日本建築様式史


カラー版 日本建築様式史

カラー版 日本建築様式史


 先日の京都旅行で、金閣寺を見て建築様式に少々興味が湧きまして、ちょっと読んでみました。
 まぁ元々、こういう様式史みたいなのは一度は読んでみようとは思っていました。たとえば西洋の建築史なんかも。バロック様式とかゴシック様式とか、よく目にするわりに内実が分かってなかったりして。その辺はいずれ押さえなきゃなぁと思ってたり。
 そういうわけで、前からこの美術出版社のシリーズには目をつけていたのでした。カラー写真が多く、素人の私が勉強するには丁度良い。


 読み進めてみて、正直言ってわからずに戸惑う事も多少ありました。桔木(はねぎ)とか側柱(かわばしら)とか、肘木(ひじき)とか虹梁(こうりょう)とか言われても素人の私にはどの部分のことやら(笑)。巻末の名称一覧と照らし合わせながらどうにか読み進めるような状態。
 けどまぁ、知ってることばっかり読むよりは、こうやって知らないものと格闘してる方が楽しくもあり。


 いろいろ思う所はありましたが、やはり近世以降、急激に建築物が華やかにというか、派手になっていくのが印象的でした。もちろん一方で茶道、数寄屋造みたいなものもあったにせよ。寺社に関しては、とにかく庶民を呼んでいかないと経営が成り立たなくなっていて、その結果一般大衆受けする派手さが必要になってきたわけで。



 そしてもう一つ、明治維新を迎えて、建築様式が劇的に変わった時期のこと。なぜ日本は、西洋建築をわりとスムーズに受け入れる事が出来たのかという問題について語られた話で、建築に限らずこの時代全体への新鮮な示唆が得られました。
 何かというと、これに先立つ江戸時代、一種の「ひながた主義」というものが建築に携わる大工だちに広まっていたというのです。ひながたというのは、この場合は建築の細部に作る意匠、まぁ要するに飾りの模様の図案などですね。で、全体の構造をいじるよりも、細部の飾りを切り替え、あるいは選択する事で建物を作り分けていたと。
 実はこの傾向は西洋建築でも同時代にあって、折衷主義と呼ばれていたと言います。こちらもやはり、細部の飾りの膨大なパターン集があって、それを使い分ける事がメインで、建物の構造自体はそんなに変わらない。
 そのパターンというのが、ゴシックもバロックも、古代ギリシア風もアジア風もみんなあるわけです。それらを建築の用途に合わせて使い分け、場合によっては混在させる事もできた。なぜか。著者はこう言います。

(後略)各時代の、互いに異質であった歴史的モチーフを秩序だてるには、実は比較しようもないそれら各様式の優劣を相互に比較できるような、均質な基準が必要になるのである。この別次元の基準が、後の近代性(モダニズム)の萌芽であった。

 オタクである私に分かりやすく説明すれば、これは各ロボットアニメに対するスパロボのようなものです(笑)。それぞれのロボットアニメ同士は世界観も敵組織も、主人公メカの動くメカニズムも違うわけで、そのままでは互いを混在させることは出来ない。そこで、それぞれの能力を数値化してやって、彼らが互いに闘ったり協力したりできる、つまり共通して乗る事の出来る土俵としてのゲームシステムを作ってやる。異なるものを同じ土俵に乗せるシステムが出来てしまえば、あとはどんなロボットだろうがそのゲーム内に出せるわけです。
 それと同じシステムが、江戸時代の日本の建築のノウハウにあった、というわけですね。だからこそ、西洋の建築様式が入ってきた時にも、それを「ひながた」という形に消化して、同じ土俵に乗せて混ぜ合わせたりする事が出来た、というわけです。


 これは建築に限らず、他の分野や文物にも言えることなのだろうと思います。江戸時代の思想家や科学者たちは、明治を迎える前からそういった訓練をしていたのだろうなと。
 たとえば先日私は平賀源内の伝記を読んだわけですが、彼は中国の本草学を学ぶために漢文の素養を、先生について習うわけです。そうして中国の本草書を学びとるのですが、後にオランダの博物図譜も手にいれ、それを日本語に翻訳しようという企画を立てたのでした(実現しませんでしたが)。つまり、ここでは中国の本草学と西洋の博物学という、文化背景の違うもの同士が同じ土俵の上に乗せられている。源内はそのどちらの知識も援用する事が出来たわけです。
 江戸時代の思想や科学については私はまだあまり勉強できておらず、今後の課題となりますが、おそらくそういった、異なる文化・文脈、コンテキストにある情報同士をすり合わせるという思考・行動のシステムが、江戸時代にかなり色々と作られていたのかなと想像するのでした。それが、明治以降、日本が驚くほどの早さで西洋文化を消化していけた、理由の一つなのかなと思ったりしたのでした。
 少なくとも、そんなインスピレーションが拾えたというだけで、この本を読んだ価値があった。



 そして、現代。
 特に高度経済成長からバブル前後にかけての反省で、この本は閉められています。

・空間利用の効率化が、人の受容できるスケールを超えた巨大建築や、曖昧さに乏しく息苦しい都市空間を作り出したこと
・洗練された工業化製品が、時とともに風格を増す自然素材のような質感を獲得できず、不安定な環境を生んでしまったこと。
・意識性が、いつのまにか建築家の作家性に収束して、作意性の強い個性的なデザインの氾濫を招いたこと。


 これらはすべて、私も実地に東京を歩き回る中で感じた事でした。特に新宿や、まだ記事にしてないけど先日歩いた日比谷公園周辺の建築の異様さでひしひしと感じた事で。(うちのブログ「東京彷徨」タグ参照)
 そして、バブル期の地上げによって、町そのものがズタズタにされてしまった、と。


 こうして書籍の中で問題提起もされているわけですが、やっぱりこれを改善していくというのは、生半なことじゃないのですよねぇ。一体どうすれば良いんでしょうか。
 とりあえず私には、自分なりに街を歩いて、レポートの形で現状を報告していくくらいしか出来ませんが。


 そんなわけで、建築の通史を一通り見る、という以上の示唆をいろいろと得られた、有意義な読書でした。
 そのうち、西洋の建築史も読んでみたいなぁ。