先日の日記へのレス
先日の、3月31日の記事のコメントにて、しめさば氏と若干のやりとりがあったのですが。
まあ例によって、私の方でとりとめのない事をうだうだ書き連ねるという悪癖によりそれっきりになってしまいましたが……。
まぁ、我ながら相変わらず文意のあいまいな、詰めの甘い文章書いてるよなぁと、自分で読み返して呆れてみたり。
結局、一読者、一プレイヤーとして発言しているはずが、いつの間にか作り手側の視点で意見を言い始めたりするのが私の悪癖で。なまじ創作に手を染めてるからなんでしょうけどね。
現実の殺人事件について、その犯行と『ひぐらしのなく頃に』などの一部作品との関連が取り沙汰されてマスコミなどで非難される。
無論、その作品や作者には直接の責任はないし、それでその作品が非難・否定されるのもおかしな話だと、それはそう思います。
ただ、自分でも小説とか書いてる身として、「そんなのは事件起こしたやつがバカだっただけだ」で済ます気にはあんまりなれない。
中学時代、手慰みにバカな小説書いた事があったんですよ。『およげたいやきくん』をノベライズするという、もう当時から俺バカだったなぁっていうアホな代物だったんですけど。
で、なんとなくそれを、当時手紙のやりとりしてた文通相手に送ったんですね。バカやったから見てみて、ぐらいの気持ちで。
ところが、その返事で、「Taoさんの小説読んで、やっぱり自由は良いなと思って、生まれて初めて学校サボっちゃいました」とか書かれて、当時純真だった(笑)私はものすごく戸惑ったりしました。
まあ、学校ズルけるくらい他愛もない事なんですが、当時の私は超クソ真面目学生で、学校のルールを破るなんて考えもしないという可愛くないヤツだったわけで。この一文に衝撃を受けたのを覚えています。
あるいは、現在もルロイさんのところで公開していただいてるガンダムの二次創作作品を読んだ読者の方が感想を送ってくれたんですけど、その人は私の文章を読んで「自分の命の声を聞く、という経験ができました」って言うんですよ。
私は単に、ニュータイプの感覚を描写するとしたらこうかな、程度で書いたわけなんですが、その読者の方は、そんな私の文章を読んでほとんど宗教体験めいた感覚にまで至ってしまったとおっしゃる。
無論そんな風に読んでもらっても良いんですが。しかし、自分の生み出したテキストが、私の思惑を超えて、私の想像を超えた影響を読者に与えているというのを実体験して、ものすごく戸惑った覚えがあります。
まあ、そうしたいくつかの体験をした身として、不特定多数に作品を発表する場合に、自分の作品が、思いもしなかったとんでもない読まれ方、受け取られ方をしているかもしれないという恐怖感無しにこうした問題を考える事ができません。
自分の作品を読んだ人が、まかり間違って自殺しちゃうかもしれない。人を殺してしまうかも知れない。無論その場合でも私や私の作品に、法的な責任は(よほど内容がマズイものでもない限り)存在しないでしょう。そんなのは結局はやらかした本人の問題なんで、作者私は「知った事か」と言ってしまって良い。
けど。一方で、私の作品が関わった事、意図しなかった形とはいえ影響を与えたという部分まで否定するのも、この場合違うよね、という事です。少なくとも、そんな事態になったら作者私は寝覚めが悪い。
作品を作るという行為自体は、自由であって良い。
けれどその作品を広く公に開示し、流通させ、あまつさえ商品として売り出すならば、そうして多くの人の目に留まるものである以上、一定の配慮は要るとは言えると思うわけです。
無論だからといって、作品の中から暴力性や性的な表現やその他もろもろの表現を排除するというのは違う。作品を作る上では、どれほどの残虐性でも選択肢の中に入っていて良い。たびたび引いている、私の小説上の師の言葉を借りるなら「創作とは、自分の中のもっとも残酷な部分と最も純粋で綺麗な部分が参加していなければ高みに昇れないものだ」というのは本当だと思うわけで。そこを切り捨ててしまったら、ただ安定しただけの、つまらない作品しか生まれてこないでしょう。
一方で。
作品から過激さや残虐さなどを排除すべきではない。けど、その作品と受け手との間の距離感を調節してやる事はできるはずです。パッケージングの工夫や、ゾーニングなどがこれにあたります。
そういう部分でなら、まだ努力できる余地だって残っているかもしれないよね、っていう話。
『ガンダムvsガンダム』についても、一つにはそういう視点から、「わざわざ核なんて使わなくても、∀ガンダムを特徴付けしてゲームに出す事はできただろうに」という違和感もあったわけです。そこにそんなに必然性があったのか? どうしても核じゃなきゃいけなかったのか。
そこで核爆弾という要素を入れることで、「作り手の予期しない影響」が生ずる恐れが大きくなるんじゃないかという事。そういうリスクを犯してでも入れなければいけない要素だったのかどうか。作り手側にそうした一種の覚悟はあったのかどうか。少々神経質かも知れませんが、私がもし作り手だったら、そこで「核」という要素を入れる事に、臆病にならざるを得ない。
まあ、そういう難しい話抜きで、「俺のロランに何てことさせるんだゴラァ」って気持ちももちろんあったんですけどね。
そんな感じ。