華氏451度


華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)


 何故か唐突にSFを読む私。まったくのフィーリングと気まぐれで買って読んでみた。
 そして面白かった。


 本を読む事、本を所持する事、本から知識を得る事が法律違反になる近未来世界でのお話。人々は本を読む事をやめた代わりに、「海の貝」と呼ばれる機械を耳につけてそこから流れるラジオを聴き、壁一面がディスプレイになったテレビに映った架空の「家族」と会話し、時にはハイウェイを超高速で車を飛ばしてウサを晴らす。しかし実はそうした穏やかな世界の陰では自殺や戦争や中絶やといったもろもろの諸問題が人々の生活を着実に侵していて、けれどそういう気まずい事は周囲のメディアに覆い隠され、意識されないという。



 いや、これは怖かったです。何が怖いって、この小説の発表が1953年であって、そんな時代の作家の想像力通りに今の我々の生活が進んで行ってることが。
 だって上のあらすじの、「海の貝」を「iPod」と、「家族」を「みのもんた」と(マテ)読みかえたらほとんど現代の生活と変わりないわけです。これが恐怖でなくて何でしょう。
 いや本当に、この50年の間、人間は一体何をやってたんでしょうね? 50年前のSF作家の絶望的な未来像から、結局一歩も逃れる事が出来なかったなんて。


 松岡正剛先生は「千夜千冊」で、このブラッドベリの未来像と現代を引き比べてインターネット環境に現代の焚書を見ているのだけれども、
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0110.html
 個人的には逆で、インターネットだけは、この小説でブラッドベリが描いた未来像から唯一逃れ出てる、ブラッドベリが想像できなかったものだったと思うのです。この未来世界の閉塞に対するアンチを含んでいるんじゃないかと私は思うし、信じたいわけなのですが。確かにネットには問題も多いけど、この作中でモンターグとフェイバーを結び付けたような、そういう結びつきを作る効果も持ってるはずだと思うし。まあ半ばは私の願望ですけどね。



 しかしともあれ、この作品の巧みさと密度にはやられました。翻訳文体に対する苦手意識がやはり私の中にあったのだけれど、中盤ぐらいからそんなものは吹っ飛んでしまった。これはすごい。
 また、モンターグがフェイバーとの会話を元に、全く知らなかった本というものを徐々に経験していく、その描写がまた新鮮でもあり。
 SFっていうととにかく宇宙船が飛ぶものだ、程度の認識だった私にはなかなかショックでした。とにかく面白かった。


 50年前に書かれた作品ですが、全然古くなってないです。また古くなってないこと自体が戦慄でもありますが……むしろ今の時代だからこそ、この作品くらいの危機感が必要かもしれない。とにかくこれはもっと広く読まれて欲しい本だと思いました。超お勧め。