違法の戦争、合法の戦争



 もともとは、ツイッターでちょろっと自衛隊関連の呟きをして、フォロワーさんと会話があった事から、思い立って購入。
 国際法知識って全然なかったので、アウトラインだけでも知っておこうと思い。


 で、読んでみたら、とんでもない事が色々書いてあって、びっくりしながら読み進めました。憲法論議するにしても、やっぱりこういう知識なしにやるわけにはいかんのだな、と改めて思い知らされたり。


 私は、基本的に、個人に正当防衛が認められるように、国家にも自衛する権利と、そのための武力はあっても良いのだなと近年は考えるようになっています。
 しかし一方で、現実の私は、非武装のまま夜間にで歩いているわけです。なんでかといえば、日本の公権力によって治安が維持されており、武装の必要がないためですね。
 なので、もし国家間においても同様の治安の安定が実現できているなら、「戦争放棄」はそこまで現実的ではないというわけでも、ないかも知れない。
 問題は、ではその公権力というのが現在成立しているのか、していないなら、将来実現がありえるのか、というところ。


 で、著者の解説で国際連合の仕組みを見て行くわけですけれども、うん、その仕組みの不合理っぷりに改めて呆れてしまうわけでした。常任理事国の拒否権ひとつとっても、とても公権力としての公正さが実現できそうな仕組みではなく。
 中でも戦慄したのが、朝鮮戦争のエピソードでした。朝鮮戦争においては、国連の安全保障理事会の決議による、正式な国連軍が派遣されています。本来、北側を支援していたソ連は拒否権を発動できたのですが、故意に欠席したらしい。国際連合の送る軍、というのは、日本の警察に比すべき、公権力による制裁の意味があった、はずでした。
 さて。警察で考えて頂ければ分かる通り、警察が犯罪者を取り締まりに行ったのに、途中で捕縛を断念して犯罪者側と和解する事などあり得ません。そんな事になれば、警察の公権力としてのあり方は根底から覆ります。
 ところが、朝鮮戦争においては、国連軍は悪と認定した国家を制裁しきれず、途中で和平を結ぶ羽目になったわけです。結果として、国連軍が、国連が「公権力」になり得る可能性が否定されてしまった。
 当時のソ連がそこまで考えて動いていたとすれば、これは怖いなぁと。事件は現場だけで起こってるんじゃない、法学上でも起こってるんだ!



 他にも、色々と驚くことがありました。
 憲法九条の「戦争放棄」規定って、なんだかやたら特殊なもののように吹聴されている気がしますが、1928年に結ばれた「不戦条約」が、正に戦争放棄をうたっていたそうで。
 また、第二次大戦後の憲法でも、「フランス、ドイツ、イタリアを含め、戦争を放棄するとした規定を置くのは、めずらしいことではない」という。「常設の制度としての軍隊は禁止する」というのも1949年のコスタリカ憲法にあるそうで。
 そもそも、国際連合憲章にしてからが、戦争を認めていない。
 つまり、良し悪しはひとまずおいておいて、とりあえず「戦争放棄」をうたうこと自体は、前例のある事で、別に特別な事ではないと言う。
 もちろん一方で、武力の行使があった場合の、個別的および集団的自衛権国連憲章えも普通に認められているので、軍隊を持つ事自体も別に悪いことであるわけではない。


 われわれに必要なのは、必ずしも早急な結論を出すこととは限りません。とりあえず65年もこの体制で来ちゃったわけです。拙速な結論を出すよりも、考える材料をもっと揃えなきゃいけない。



 憲法九条の第二項に、「国の交戦権はこれを認めない」という文章があります。
 ところが、国際法学上で、「交戦権」などという言葉が論じられた事はなかったという。なので、このセンテンスが何を指しているかは、今に至っても実は明確ではないのだそうで。
 何という怖いお話でしょうか(笑)。
 しかも、この前後をふまえての解釈によっては、この「国の交戦権はこれを認めない」という文章は、ジュネーヴ条約などの戦時法、捕虜の扱いや文民の保護を規定しているそうした戦時法を否定している、と取ることすら出来ると言います。その解釈通りに行動すれば、日本は戦犯となる可能性すらあるという話。
 もちろん、そうならないために、無難な解釈をするしかない、という話になるわけですが。
 法学上で、こういうしっくりこない部分を抱えているなら、そういう部分をまで含めて憲法アンタッチャブルな、変えてはいけないもの、というだけで放っておいてよいのかどうかという問いも、とりあえず立てる事は出来る。
 無論、変えりゃ良いってものでもない。
 結論よりも、考える材料を出来るだけたくさん、共有していかなきゃいけないと思うのです。


 最終的に、話はテロリストの問題になります。21世紀に入ってからの戦争の問題は、テロリズム抜きには語れませんし。
 戦後に独立した新興国の求めにより、民族自決、つまり植民地支配などからの独立は支援されるべきだという条項が国際法に加わりました。
 本来、捕虜の待遇が得られるのは国家の正規軍(や、それに準ずる形で、一目で文民ではない軍人であると判別出来るもの)だけだったのですが、民族独立の闘争のための戦士も保護しようとするなら、正規軍の格好をしていては独立闘争は思う通りにいかないので、どうしてもゲリラ戦になります。その結果、捕虜の待遇を得る資格も大幅に緩和される事になりました。
 ところが、国家独立の戦士と、テロリストの間の線引きは難しい、というかほぼ不可能に近い。


 結局、テロリストは戦時法の適用される戦士なのか、それともただの犯罪者なのか、そこをどう考えるのかという問題が出てくるという話なのでした。


 そんな感じで。不慣れな分野の勉強で戸惑う部分もありましたが、色々と認識を新たにしました。
 こういう本はもっと読まれるべき、なのでしょうね。
 国際情勢は常に動いてますし、結論はいつか必ず出さなきゃならない。けど、決断を迫られる立場の国の首相などと違い、我々国民には考える時間がある。
 だから、さっさと結論出す前に、とりあえず考える材料をもっと集めてみれば良いのにな、と思うわけですが。
 ネットで交わされる意見見てても、先に結論ありきの連中が多すぎるからねぇ……。