アニメ製作者の憂鬱


 音速が遅いですが、レス。


いつのころから新発売3−アニメは民衆の阿片である
http://d.hatena.ne.jp/h-nishinomaru/20070511/1178866097#tb


 まず、大筋で同意します、と表明しておきます。
 いかに複雑な、あるいは政治的な、高尚なテーマを扱っている作品であろうとも、結局アニメを見る事自体は現実逃避的な行為であると。
 例外もあるでしょうが、アニメ作品は大抵はまず何よりも商材であり、娯楽作品ですからね。日々のしがらみを忘れて楽しむのが第一義ですし。
 何より、娯楽性を確保しつつ描く限り、某かのテーマに言及するについても限界があるのは避けられない話です。特にデリケートな政治的問題に言及するのは至難の業でしょう。


 で。
 思うに、アニメの製作者たちは、その事を「知っている」んじゃないでしょうか?
 だからこそ、宮崎駿監督はアニメを「駄菓子」であって決してメインディッシュではないと再三語っているのでしょうし、富野監督も(自分の作品なのに)、「いい大人がガンダムなんか見てるんじゃないよ」とか言い続けているんでしょう。
となりのトトロ』などは、h-nishinomaru さんのおっしゃる「昔はよかった」的メッセージを持ったアニメの代表的作品でしょうが、それを繰り返し子供に見せいているという親の話を聞いて、嫌悪感もあらわに「1回見れば十分です、何度も見せる時間があるなら外で遊ばせなさい」とコメントしています。


 もちろん、宮崎監督は懐古的な主題を扱うことで、富野監督は作中に戦争や政治などの題材を持ち込むことで、より「現実逃避しやすい」もしくは「年齢の高い層の現実逃避になりうる」作品を作った事も確かです。
 現実逃避の最たるものは、「考えた気になって終わってしまう」ことですからね。
 しかしそれを知るが故に、アニメ監督たちは自分の作品に過度に入り浸るファンたちに苛立ちのこもった視線を送り続けていますし、インタビューなどでは警告めいた言葉を再三発しています。


 彼らは矛盾しています。
 そして、その矛盾を擁護したり弁明したりする気は私にはないです。
 ただ――批評家や評論家と違い、創作家というのは矛盾した志向性を合わせ持っていて、その矛盾に悩んだり、相反する考えを常に抱えているような人種の方が面白い、奥深い作品を作る事ができます。
 ある時は「愚民どもなんて滅ぼしてしまえばいい、天誅はリアルでありだと思う」なんてとんでもない事を言い、別な時は「どうにか反戦の方向に世の中を持って行きたい」と言ったりする富野監督の矛盾っぷりは、もうなんて言うか極端過ぎますが(そしてそこが大好きなんですが/笑)、その落差が、『逆襲のシャア』などを作った時の原動力になっているのでしょう。


 富野監督は、ゲッターロボとか、マジンガーZとか、そうした勧善懲悪で子供向けのアニメに満足できず、リアルな戦争を作中に取り入れ、政治的にも深く読み込むことのできる作品を作りました。
 一方で、いまだに初代ガンダムに「魂を引かれ」て、「生と死の極限状況をロマン的に構築してそこに安住」するだけの現実逃避気味なガンダムファンは徹底的に嫌悪し、再三忠告の言葉を吐いてもいます。
 ……なんというか、創作家ってこういう業の深い生き物なんですよね(苦笑


 昔引用した文章をもう一度引きますが、


 かつて押井守宮崎駿を批判し、宮崎駿高畑勲を批判していた。その論拠は、基本的にはアニメの虚構性に自覚的であれ、ということだった。同じ批判の刃を彼らは自分にも向けている。彼らアニメーションの監督は、まるで虚構世界を見事に作り上げてしまったことが現実に対して罪であったかのごとく、己れに対して内省し、同業者の仕事を厳しく見つめる。それは私からは珍しい人種に思える。たとえば実写の、ポルノ映画の監督が自分の映画観てホントに痴漢するやつが出てこないかとか、ヤクザ映画の監督が自分の映画観てホントにヤクザになるやつが出てこないかとか、そういうことで悩んでいるという話は聞いたことがないからだ。彼らの多くは、他人に指摘される前から己の表現の現実への影響を憂慮してみせる。それは裏を返せば、彼らに自分の仕事への自負があるからだろう。自分たちは充分ティーンエイジに影響をなしてきた、そして他人を批判する分だけ、自分の作品では落とし前を付ける、と。
                              切通理作『ある朝セカイは死んでいた』より


 こういう人たちなんです、アニメの監督って。
 だから、h-nishinomaru さんの指摘したような事も、多分わかっていると思う。そして、日々悶々としつつ、それでも作品を作り続けているんですよ、きっと。


 それと、記事の後半部分について。
 正直、政治的スタンスについて意見を戦わせる事には私はいつも不安を覚えている人間です。不勉強だし、的確な言葉を持ってこれる自信がないので。
 たとえば――私は税金を払うことを、端的に「搾取」だとはあまり思っていない人間です。
 もちろんそれは、政治家の無駄遣いとか、ワイドショーで連日やっているアレを許容するとか言っているわけでは断じてありません。そんなのは懲役で100年くらいつけとけば? とか思ってます(えぇー
 ただ、現在私が生活している上で、水道水などのインフラが整っているのも、刑法がありそれを取り締まる警察があるお陰で帰宅が遅くてもそこそこ安心して夜道を歩けるのも、病気した時にとりあえず病院にかかれるのも、基本的には税金払っているからと認識していますので。
 色々問題はあるにしても、「文化的で最低限度の生活」が送れている事には感謝しているし、そのための税金なら、まぁ払わなきゃしゃーないなと思ってたりします。
 年金もらえないと困るし、また日本が先進国の中でぶっちぎりの借金大国である事を考えると、増税もやむをえないかなぁと泣く泣く考えていたりもします。


 別に、税金に「搾取」の要素がまったくない、と言っているわけでもありませんよ? 議員年金の額とか聞けば、そこに搾取の構造を読み取ることは十分可能だろうと思えます。
 ただ、自分の払った税金が、100%すべて議員や公務員の無駄遣いだけで消えているとは思っていないという事です。


 ……と、ほら、たったこれだけの言明をするのに、もうこんなに読みにくい文章が。自分のスタンスを誤解されないようにしようとすると、注釈とただし書きだらけの文章になってしまってどうにも。
 なので、まああんまりこうした政治的スタンスの話に関しては、私は深入りしない方向でいます。単なる臆病なんだけどね。


 あと、アニスおばさんについては、単に戦争ものの話で「農業」、つまり一次産業にたずさわる人の視線を導入できたのが新しい、という意味ですね。
 確かにあの人も地主ですから、小作人を抱えていたかも知れません。そこに複雑な問題がいろいろあるにせよ、そんな事に踏み込んでいてはロボットアニメではなく、プロレタリア文学みたいになってしまいます(笑)。
 ……ああでも、プロレタリア文学は実は一級のエンタテインメント小説として読めるんだ! って趣旨の本を荒俣宏が書いてたなぁ(笑)。


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 案外、もうちょっと踏み込めるんでしょうかね。


 ちなみに、これは単なる揚げ足取りですが……無産階級の視線、ということなら、∀ガンダムの主人公はハイム家の使用人ロラン・セアック。完璧な無産階級者です(笑)。


 とりあえず、そんなところで。