絵本「不思議の国のアリス」

 おととい書いたアリス絵本、買ってきましたよ(ぉ


 まあ当然といえば当然なんですが、絵本であるためあまり突っ込んだ部分までは描かれず。不条理部分もほとんどカットされ、わずかにマッド・ハッターが頑張っていたぐらい。
 なので絵柄とのギャップというのもほとんどなし(作品単体としてみた場合ですね。無論、原作の雰囲気とはかなり違っているわけですが)。
 ……ていうか、イモムシとか「キノコ食え」って言うためだけに出てきたようにしか見えない(笑)。三月ウサギもセリフないし。ドードーにいたっては登場すらできなかった模様。


 そんな感じで、全体的にちぐはぐで伏線が回収されないまま、どんどん話が続いていく感じなのですが、不思議とそのちぐはぐさが、原作の風味を思い出させるような気もして、意外に印象は悪くない。
 これ、他のアリスの絵本でもそうなのかしら。比べてみたことないし、比べる機会もないでしょうが(笑)。


 で、問題のイラストについてですが……やっぱり「ここまで来たのか……」っていう妙な感慨はありました。誰も共感してくれなさそうだけどw
 元々、『不思議の国のアリス』と続編『鏡の国のアリス』という作品は、作者ルイス・キャロルが勤め先の学長かなんかの娘さんたち、特にそのうちの一人アリス・プレザンス・リデルに語り聞かせた物語が始まりだったりします。で、つぶさに内容を見ていくと、作品の端々にキャロルの恨み節が込められていたりする。
 何への恨みか――それは、「すぐに大人になってしまう少女たち」への恨みです。


 って書くと、九割方「ロリコン、キモイ」ってリアクションが返ってくることと思いますが、まあ、その通りなので弁護する気も起きません(笑)。少女のヌード写真とか撮ってましたしね、この人。
 けど、じゃあ、これはルイス・キャロルという変態のたわごとで、我々には全然通じるものがないのでしょうか?
 たとえば、映画『ハリーポッター』でハーマイオニーを演じたエマ・ワトソンについて、「一作目の時が一番良かったのに……」という評判を、聞いたことありませんか?
 まあそれも変態の言説と言われればどうしようもないのですが(笑)、思春期の少年や少女には、確かにその年代にしか持つことができない、独特の雰囲気、アンバランスさを持っていることも確かかと思います。
 その思春期の少女のアンバランスさを愛したのが、キャロルだったわけです。是非はともかくね。


 で、長くなりましたが。
 アリスの隠れたテーマは「すぐに大人になってしまう少女」で(多分今手に入れるのは難しいでしょうが、数学者マーティン・ガードナーの注釈つきのもので読むと分かりやすいです)、普通なら絶対に留めておくことの出来ない「少女の時間」を、閉じ込めてしまおうというある種の執念でつづられたのがこの『アリス』の物語だったという事ができる。
 ところが、この絵本のアリスは、完全に今風の「萌える」絵で描かれていて、最早そんな執念で閉じ込めるまでもなく、永遠に成長しない「かわいいキャラクタ」になってしまっている。
 キャロルは、この年代の少女たちの気を引くために、オリジナルのパズルを数多く考え出したりして涙ぐましい努力をしていたのだけれど。この絵本の世界は、最早そんな努力の必要も感じさせない。


 この落差があるからこそ、こんなアニメ絵の全盛時代になっても『アリス』の萌え絵によるストーリーテリングは長らくなされてこなかったのに、ついにこういう本が出てきたのか、っていう感覚。
 まあ……誰も共感してくれなくても良いけどw