詩とはなにか
- 作者: 吉本隆明
- 出版社/メーカー: 思潮社
- 発売日: 2006/03
- メディア: 新書
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急に吉本隆明。もっとも、著者ではなく、タイトルで探して買ったのが結果的にこの本だったというだけ。
いや、詩というのがどうにも、自分の中で上手くまとまらないというか。いくつか詩集を読んでみたりもするんですが、どういう指針でというか、どう楽しんで良いのかイマイチ感覚がつかめないまま読んでいる部分があって。
そもそも詩って何なのさ、と。納得のいく定義をあまり見聞きした事もなく。それで魔がさしてこんな本を買ってみたりするわけです。
冒頭の「詩とはなにか」という文章は、けっこう腑に落ちる部分も多くありました。私の疑問と共鳴してくる部分もあったのですけれども、本の後半に収録されている短文、特に後ろに行けば行くほど、なんかピンと来なくなってくるというか、首をかしげっぱなしになってくる感じはありました。
引用された中村光夫の文章にある、詩は「言語をその日常性社会性からできるだけ解放することを目指します」というようなのは、私の中の詩のイメージというか、私が詩に求めているものともかなり近くて、なるほどと思ったりしたのですが。
一方で、吉本隆明が実際にとある日本人の詩を取り上げて、その思想性を取り出して「ここはこういう意味で、こういうメッセージが込められている」と分析して見せるところは、なんだか妙に納得がいかなかったり。
その例にあがった詩の、言葉選びの感覚や表現や、読み味にはけっこう魅力を感じたのに、著者がそれに加えた解釈部分を読んでも何の魅力もワクワク感も、納得感もなく。
というか、詩からメッセージを取り出そうにも、散文による順序だった記述に比べれば客観性や、立証可能性(とでも言うか、誰が読んでもそこから同じメッセージを取り出せる可能性)は劣るハズで。著者の解釈にしても、言葉と言葉の間に自分の思想を代入して、けっこう恣意的に「自分の読みたいメッセージ」を汲み出している感じが少なからずあったりもしまして。詩がそんな「どうとでもなるメッセージ伝達」のための形式なら、そんなのいらないじゃん、という。
明文化できるメッセージを取り出したいのなら散文でやれば良いじゃんという感じが私の中に残ってるのでしょうが。
散文では掴めないモノを掴むために詩を書くんだろう、という認識の人なので、著者の解説はイマイチ納得がいかなかったりしたのでした。
とにかく、読んでいる間中、首をひねっていました。詩って、本当にこんなことを伝えるために書くものなの? 違くね? という。
そんな感じで、どうも未だに、詩というものがよく分からないままでいる私です。どうしたものでしょうかね。