そもそも刑事裁判って何のためにあるんだっけ?
http://www.asahi.com/national/update/0422/OSK200804220110.html
厳罰を求める世論に加えて、「被害者参加制度」も今年中に始まる。犯罪被害者や遺族が法廷で検察官の隣に座り、被告や証人に直接問いただしたり、検察官とは別に「死刑を求めます」と独自に厳しい求刑ができたりするようになる。
うへ、知らなかった。初耳。
ていうか何だそれ。何がしたいんだ?
刑事裁判って、犯罪被害者やその遺族の慰撫のためにするものだったっけ?
それも皆無じゃないだろうけど、基本的には社会全体を円滑に運営するために、その秩序を乱した連中にペナルティを加えるためのものだと何となく認識してたんですが、私。え、違うの?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4
んー?
まあ、そりゃあ犯罪被害者やその遺族はね、「死刑にしろ!」って主張しても別に良いと思う。その気持ちは当然のものだし、仕方の無いものだし。
けどさぁ、そんな感情任せばっかりじゃグダグダになるから、権威ある第三者が調整する、ってことですよねぇ。
あくまで裁判所の目的は「社会秩序を乱した」事に対してペナルティを与える事であって……そのペナルティが行き過ぎればかえって社会にマイナスになるから(極端な話をするなら、ハムラビ法典の「目には目を」を思い浮かべれば良い。過失で相手の目を潰しちゃったら、自分も罰として同じように目を潰されてしまう、となったら萎縮してしまって誰も何も出来なくなってしまうわけで)、あくまで事務的に、一定のペナルティを課していくもんだと思ってたんですけど。
それで遺族や犯罪被害者の気がすまないなら、その時は民事訴訟してね、みたいな。
なんだろうなぁ。結局みんな、被害者や遺族の味方なんだなって、それは別に悪い事じゃないんですけれども。
個人的に尊敬しているWEB上の文章書きの、jounoさんの大昔の文章を引用してみる。
たとえば、人を殺すのが悪かどうかと云う問いと、ひとを殺したものを殺すのは、あるいは殴るのは、あるいは云々するのは善か悪かという問いは、まったく別にたてられるべきだろう。ふたつの別のことを混同するから、悪人は何をされても文句をいえない、などと狂信的なことを考えてしまうのである。
私もそう思う。
犯罪を犯した者がいる。そして、「その犯罪者を死刑にしろと主張する者」の善悪はそれとは別に問う事ができるし、考えなくてはいけない。
時に、被害者こそが最も加害者になりやすい、なんて事もあるわけで。
とまぁ、そんなわけで。
刑事裁判ってそもそも何のためにあるんだっけ――なんてことを考えてみたりする、明け方。
ついでに、jounoさんの現在のブログへリンク。
http://d.hatena.ne.jp/jouno/