役行者と修験道


役行者と修験道―宗教はどこに始まったのか (ウェッジ選書)

役行者と修験道―宗教はどこに始まったのか (ウェッジ選書)


 相変わらずちょこちょこと続けているお勉強、修験道関係の情報を入れておきたくて、その辺の棚からお値段安めのやつをチョイスして購入。


 結論から言うと、イマイチでした。
 話は散り散りで論旨が不明確で、ところどころ出展などの情報も分かりにくく、私のように単に情報が欲しい読者にとっては半端な印象が拭えません。
 つーか、仮にも学者で通ってる人が、明確な論理展開のないまま「なんとなくほら、こんな感じなんだよ、分かるだろ?」みたいな語り方をするなと。似通った事例を二つ三つ並べたくらいで、何かを論証した気になってる人がなんでこんなに多いんだろうか。しかもそういうのに限って、少ない事例から全体共通の大きな法則性みたいなのを導き出したがるし。


 そしてこの本の後半は、ほとんど著者の説教と化しています。それも、著者の宗教体験をそのまま現代批判につなげちゃってる、ありがちな。
 だって、この本の第七章のタイトル、「修験道と情報化社会」だぜ?

 日本人の多くが携帯電話を持ち、日々、PC(パーソナル・コンピューター)を操作し、ときに画面上の情報に一喜一憂するこんにち、いっさいの人工的な情報から離れた山中に心身を擲ち、無防備の人間が自然に向き合うことにどんな意味があるのか。


 と、著者は問いを立てます。
 で、その答えがこうだ。修験道での修行体験の描写を挟んで、

 (前略)心身の安定を逆転させるような行の連続。ここには知識も、役に立つと思われた情報の多くも、なんの意味も持たない。実感されるのは、自分という存在の小ささ、肉体の弱さ、自然が自然としてなんの誇張もなく、そこに生きていることへの畏敬の思いである。


 目の前のオオヤマレンゲの花弁に揺れる水滴が、霧を分けた朝の光を受け、水の色を幾色にも変える。早朝の小休止の一瞬に出会った一滴の水が、私の内面に新しいことばを生む。
 これがいのちの情報なのだ。これが情報化社会にこそ求められなくてはならない始原の情報なのだ。


 ……まあ、「私」を一人称に語り始めてる時点で、かなり怪しい感じなんですが。少なくともこの辺、学者の言葉じゃないよね。私はこんな説教を聞かされるために金払ったんじゃないし。


 結局この人、エピローグでは、修験道の精神が地球環境問題とも響きあうとか言い始めてしまうわけで。
 何ていうかさぁ、こんなこと書いた程度で、何か前向きな問題提起の発言したつもりに本当になってるとしたら、この本の書き手は相当おめでたい人種だとしか思えない。
 だってそうでしょ、情報化社会の問題点や弊害を言う、それに対して修験道の修行体験を対置する。けど、それって個人的な感想の域を全然出てないじゃないのさ。ためしにじゃあ、その辺の会社の偉い人を捕まえて同じ修行させてみなよ。多分そいつは、書店の自己啓発本に載ってるようなありきたりな感想を修行体験から引き出して、「これでさらに自分を磨けた、さあ明日からまた前向きに、経済活動頑張ろう」って言って、勝ち組負け組を無限に作り出す、環境破壊を併発する、そんな情報化社会・経済生活に平然と戻っていくに決まっている。
 宗教体験をするのは良いんですよ。それは得がたいものですよ。けど、だからってその体験をそのまま持ち出して現代生活の問題点と対置して、「やっぱ現代生活は駄目だ」なんて公の出版物の中で言って、一体何になるというのか。なに、みんな出家者になれって言ってるの?


 以前、『仏教と資本主義』って新潮新書の本読んだ時も思ったんですけどね……著者はお坊さんなんですけど、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を、日本の仏教と照らし合わせてその類似点を指摘したり、結構面白いこといろいろ書いてたんですけど。
 一番最後の最後で、そうした資本主義の生み出す歪みについて言及した後、それを解決するのは「仏教の利他の思想じゃないでしょうか」とか言い始めて盛大にズッコケた覚えがあったりします。
 利他の思想なんて、今の経済システムの中で広がっていくわけないじゃない。現在の市場競争が前提のシステムでは、利他の思想なんて構造的に成立しようがない。お前どっかのスーパーの店長でも一年くらいやらせてもらえよ、その後でも同じ事言えるのか? とか思ったりして。
 宗教体験を持ち出す時、それで現代の問題点と対置させたいなら、せめてもっと世俗の目線から問題点とじっくり向き合って、その上で宗教体験を一般化して語ってくれなければ、在俗の間の問題なんて解決できるわけがない。結局、何の提言にもなっていやしない。
 ねぇ、現代社会のいろんな所取り出して、「この部分は駄目だ」なんて、それこそライトノベルの作者の若造にだって言える事ですよ。中学生にだって言える。
 けど、まさにその問題は我々の社会が生み出したもんで、しかもそれは誰かの悪意によるんでは必ずしもなくて、現場では各々が、それぞれなりに一生懸命英知を振り絞って考えて最善を尽しているのに、全体としてはそういう問題を生み出している。
 自己啓発本読んでる人たちだって最善を尽してるわけです。自分の立ち位置で精一杯やって、経済競争に勝って、その結果負かされた側が会社倒産して首括ってとかリストラしてとかやってるわけじゃないですか。
 そういうところまで視野に入れた上で発言してくれなきゃ意味がない。


 私も現在、自慢じゃないですが派遣社員と大差ない非正規雇用身分ですからね。この手の事にはどうしてもナイーヴです。いやまぁ、こと私に関しては自業自得の面もあるんだけどね(何故かここで弱気になる
 だからなのか何なのか、こういう呑気な、問題提起以前の、ある意味稚拙な現代批判が宗教関係者の口から出ると、どうもイライラしてしょうがない。
 結局、仏教とかその辺の人たちは、現在の我々の状況に対して頼りにならないのかな、とか思ってしまう。


 とまぁ、一つ上の記事で「感情的に書くのは良くない」と書いた舌の根も乾かぬうちにまたこんな筆が走りまくった記事書いてるわけですが。
 まぁとにかく、癇に障ったということで(ぇ


 あ、なお、この本ですが、図版はそれなりに充実しています。そこは買えるかなぁと思ったり。
 そんなところで。