ささやかなエール


http://info.yomiuri.co.jp/prize/bungaku/57_happyou.htm


 大学時代、文芸の講義で色々な話を聞かせていただいた宮内勝典先生が、読売文学賞を受賞したとか今頃知ったのでちょっとリンクしてみる。


 私は基本的に、師をあまり持たない人間で。
 いや、実は人一倍、自分よりすごい技や知や思想を持っている人に導いて欲しいという欲求は持っているんですが、現実に誰か一人の師匠を見つけて、その下で色々研鑽したりというのをしたことがない。
 大抵は、凄いと思った人の作品、言動などを徹底的に集めつくして、模倣し味わい尽くし、そして「大まかなところは大体理解したな」と思ったらあっさり関心を他に向ける。そんな事ばかりしてきました。


 宮内先生の話を聞いたときも、ストレートに「すげぇ!」って感動して、毎週その先生の話だけは食い入るように、一番前の机に陣取って講義を聴いていた。世界中を旅したという彼の話は魅力的だったし、その問題意識も当時の自分にとっては重く、考えさせられるものだった。
 けれどそれだけ傾倒しながら、彼の元へ個人として話しに出かけたり、また彼を中心とした喫茶店での集まりもあると聞きつつ、結局足を運ばなかった。
 理由は言葉にならない。いや、色々事情はあったのだけれど、煩雑なのでここには書かない。


 ただ、私の小説書きとしての歴史の中で、間違いなく彼は特別でした。


「小説は教えられるものじゃない」という話をよく聞きます。それは個人個人の考え方や感じ方が表に出るもので、だから採点できるものではない、と。人それぞれ価値観があって、ある人が褒めたものをある人はけなすかもしれない。絶対的な基準なんかないから、教えることはできない。
 たしかにそれは一面で真実。
 宮内先生は、おそらくそんなこと百も承知の上で、あえて自分の価値観で生徒たちが書いた小説を、次々評価しては褒めたり批判したりした。
 それで、正しかったんだと私は思う。
 なぜって、「こういう考え方もあるよね」「ああいう感じ方もあるからね」と、すべての個性を尊重しているだけでは、互いの価値観の刺激を受けて自分の作品を見直すことだってできなくなってしまうからだ。
 宮内先生は、自分の価値観で作品を批評した。彼に「これじゃダメだ」と言われた生徒の中には、不満に思った奴だっていただろう。宮内先生自身が、提出された作品の良さを見出さずに看過してしまった部分だってあっただろう。
 けど、一人のそうした先達の個性とぶつかることで、自分の作品をひるがえって見る機会が得られた、それは貴重な事だったんだと思う。


 宮内先生は唯一、私に「小説の書き方を教えた」人だった。


 小説の中でものを描写する時には、読み手の頭の中に、描写したものが完全に、手触りや味や匂いや空気まで伝わるように言葉を選ぶべきだと。お前の今の描写は全然描写ではないと。彼はそう私に言ったのです。
 その時私が書いて提出したのは、擬人化された風が世界各地を旅した時の記憶を、お茶を振舞われながら館の主人に話して聞かせる、というような短い話。その中で、敦煌石窟の仏像を描写したのです。
 彼は言った。「僕が今度書いた小説にも、同じように洞窟の中の仏像を描いたシーンがある。よかったら見比べてみろ。僕は自分の描写の方が優れていると思うけど、君はどうかな?」


 比べるまでもない。こんな風に言われた時点で私の負けだ。
 あの日の悔しさを私は忘れない。けれど、それで「描写すること」にそれまで以上に意識を傾けるようになった。今の自分は、彼のその日の言葉なくしてはありえない。


 その後、私は結局純文学を書けない自分と向き合って、エンターテインメントの枠の中で前に進んでいこうと決めた。純文学作家がエンタメを書くのを、「沈み行く純文学の船を見捨てて逃げていった奴ら」的に評した先生とは、結局最後まで道が違ったのかもしれないけれど。
 けど、勝手に私は、彼を恩師だと思っていたりするのだ。


 このたびの受賞は本当にめでたいと思います。こんなネットの端っこの方で、ささやかにお祝いの言葉を述べてみた。