悪霊 上巻


悪霊 (上巻) (新潮文庫)

悪霊 (上巻) (新潮文庫)


 前に『カラマーゾフの兄弟』読んだ時は、結構難しく感じる部分も多くて(面白かったけど)敬遠がちのまま積ん読していたこの本。
 ひょんな事から読み始めてみたら、しかし、そんな前の印象など吹き飛んでしまいました。普通に面白かった。
 ていうかね、これ読んで可笑しくて噴き出すとか何度もありましたよ。まさかドストエフスキー読んで大笑いすることになるとは思ってなかったんでびっくり。


 何が面白いって、作中のステパン先生がね、もうね。大好きですよ(笑)。
 いい年した学者先生なんだけど、だらしなくて、みっともなくて、すぐ泣き出すし、神経繊細すぎて自意識も過剰気味で。新しい社会運動起こしてもう一花咲かせるとか公言しながら全然できなかったりして。したり顔で天下国家を論じるくせに、寄食先のワルワーラ夫人に部屋が汚いとか散々に言われて、賭けトランプ狂いで、かと思うとある日そういう自分の申し訳なさに泣き出しちゃったりして。本当にもう駄目大人という感じ。
 根は良い人だから人一倍後悔はするんですよね、で申し訳なさに自分の家庭教師先の教え子とかに(文字通りの)泣き言を延々聞かせたりとか。なんという駄目っぷり。
 でもね、そういうしょーもない人間臭さが私は大好きなんだ(笑)。駄目なところがことごとく私と似通ってて、やたら感情移入して読んでました。


 多分、私も50歳過ぎた頃にはこういうしょーもない人間になってると思うのです。
 というか、むしろこんな人間になりたいんだ私は(ぇ
 本当にこの人駄目だなぁと思われながら、それでもこの作品の視点人物に「親友」って言ってもらえてる。そんな人間であれれば良いなぁとかね。


 とはいえ、上巻の最後の方では、そんなステパン先生の居所も徐々になくなっていってしまうんですけどね。特に、遠方から帰ってきた息子の手によって。
 息子のピョートルは、目的があって意図的に父親を追い詰めてるらしく、まあ詳しくは読んでくれって感じなんですが。
 確かにね、ステパン先生みたいな人は、ある意味で周囲の「しょうがないなぁ」って温情があるから「先生」でいられるんで、意図的な害意にこれほど弱いタイプの人もいないんだよね。実際、ピョートルは寄食先のワルワーラ夫人にステパン氏の言動や手紙の内容を御注進して、それでステパン先生は追い出されちゃうわけですが。その御注進の内容には嘘偽りは全然ない、全部本当のことなわけで。ただ、普段なら「温情」や「しょうがないなぁ」で波風立たないように済まされてた部分を、あえて開けっぴろげにしただけなんですよね。それだけでステパン先生は追い出されてしまう。
 この辺、身につまされます。わりと。


 ともあれ、この作品全体を通して、読んでいるうちに「時代の変わり目」に立ち会わされているという感覚が強くしました。自由主義というか、作中での言葉で言えば「無神論」的な新しい思想がじわじわと物事を変えていく境目に立ち会わされてるんだなぁという感じ。
 もっとも、この辺は下巻を読みながらまたゆっくり考えるところですが。


 この話の中心人物らしいニコライ・スタヴローギンは、もう最初の描写からし浦沢直樹『MONSTER』のヨハン・リーベルトの映像が自分の中で定着してしまいました(笑)。けど、あんな感じの超然とした人じゃないのね。
 その辺も含め、今後どうなっていくのかまだ先が見えません。
 とはいえ、読んでいて難解な印象は全然ありませんでした、私は。いわゆる文学作品で、しかも翻訳ものでこんなに引き込まれるように読んだのはかなり久しぶり。
 そんなわけで、まあ年をまたぐことになりそうですが、下巻も楽しみに読んでいこうと思います。