児童ポルノ法関連、続き


児童ポルノ問題についてみんな勘違いしている。」が勘違いしていること
http://d.hatena.ne.jp/araignet/20080316/1205667464


 一読して、己の不明を恥じました。
 確かにそう書かれてみると、問題は「そんな規制じゃドラえもんもアウトになるだろ」とか言ってるだけで済む問題じゃない。
 少なくとも、「児童ポルノの蔓延が、児童に性欲を向けるべきではない、というコンテクストを揺るがすから危険」という部分には同意せざるを得ない。そしてことこの点に関しては、二次元だとか三次元だとか関係ないわけで。直接の被害者がいない、というだけで開き直って済むというのは安易、というのも確かになぁ、と。


 で、差し当たり私の中で、上の記事につけたすような感想は特にないんですが。
 なんだろ、結局私もこの件について、真剣に考えてなかったっていうか、「危機感がなかった」のかなぁ、とも思うわけですが。
 一方で、内心「規制されるならしょうがない」とも思ってたのかも知れません。
 だって私自身、自分が持ってる「女性を一方的に苛むような性癖」に疑問を持ってる……ていうか端的に恐れてるんだもの。


 一応注釈しておくと、漫画・アニメ・ゲームなどでの児童ポルノ含むポルノ表現の場において、大きく分けて二つのスタンスがあります。
 ぶっちゃけて言えば、男性側のオルガズムに同調するタイプと、女性側のオルガズムに同調するタイプ。
「え?」と思う方もおられるかも知れませんが、私も後者のタイプです。AVなどでも、いわゆる本番――男性と女性の直接の性交渉シーンは完全スルーです。主に前戯シーンなどで用を足します。
 ネット上であちこち見て回っていると、こういう人は意外に多いようです。
 なんでそうなのか、というのについては、恐らく私が母方の祖父母の家で思春期を過ごし、また父親が浮気とかしてた関係で、とにかく日ごろから徹底して「男性性への嫌悪感」を植え付けられたせいなのかな、とか色々と自己分析した事もあります。が、まあ、その辺は本題と外れるから端折りますが。


 ともあれ。
 そうした性向を持つ私にとっては、女性に苦痛をもたらすようなポルノ表現は嫌悪の対象でしかありません。そりゃそうですよね、女性の感覚に同調してるんだから、その女性が痛かったら自分も痛いわけで。
 けど、一方で普通の性交渉にも反応しない。となると、女性の側が一方的に快感を与えられる、という図式になります。
 無論、そういうのも性的な虐待の一形態ですから、猟奇的に女性に苦痛を与えるような性癖ではないからといって、胸を張れるわけでも、世間的に許容されるわけでもない。


 ですから、二重の意味で、今回の規制の話を見て「うん、まあ……」っていう歯切れの悪さがあったのかも知れません。自分の性向自体にやましさがあるのと、一方で漫画・ゲームなどで「児童に苦痛を与えるタイプのポルノ」に対しては嫌悪感もあるし。だから、同様に嫌悪してこんな法案の提言をした人たちの気持ちも分かる。
 無論、理性的に考えた時、法律によってこうした規制をする事は良くない。上記リンクのように、漫画・アニメ・ゲームを作る側の方がもっと考えて、上手く世間と折り合いをつけていくという形で上手く住み分けをするというのが妥当だとは思います。
 ただ、まあ、色々とこの辺に関する私の感慨は複雑なのでありました。二重三重に屈折してるからねぇ。


 とりあえず、この辺の話については、ちくま新書から『感じない男』という本が出ているので、そちらを読むと実感としてつかみやすいと思います。


感じない男 (ちくま新書)

感じない男 (ちくま新書)


 馬鹿正直に「私は少女の体を生きてみたかった」って告白しちゃってます(笑)。自分の男性的な体が肯定できなくて、その苦悶が少女の体への憧憬・妬みへとつながっていく間の経緯を、必要以上に詳らかに書いています。
 ロリコンとポルノについても赤裸々に語ってるし、実は今読むとけっこうタイムリーな本かも知れません。