頭脳勝負 & ボナンザVS勝負脳


頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)

頭脳勝負―将棋の世界 (ちくま新書)


 なぜか、立て続けに将棋関連の新書を読んでみたり。
 まあたまたま手に取ったんですが、『頭脳勝負』の方をまず読みました。
 なんだろう、自分でもライトノベル的な話を書こうと志向する中で、人物対人物の真剣勝負的な場面になる事も多いわけですが、私自身にそういう、一対一の面と向かっての勝負っていう経験がそんなに多くなくて。そういう人たちの心情や駆け引きっていうのがどんなものなのか、少しは参考にならないかなと思ったのが最初。
 まあ、将棋については私の愛読漫画、『月下の棋士』で多少なじみがありましたし。


 で、やはり読みながら頭の片隅を、『月下の棋士』の人物が過ぎったりしながら読み進めてました。奨励会の説明なんか読んでる時は特に(笑)。


 意外だったのは、プロの将棋の世界って単に読み合いの勝負っていうんじゃなくて、むしろ序盤なんかは研究量を競う勝負、っていう側面があるらしいこと。
 つまり、過去の対局などを研究して、「こういう形の時はこういう風に動く」っていう膨大なデータと、自分なりの研究をして、実際に対局で互いのその研究をぶつける、的な側面があるらしく。
 たとえば「この形の四間飛車だと過去のこの対局に前例があったけど今回は……」みたいな感じでしょうか。
 まあ、あれです、序盤で「この形」っていうのが決まった時点で、こう、昔やってた『料理の鉄人』で「今日のテーマ素材はこれだ!」っていってドーンと素材が、まあカニとかが出てきて、「よし今日のテーマはカニか、なら自分のレパートリーのこの料理で」っていう風に互いの研究をぶつけあう、みたいな感じ?(違わないか?


 無論、そうした過去の定跡から外れる場合もありますし、ある程度進めば最後の方は読み合いにもなるんですが。
 そんなわけで、気がついたらのめりこむように読んでいました。そもそも著者の方が現在の竜王で、それも竜王位防衛記録を塗り替えている偉い方だというのも後で知ったくらいの状態だったんですが、気付いたら渡辺竜王のブログをお気に入りに入れてたりして(笑)。
 まあ、毎度いろんなものにすぐ影響される私です。
 でもこの本で、序盤戦、中盤戦、終盤戦で何をするのかっていう基本的な解説を読んでから、実家でじい様と将棋さしたら、久しぶりに白星取りました。もう今まで、角筋見逃しててこっちの飛車タダ取りされたりするようなヘッポコ将棋ばっか指してたんですが、目に見えてレベルアップ。
 ……まあ、今日やったらまた負けたんですけど(ぇ


 で、意外に面白かったこともあって、二冊目の方を書店で手に取りました。
 著者の渡辺竜王は、去年、将棋ソフト「ボナンザ」と公開対局をして話題になったそうで。
 チェスの世界チャンピオンがコンピュータに敗れた事は有名ですが、すわ将棋でもそれが起こるか、ということで注目されたのだそうです。
 その時の試合に焦点をあて、「ボナンザ」開発者と、渡辺竜王とにそれぞれ筆をとってもらったというのが二冊目の新書。あと、対談も入っています。


 面白かったのは、ボナンザ開発者の保木さんという方が、非常にクールというか、エンジニアチックな視線で将棋指しの人たちの感想を受け止めてたところでしょうか。

 コンピュータは、定義された数式に従って、最初から最後まで計算をしているにすぎない。それは、まさに機械的な作業だ。その計算結果に沿って指している。その指し手を見た人間が、「いま、ボナンザは困っている」などと人間的な評価をすることが、私にはおもしろくてたまらない。弱い間は「所詮機械」と笑い、強くなると人間扱いをして評価を下す。「渋い」もそうだが、これが人間の性なのだと思う。負けたボナンザに「無念」という言葉を使った記事もあった。

 冷徹な視線だなぁ、と思いました(笑)。
 確かに、機械が迷ったり、無念と思ったりするわけはないんで、そういう意味では保木さんの言葉は正しい。
 けど、十分に強かったコンピュータに対して、つい人間扱いをして語ってしまうのも「性」というか、それは勝負の場にいる人たちにとっては当然なんだろうとも思いました。
 相手と勝ち負けを競う場なんだけれども、その中で勝負が拮抗した時、「やるじゃないか」と思う時ってやっぱりあると思うんですよね。対戦相手への敬意というか、そういうものが芽生える瞬間ってある。
 それってやっぱり、自分は今の実力に辿り着くまでに、膨大な時間と力量を使って、技術を蓄積してきたわけで。その自分に拮抗するだけの事をしてきたなら、やはり相手もそれだけのエネルギーを費やしてきたはずだ、っていう直感があるんだと思います。だから、そのエネルギー、蓄積には自然と敬意、評価が芽生える。
 相手がコンピュータであっても、やっぱり習性として、そんな風に相手を評価してしまうというか、認めてしまう回路が人間の側にあるんでしょうね。それは、滑稽かもしれないけど、素敵な事だと思う。
 いわゆるスポーツマンシップってやつもそうだけど、互いに勝ち負けを競って、別に何か生産的なわけでもない勝負の世界で、それだけが美徳じゃないですか。そういうのが無くなったら、本当に醜悪な「勝利」の奪い合いしか残らない。韓国のラフプレーとかもそうですけど。
 まあ要するに、「礼節を失った戦いは、悲劇しか生まないのだ」(byトレーズ閣下)って事なんですか(そこにつなげるのか


 とはいえ、この本の中で、竜王も結構コンピュータに対して対抗意識を燃やしてもいるんですけどね(笑)。まあ、プロとして、コンピュータに負けられないという意地というわけで。


 もう一つ面白かったのは、ボナンザの開発者にとって、というかコンピュータ上のプログラムにとっての将棋感でしょうか。
 たとえば、オセロの世界においては、人は絶対コンピュータに勝てないのだそうで。というのも、8×8のマス目に石を交互に置いていって、全部埋まったら終わりというわけで、交互に打って60手で必ずゲームは終わるわけです。その程度なら、起こり得るすべての手をコンピュータは検索しつくす事ができると。
 すべての可能性を検討できるなら、これは人間にはもう太刀打ちできません。
 3×3のマス目で行う○×ゲームに必勝法があるように、オセロにも必勝法があると。そしてすべての手を検索し検討できるコンピュータにならそれが見えている。これは勝てません。


 で、将棋でも理論上、その必勝法があるはずだと、こう言うわけです。
 これは将棋というゲームを知ってる人なら、誰しもギョッとする話だと思うんですが。
 無論現在は、そのすべての手を検索しつくすことは出来ないと保木さんは言っています。現在のコンピュータの性能では、フル稼働しても宇宙が終わるくらいまでの時間がかかると。
 しかし理論上では、将棋にも「必勝法があるはずだ」という。
 これは将棋プログラムの開発者の人でないと言えないセリフですよね(笑)。この見解に出会えただけでも、読んだ甲斐があったなと思いました。



 最後に。
 今回この二冊を読んで、将棋って面白いかも、とか思い始めたわけですが。
 ただ一つだけ、将棋業界ってやっぱりファンの年齢層は高いんだろうなと思うんですが、なんか言語センスが時々アレだなぁと(ぇ
 最近発見された、中飛車の新しい戦法があるんだそうです。今までは受けに回りがちだった振り飛車でしたが、この戦法をとれば大胆に攻めることができる、そんな戦法。名づけて。


 ゴキゲン中飛車


 ……ゴキゲンてあなた(苦笑
 なんていうか、こう、死語―! って感じがそこはかとなく匂ってくるんですが気のせいですか。ナウなヤングって言われたようなこの心境。


 やっぱさぁ、若い世代にも将棋に親しんでもらうために、ネーミングセンスは大切ですよね。
 こう、いっそのこと、戦法の名前とかは中二病全開でいってみるってのはどうでしょう?


 くらえ! 絶・四間飛車アルティメット・イリュージョン!!!


 みたいな(えぇ〜