「ジャンル」は最早そんなに重要ではないという話、要約


 我ながら、昨日の記事はあまりにも読みにくい記事だなぁと思えたので、要約します。
 要するにこういう事です。



・そのジャンルの権威たる先生と良い付き合いをしていなければ、自分の作品の評価が為されないような状況なんかよりも、ともあれ作品自身の力だけがただ純粋に評価される場の方が、クリエイターにとっては良いに決まっている。


・そして、そうした文壇・画壇・論壇などの政治的な関わりあいを拒んで、なおかつ作品に読者を呼び、評価されるようなシステムがインターネットという場では可能である。


・従って今後、創作作品はどんどんそういう風になっていく。



 細部を端折ってしまえば、要するにそういう事です。
 かつては、そのジャンルの偉い先生に認めてもらったり、賞を取ったり、もしくは『このミス』みたいな雑誌で上位に来たりという形で評価されないと、自分の創作作品は広く世間的に認められなかった。
 けれど今はインターネット経由で「口コミ」がネットワークとなってさまざまな作品をカバーしているわけで、そうするともう、偉い先生のお墨付きがなくても「これ凄いよ!」っていう評価がダイレクトに、不特定多数の読者から下される。
 そうするともう、作家同士が文壇みたいなのを形成して親密になって、時に政治的な派閥を生んで、そうした中から作品を生み出していくっていう形は不要になるわけです。ただ作品だけがそこにある、作品がまず評価される。作者のプロフィールなんかぞんざいで良い、匿名だって構わない、そういう風になってきてるんだろうな、という風に思うわけで。


 そういう時期に来ていたので、もう奈須きのこが、「あの笠井潔」から破格の褒め言葉をいただいても、実は大して影響はなくて。それよりも、ネットを通じて膨大なファン層がダイレクトにType Moonを評価しているという、その方が重要になってくる。
 もはやジャンル分けは、ただの作品を探すための便宜以上ではなく。SFやミステリーはただの「作品を面白くするためのツール」に過ぎなくなる。
 ここ数年のエンタメを覆っているのは、そういう雰囲気なんですよ、という事なんだと思います。


 もちろん、こうした創作の傾向にもマイナスはあると思いますけれども(たとえば、作品が評価を下す不特定多数の”空気”に媚びるようになる事)、けれどそれでも、今の状況は創作をしている人たちにとっては、いつになく可能性の開かれた時代なのかも知れないな、と思ったりする。
 こうした状況から何が生まれるのか(もしくは何も生まれないのか)、せっかく同時代に生まれたのだから見届けたいなと思っていたりします。
 もちろん小説書きとして、そこに勝負を仕掛けていくのも面白そうだしね。