ヱヴァンゲリヲン:破


 なんかやたらと評判が良いので、見に行ってきましたよ。
 当然のようにネタバレ感想なので、未見の方は注意されたし。




 いやー、本当に実にびっくりしましたよ。


 まさかエヴァが目から怪光線を発するなんて!!!(そこかよ



 ……冗談はさておき。
 たしかにこれは評判になるだけはあるなぁと思いました。画面から迫って来る力が半端ない。


 特にアスカも交えての初の3人での出撃(使徒の名前とか忘れたw)で、エヴァがとにかく全力疾走するシーンの、文字通りの疾走感がもう。あの迫力だけで見に行く価値があった。
 そういうパワーのあるシーンにどんどん引き込まれて、見てる自分が「うおおおおおおおおっ!」ってなる時の感じは映画の醍醐味ですね(もちろん実際に声出したりはしないけど)。そういう意味で本当に楽しんだ。


 また、序盤を見て妙に感動したのが、「序」でもそうでしたが、TV版に比べてしっかりと社会が描かれていること。第3新東京市が、きちんと人が住んで生活してる都市になってる事でした。背景でビルが急速に伸びていく中を通勤する人たちの絵とか。
 そしてそれに合わせて、たとえば歩道橋の階段がエスカレーターになってたりするのも、無理のない、ちょっとだけ魅力的な「近未来」の姿に思えて、それもちょっと感動した。
 なんだろう、私が小学校低学年くらいまで、つまり1980年代くらいまで、自動車がチューブの中を走って人間は宇宙に進出しててみたいな、「夢と希望にあふれた近未来」がまださかんに描かれてたんですよ。NHKで「21世紀」なんて歌が流れたり。
 ところが、私が思春期を迎えたあたりからそういうのはほとんど鳴りを潜めてしまって、今日に至るまで「希望にあふれた未来像」なんて見た試しがなかった。
 それが今回の映画版、第3新東京市の描写でひょっこりそんな感覚に再会したような気がして、懐かしいような奇妙な感動をしてしまったのでした。この感覚はちょっと言葉にしづらいなぁ。実際に我々の未来が希望にあふれてるかといえばそんな事はないわけで(環境問題だけでもお腹一杯なくらい不安でいっぱいなわけですが)、そして劇中の街も常に使徒の脅威に晒されてて、使徒がやられた後の体液で街中血だらけになるようなデンジャラスな街なんですけども(笑)。にも拘らず、そこで描かれた未来都市にちょっとだけときめいてしまった。


 私だけの感覚かも知れないけど、たとえば歩道橋の階段がエスカレーターになってるだけで、ぼくらは「明るい発展」を感じられるのかなぁ、とか。普段町中を歩いてても、どんなに高層ビルとか駅前の風景とかが小奇麗に派手になっていっても、結局地元の歩道橋や公園や道路や電柱やが古びて寂れてると、自分たちの生活が新しく更新された気にはなれなくて。
 21世紀の我々に、かつて20世紀に夢見た「明るい未来」が来なかった理由の一つは、そういう所をおろそかにしてきたからなのかな、とか考えたりもします。
 ……って、こんなことばっかり書いてたら全然エヴァの感想にならないなw



 真希波さんについては、今回の出番だけでは私は何とも言いきれないのでパスします。その辺は、グダさんのこの辺の言及が結構鋭いところ突いてる気がするけれども。


ヱヴァンゲリヲン破、ネタバレ3 真希波・マリ・イラストリアスは虚ろなライトヲタ - 玖足手帖(夏至
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20090702/1246515857


 とりあえず冒頭の5号機のシーンは、暗くて何が起こってるのかよく分からなかったw
 確かにルンルン気分でひたすらエグいバトルをするのが異様だったのですが、他のキャラとの絡みが少ないので私は判断保留かな。
 とりあえずシンジに激突した後の、「メガネメガネ……」の古典ギャグには苦笑せざるをえない。昭和っぽいキャラをかぶるにしても、咄嗟にそこまで出来れば立派なもんです(何



 で、今回綾波の印象がかなり変わったわけですが。
 とりあえず彼女がゲンドウにお食事会を提案するところで私大興奮。え、ゲンドウお食事しちゃうの? お食事しちゃうの!? みたいな。
 ……先にゲンドウの話しよう(ぇ
 いや、ゲンドウが妙に息子の事気にかけてる的なシーンがあって、そのたびに妙にドキドキでした。TV版を見たのはもう大昔なんで覚えてないわけで、だからTV版にもあったシーンだったのかも知れませんが、とにかくゲンドウ今回けっこう息子気にかけてる? みたいな印象があったりなかったり。
 お食事会承認して、実際車で向かってたとかシビれます(ぇ  いや、実現しなかったけどそれ見たかったなぁ。シンジ、レイ、アスカ、ミサト、リツコなど若いのに囲まれてどぎまぎするゲンドウ司令見たかった!(笑) ちくしょう使徒め空気読め。
 もちろん、その3号機の件で、ダミープラグ使用という形で冷酷な決断をするわけですけど。
 しかしその後、シンジがネルフを去ろうとした時に、呼び止めて説得を試みたりするんだよなぁ。「大人になれ」とか。
 なんだろう、富野監督で言うところのF91、自身が親の世代になったことで、子供にたいして多少「親の事もわかってくれよ」というような症候群が庵野監督にも出たんでしょうかね。
 とにかく今回、ゲンドウさんの一挙手一投足に大興奮の私でした。エヴァを見る視点として明らかに間違っていると言わざるを得ない。



 ……で、何の話だっけ、えっと……そうだ、レイね。
 なんか今回、綾波さんが普通の良い子状態になってて、あれこの子こんなんだっけ?的な戸惑いが多少ありました。
 まさかのお料理大作戦もだし、アスカに対して「私は人形じゃない」とキッパリ言ってのけるところも。TV版の「人造美少女の悲哀」みたいなところからはもう抜け出てて、普通にヒロインしてるのが新鮮でもあり、違和感でもあり。まあ普通にヒロインとして見ると、お料理作戦はいささか古典的ですが。まあしかし、ミサトさんも言うように、こういう古典的でストレートなのが効くわけですけどね(笑)。
 いやしかし、これでアスカまでお料理始めてしまって、よもや『Fate/Stay night』のようなお料理活劇アクションになるのかしらとドキドキしながら見てましたw 毎回戦闘と戦闘の間の日常シーンでは料理合戦が! みたいな。


 ただなんか、綾波さんの健気度がアップするに及んで、しかし元からの彼女の魅力(としてりかいされていた部分)、感情を表に出さないというところが薄まってしまって、ヒロインとしては多少薄まってしまったような印象もあり。
 ただ、その料理を頑張っていたところで、結局アスカと同じように手に絆創膏を貼っている事から相互理解が少しだけ起こって、後のアスカの譲歩につながる辺りは演出としてはすごく上手かったなぁという感じ。



 そしてシンジ君。
 かつて、宇野常寛氏にセカイ系作品の主人公代表として、「碇シンジでは夜神月を止められない」なんて言い回しにまでされた僕らのシンジ君ですが、今回の彼はだいぶ印象が違いますね。やっぱり。
 特に、序でのいじけて出て行くのとは違う、ゲンドウと面と向かって決別して見せる様子には、何ともいえない感慨を感じたのでした。
 総じて3号機絡みの顛末で、あぁ以前のシンジ君とかなり違って来てるなぁという感触はあったのですが。
 しかしそれにも関わらず、まだシンジ君はあの段階で「逃げ」てもいたわけですね。アスカの容態を聞こうとしていない事が結局そういう事で、そこで彼女がどうなったのかを聞いていればまた違う事態との向き合い方があったのですが、それをせずにネルフを後にしたという。
 そういう意味では、Qでアスカと再会した時に、あらためて彼が何と言うかという問題はまだ残ってるのですけども。
 しかしそれでも、「綾波を返せ!」という一念でエヴァを覚醒させたのには驚き。そして何より、綾波の「私が死んでも代わりはいるもの」を否定したところで、今回の映画版が過去のエヴァとは違う所へ行こうとしている、その意志を強く感じました。
 確かに、シンジに料理を食べさせるため、指を切り傷だらけにした綾波は、他のどこにもいない。その絆があるからシンジ君もTV版の時より頑張れてるわけで、この辺の各キャラと全体の流れとの連携、脚本の練り込みも大したものだと思います。


 ちなみに、使徒から綾波を助け出そうと手を伸ばしたシンジ君を見て、もののけ姫のアシタカとサンを思い出したのは俺だけでいい(何



 で、なんか人を超えちゃったらしいエヴァ、ラストでいきなり頭上から槍をぶっ刺され。そして降臨する僕らのカヲル君。言うにこと欠いて、「今度こそ君を幸せにしてあげるよ」ときたもんだw
 今度こそ、というのはやはり過去のTVシリーズや、劇場版のEnd of Evangelionとかを指すんですかね。しかしカヲル君の口からそれを聞いても、嫌な予感しかしないのは何故だ(笑)。



 今回の劇場版を見ながら、何となく私が頻繁に連想するのは、富野監督の『∀ガンダム』だったり、もしくは『Zガンダム』劇場版だったりするのです。
 それは、全体的に過去に比べて健全な印象になってる(病的な部分が減少してる?)という事だったり、もしくはターンエーガンダムのコンセプトが「MSが地上を元気よく走りまわる」事だったことの連想だったり。
 そしてまた今回の「破」は、シンジと綾波およびアスカの変わり様とか、ミサトと加持とかを眺めながら、こりゃ副題に「恋人たち」ってつけても違和感ないなと思ったりもしてw まあ恋の1〜2歩手前くらいかも知れませんが。
 ああ、あとトウジと妹もあるか(待て


 そしてその比較から、別な感想も出て来まして。



 変わったといえばアスカも今回けっこう印象が変わったわけですが。
 いや初登場時の印象は全然変わってなくてむしろ笑ったけどw 
 結局シンジが弁当作るという形でアクションし、レイもそれに応えてアクションし、結果的にそれがアスカに通じていくんですが。そして気を利かせて3号機のパイロットを買って出る。そしてあの仕打ち。


 ただここで引っかかったのが、なんでここでシナリオが変わったのかなということ。よくよく考えてみると、アスカは「破」になってから出てきたキャラなわけで、それに比べるとトウジの方が「序」からいるキャラでシンジとも近しい存在だし、3号機の事件でああなった際の効果としても大きいのでは? と一瞬考えたのです。少なくとも今回の映画版だけを単独で考えればそう。
 しかし実際には、トウジよりもアスカが3号機に乗ってああなった方が、より視聴者にとって衝撃が大きかったと思われます。
 なんでかといえば、他でもなく、「惣流・アスカ・ラングレー」がエヴァの本放送以来、10年以上にわたって欠かさず再生産・再受容され続けてきたキャラだからですね。オフィシャル・同人関わらず。
 庵野監督はそこまで計算に入れて今回の映画版を設計していた。そしてそれこそが、Zガンダムの映画版に欠けていた視点でもあったのかなぁと、そんな事を思ったわけで。


 実際今回の「破」は、過去のエヴァを見た層を十分に意識した構成になっていました。それが一番分かりやすいのが3号機をめぐるエピソードです。シンジと日向マコトが3号機のパイロット誰かなという話をしているところで、手前に転がるサッカーボールとトウジの足を象徴的に映し、「ああ、トウジが怪我するエピソードが今回もあるのか」と視聴者に思わせる。
 そこでフェイントをかけておいて、しかし3号機テスト当日、トウジが本当に妹の退院に立ち会っているという話、そして本当に妹とトウジが一緒にいる映像を挿入する事で、今回の3号機パイロットがトウジでない事を明示する。その瞬間に、視聴者はアスカが3号機に乗る事に思い当って戦慄する……。
 この行程が、かなり意識的に脚本されているわけですが、これはもちろん、観客が過去のエヴァのストーリーを知っており、それと比較しながら作品を見ている事を前提にしています。その上で仕掛けている。


 富野監督はその辺、根が妙に実直で一途な面があって、物語にも正攻法で当たってしまうからそういうメタな部分で観客をコントロールするというところに心が向かなかったのかなと思えます。
 特に「星の鼓動は愛」のネット上の感想で、展開が早すぎるというのをよく目にして、私自身は特にそんな印象はなかったのになんでだろうと思い、結局TV版では存在したエピソードを観客が勝手に映画版に入れ込んで想像してしまっており、そのせいで映画の構成以上に慌ただしい印象を持っているのだと考えた事がありました。映画版のストーリーではエピソードとして削られているのに、観客は「このシーンとこのシーンの間にあの事件があったはず」と思いこんでしまう。
 けれどそれは単に観客だけの問題ではなく、過去のTV版の映像も使用するというZ映画版での方針が、結果的に呼び込んだことでもある。


 今回のエヴァ映画版では、おそらくその反省点も踏まえているのだと思います。エピソードはなぞりつつも、たとえば事前に新キャラクターが存在する事を告示したり、TV版と違う展開・映像を入れていく事で「過去のTV版とは違うストーリー進行である」ことを印象づけて、観客に上記Z映画版で起こったような慌ただしさを感じさせる事を巧妙に回避しています。
 たとえば、今回の映画版を見ながら、「マグマダイバーのエピソードがなくなった」とは思っても、「この間にマグマダイバーの出来事があったはずだ、描かれてないだけで」と思った人は多分ほとんどいないはず。
 そういう意味で、過去シリーズを知悉しているだろう観客を意識した作品づくりをしている、その観客意識ぶりがまたエヴァらしくもあり(笑)。しかしそれがきっちり効果をあげているところが見事でもあります。
 もちろん、過去シリーズを見た事がない人が楽しめないわけでもない。たとえば3号機パイロットの件での「トウジがパイロットかな」というフェイント映像も、知らなければスルーして何とも思わない(違和感や疎外感を感じない)程度の描かれ方になっていますし。そういう配慮もした上で、過去のエヴァを知っていれば知っているだけ楽しめる小ネタも仕込む。
 そういうくすぐりは、さすが庵野監督と感じたところでした。



 というわけで、基本的に今回の「破」、かなり好印象で見終えました。
 まあ正直、初号機が覚醒した後、リツコさんが長台詞で人を超えたとか神がどうとかまくし立てるところは、さすがにちょっと「むぅ?」と思ったりしましたが。エヴァだからかろうじて許容できるけど、普通のエンタメで、全能の意味で「神になった」とか「神に近い」とか言われると大抵、悪い意味での中二病っぽい感触に「うぇぇぇぇぇ……」ってなるわけで。
 その辺がちょっと気になったかな。まぁ私もぼちぼちオッサンですからね……。最後の方、おいてけぼりにされる寸前状態ではありました。
 そんなわけで、締めの「Q」でどう出るか。今から期待と不安を抱えつつ待つ事にいたします。


 以上、感想でした。