Grimoire of Marisa


The Grimoire of Marisa(グリモワール オブ マリサ) (DNAメディアブックス)

The Grimoire of Marisa(グリモワール オブ マリサ) (DNAメディアブックス)


 オフィシャルの東方読み物、第三弾。今回は弾幕魔理沙が解説してくれる、という趣旨だそうで。


 例によって、神主のこれ系の本は面白いのでした。何がって、特に役に立つ事を書こうともしていない辺りが。
 あとがきで神主自身書いている通り、今さら東方弾幕の攻略本的なものをこの値段で出されても、あまり買う気にはなれない。また、神主自身が、その弾幕に込めたメッセージとかを解説するというのも、それはそれで鼻につく。
 そうじゃなくて、魔理沙という視点をフィルターにしてる辺りが相変わらず上手い。魔理沙が分からない事象については、全然見当違いの事が書いてあったりもする(笑)。その距離感が良いのですよ。「オレが言いたかったことはこうなんだよ、そのメッセージを受け取れ!」みたいな押しつけがましさがなくなってる。


 とりあえず中身を読んで、霊夢さんマジパネェと思ったり、なんだり。博麗の巫女のポテンシャル高いなぁ。
 あとは、巨大な金閣寺の一枚天井を持ち上げてうりうり踊っている輝夜さんを勝手に想像して勝手に噴いたりしてました(マテ  ていうか、文花帖で苦しんだあの弾幕は、そんなシュールな状況だったのか(笑)。


 他にも、神主がどんなイメージで各スペルカードを作っていたのかが分かるのが結構面白いです。キャラによって、使い魔(本書の呼び方では“奴隷”)を使うスペルカードをどのくらい作るかとかも結構考えられてるんだなぁとか。


 そして何より、やはり「遊び」としてのスペルカードを説いているところ。そこに東方ならではの味があるのでした。
 これが遊びでないただの戦いなら、最も効率的で最適な一撃を加えれば終わりで、これだけの多様なスペルカードは生まれない。


 以前、映画『ラスト・サムライ』の視聴感想で少し触れた事がありますが、かつて戦いの場は、お互いに修練を重ねた武士なり戦士なりが、互いの技をぶつけあう場であって。そのスタイルや流儀も様々生まれ、相手の技量が高ければライバルにも敬意を抱いたり、「戦いに礼節」が生まれる事もありました。
 それが近代戦争以降、崩れたわけですね。日々鍛練を繰り返した屈強な戦士が、爆弾一つで、毒ガス弾一つで、呆気なく死ぬという事が普通に起こることになった。
 ボタン一つで事が済むような戦いに、礼節が生まれるはずもなく。そのまま効率性だけを追い求めた戦いには、やがて流派とか技とかいった多様性もなくなっていった。


 話が大きすぎるようですが、神主のスペルカードに関する認識というのは、こういった状況に対するアンチなのですよ。いわば、ルールによって制限を設けて「お遊び」にして、ようやく「技を競い合う」という段階が戻って来るんですね。そうであればこそ、相手を即死させてはいけないのです。必ず抜けられる隙間を作らなければならない。
 それは効率性の面からは馬鹿らしい制限なのですが、そうする事で、東方の世界観という、この多様性が保たれているというわけで。


 まあ何というか。我々の社会にも、そういう「遊び」の要素はもっとあってもいいと思うんですけどね……。



 ちなみに、音楽CDはまだ聞いてません。最近PCのCDドライブの調子が悪くてね。