空海の風景・下


空海の風景〈下〉 (中公文庫)

空海の風景〈下〉 (中公文庫)


 上巻に引き続き読了。
 とにもかくにも、面白かったです。これが凄い作品だって言う事は、まぎれもないなぁという感じ。


 下巻は空海が入唐して長安に入ってから、恵果に密教を伝授され、帰国し、真言宗を立ち上げて亡くなるまでを追います。内容としては空海の史実を中心に、当時の政治情勢や最澄との関係をメインに語っていく感じです。
 読後感として奇妙だったのは、たとえば入唐から帰朝までをあれだけ克明に、細かい時間の刻みの中で逐一その行動を追っていった筆致が、空海の晩年に至るに及んで非常にかいつまんだような、アウトラインをなぞるような形になっていったような気がする事です。最澄との断交までを描いた後は、空海の書について一章、高野山について一章、空海の入滅について一章を書いただけです。
 また、結局司馬氏は、空海の構築した教義部分などについては深入りしないスタンスを貫いています。ですから、「風信帖」や『文鏡秘府論』には言及しても、『吽字義』などのような空海密教理論についての著作にはほとんど言及しません。
 その辺、ある意味で司馬氏の姿勢はすごく徹底されています。彼の目的は空海の思想を追う事では必ずしもなく、その事績を網羅する事でもなく、あくまで空海の実像をほんのわずかでも実感する事だったと。
 空海の晩年を詳細に綴ることをしなかったのは、まあ小説としては空海がずっと経机について執筆をしていたりするだけでは映えないといった事情もあったかも知れませんが、結局は「もし空海の衣のひるがえりのようなものでもわずかに瞥見できればそこで筆を擱こうと思った」と自身書いている、その通りの事が起こったのでしょう。


 では、司馬氏が見た空海の実像、その実感というのはどこにあったのか。
 巻末の解説で大野信氏が、それは不空との対比の中で語られた、自らが日本の中で異種の者であるという認識であると書いています。
 ……が、私の意見はちょっと違って。恐らく、空海長安を懐かしむ気持ち、そこを描いた時だったんじゃないかなと。司馬氏が見た人間空海は、長安での日々を懐かしんで、高野山長安を彷彿させる街並みを作り、長安での行事に似た万灯会を開催した、そういう人物だったのかなという気がします。
 この事は、作中で空海長安を離れるシーンから、繰り返し何度も述べられていましたし。一代で密教を理論化した宗教家・思想家であり、希代の書の名人であり、芸術家であり、満能池を作ったり寺の設計に関わったりした事業家でもあり……とかくその膨大な目映いばかりの事績に圧倒されて、等身大の空海を思う事の困難というのは大変なものなんですが、司馬氏は上記の空海の感情にピントを合わせる事で、言葉通り空海に会う事ができたのでしょうか。
 これは、生半な学者を凌ぐほどの量の史料にあたり、なおかつ小説としてそれらを再構成する司馬氏のスタイルだからこそあるいは可能だったのかな、とも。


 とかく、司馬遼太郎の本気を見た思いです。ある意味、すごい力技なんですけどね(笑)。


 あと細かい部分についてですが、空海最澄の関係については、ちょっと身につまされるお話でした。最澄仏道に対する一途さは、けど晩年どんどん空回りしていって、空海からも見限られてしまう。なんというか。
 あるいは天才と秀才って、互いに相性悪いのかもね(笑)。