞的な言い回しがウザいくらい出てきてウンザリさせられたりして(笑)、語り手によって文章のテイストも変えられるという、そういう形でも「説話集の単調さ」を避けることが出来るようになっていて。
 恐らくは、この時代なりの「説話集の娯楽性を高める」ブレイクスルーだったのかな、と思いつつ読んでいました。そして、その工夫がかなり成功しているし、アイディアとして面白い。
 そんなわけで、かなりテクニカルな部分での上手さが印象に残った読書でした。


 さらに、話の中盤辺りに登場する「バースの女房」が、それまでされていた物語における女性の扱いに猛反発し、「夫だからって妻を無条件に制約できるなんて冗談じゃないわよ」的に大演説をぶってみせたり、さらにその発言に対してキリスト教の学僧がカウンターで皮肉交じりに逆襲してみせたりと、互いが物語を話しつつ、相手の物語に異を唱えてぶつけてきたりするので、場の緊張感もすごい(笑)。
 そこに互いの考え方の衝突、みたいな裏テーマも見えるから、ただの説話集では絶対生まれないような流れと、緊張感と、重層的な意味が出てくるところもなかなかに面白く。
 まぁ私がこの中に入るとしたら、などと考えると尻込みしたくなりますがね……こんな緊張しっぱなしの旅嫌だよ(笑)。


 そんな感じでした。
 にしても、本書を読んでいてつくづく思ったのは、やっぱ聖書読まないとだめだなー、って事で。去年からの取り組みで、ギリシャ神話由来の話は大体わかるわけですけど、聖書由来の話は全然分からない。せっかく基礎固めをするつもりでいるのに、これじゃアカン……というわけで、次に新約聖書を読むことにしました。読み終えた時に、また感想を書きますが。
 うーん、道のりはまだまだ遠いなぁ。