日本の庶民仏教



 けっこう昔に、古本市か何かで買って、積ん読してた本。


 五来重氏の本を読むのは2冊目くらいですか、かつて『日本人の地獄と極楽』という本を読んだ覚えがあります。そこでもやはり、修験道と山中地獄についていろいろと書いてあったなぁ。
 この本は、特定のお寺に定住して経典について議論したりするお坊さんではなく、日本全国の村々を歩いて、庶民相手に分かりやすく仏教を伝え歩いていた「聖(ひじり)」に焦点をあて、彼らが日本人の宗教観や仏教全体に与えた影響について書いた本。内容はさすがの濃さで、なかなか面白く読みました。


 ただし。
 著者は、仏教の哲学的な側面ばかり尊重し、実際に庶民と接して葬儀を行ったりする部分を「葬式仏教」「迷信仏教」などと卑下する事に憤然と抗議し、また文中でも庶民に根ざした信仰部分を顧みない学者や、庶民の生活から遠い富裕層などに対する嫌味・皮肉の類いをけっこう高頻度に織り交ぜながら論を進めたりしています。
 気持ちは分からなくもないですが、そういう感情的な文章というのは議論のバランスを崩しやすいもので。こういう文章の場合は基本、私は文意を1〜2割引きするフィルターをかけて読んでしまいます。
 学問は極力ニュートラルな姿勢でやらないとね。



 ともあれ、この本からはいろいろな示唆をもらいました。たとえば、高野山というと空海の開いた真言密教の山というイメージしかなかったのですが、11〜12世紀くらいには浄土信仰が入っていたという。しかもそれは、法然などの天台系の浄土宗ではなく、南都六宗、つまり奈良仏教の方の系列の浄土信仰だったと。そして、これらを諸国遊行する「高野聖」が伝え歩いたという事で。
 実質、その始まりだったと思われる『高野山往生伝』の教懐という人の話も面白く。
 これは高野山にも行ってみたいなぁと思ったりもしました。


 また、一遍という人についても私はあまり勉強した事が無かったので、この本でわりと興味を惹かれました。踊り念仏って実際に見たことないから、どんなふうに踊るのか想像がついてないのですが(笑)、いずれ評伝の一つも読んでみようかなという気になったり。



 そんな感じで、わりと有意義な読書でした。この著者の『高野聖』なんかも機会があれば読んでみたいなと思ったりしましたが、はて手に入るんでしょうかね?