乳と卵


乳と卵

乳と卵


 どうしたわけか、友人に唆されて芥川賞受賞作とか読んでみたり。
 どうでも良い話ですが、このタイトル見るたびに「ミルクセーキ!」と思ってしまう私。甘党なんで大好きなんですけど、最近飲んでないなぁ。
 新宿周辺で、おいしいミルクセーキ飲める喫茶店があったら私に教えてくだちい。


 さて、小説ですが。
 まず何よりも、面白かったと書いておきます。
 つまずく事なく、するすると最後まで読める。ところどころで、ちょっと笑い、苦笑いなんかがついつい口の端に出てきたりして。
 この日常のしょーもない感じが、特にてらいもなく、変な力みもなく、自然に出てきてるのは良いですね。こちらも肩肘張らずに読み進められるし。


 で、先に釘を刺しておきますが、私、文学的な、難しい感想を書く気は全然ありません。ていうか、そもそも難しい話はできません。
 私の感想といえば、それはもう、「緑子はええ子やなぁ」とか、そんな感じです(笑)。


 とにかく、緑子の書いた事、その感覚は非常によく分かる気がしました。
 なんていうんだろ、もう身も蓋もなく言ってしまえば、「自分の体って、気持ち悪いよね」っていう(えぇ〜
 日常生活おくってて、ふとした瞬間、軽く出血しちゃった時とか。痛いっていうのとは別に、なんかすごーく嫌な感じがしませんか?
 とかく現代生活おくってると、食事に出てくるものも垢抜けてるし、排泄も水洗トイレで綺麗さっぱりって具合なんで、たまに「自分が生き物である」ことを思い出させられると、なんかすごい戸惑ってしまいます。
 まして、生物学的・医学的見地でのことを耳にして、それを自分に当てはめてみたりすると、その戸惑いは余計深くなります。たとえば、「あなたの体は何十兆個の細胞で構成されてます」とかね。それが全部、今も、全身で絶え間なくうぞうぞ動き続けてますって。あんまり心穏やかに聞けるお話じゃありませんわいな。


 で、私は男性なんで想像しかできませんが、女性にとっての妊娠出産関係のことって、その極みなんじゃないかと思うんで。
 自分の中からもう一つ命が出てくるって、「そういうもんだ」という納得ができてないと、かなり戸惑う感覚なんじゃないかなぁ、とか推測します。
 その「そういうもんだ」っていう感覚も、今なかなか持ちにくいかもね。我が家では先日、弟夫婦が子供を連れて来て、祖父母がそりゃあもう、3時間くらいぶっ続けであやしてましたが。多分、そういう感じで、普段厳つい感じの人まで身内の赤ん坊を相好崩してあやしたりしてて、それを横で見ててふと母親に「お前が生まれた時もこうだったんだよ」とか言われて……っていう、素朴な祝福の空気というか、そういうのに肌で触れるっていう経験があるか無いかって結構重要なんだろうなぁ、とか。子供を生むって、そういうのを肌で感じてないとやっぱり心情的に厳しいかも知れないなぁとか推測。生理で血が出るとかいうのも、その祝福感と結びつけて理解できなかったら、やっぱりつらいんじゃないかなぁ。
 でも、そういう経験も今の人は相対的に、できないまま大人になっちゃうケースも多くなってるかもしれない。


 ……と長くなりましたが、そういう意味で緑子の抱いてる悩みは現代的、なのかも知れんなぁと思ったり。


 それにしても、うん、本当に緑子は良い子だ。


 一方、もう一つのテーマである豊胸手術ですが、こちらについては私は全然知識なかったんで、なんていうかもう、ずっと「そーなのかー」っていう感じで読んでました。
 緑子みたいな戸惑いがある一方で、豊胸手術に見るような、自分の体を好きなように変更するっていう見方もある、と。まあ、要するにスペックアップするというか、カスタマイズするというか。
 その辺の悲喜こもごもも、まあ殿方の身ではなかなか聞く機会もない話なんで、色々興味深く読みました。まぁ、頭の片隅でずっとルーミアが「そーなのかー」言いっぱなしでしたが。


 というわけで、文学なんか全然読んでないよっていう読者でも、普通の一般の生活の丈に合った、非常に身近な中で行われる話なので、読みやすいと思います。
 セリフと地の文が混在となった、まくしたてるような文体もこれで読みにくいって事がなくて、かえって読み手の勢いがつくっていうこのバランス感覚はなかなか上手いと思います。
 というわけで、なかなか堪能しました。たまにはこういうの読むのも良いですね。