万能鑑定士Qの事件簿1



 あえて言おう、ジャケ買いであると!(えぇ〜


 というわけで、書店で見かけてついうっかり買ってみた。表紙のイラストに加え、ヒロインが博覧強記で該博な知識を駆使するという内容らしく。そういう物知りキャラについ惹かれてしまういつもの悪い癖も併発して、衝動買いしてみたのでした。



 で、読みながらしきりに考えていたのは、「博覧強記」の深い浅いの違いというか、「物知り」キャラの真贋というか、そんなような事でした。


 私自身がエンタメ小説をアマチュアの手慰みに書いているからそう見える部分もあるのでしょうが……。
 正直、もう、「Wikipediaを調べた程度の知識」をいくら並べても、物知りには見えないな、と。
 より分かりやすく言えば、「○○とは○○の事です」というような、単に百科事典式に知識を披露するだけの行為では、物知りを演出出来なくなっているのだなという事です。だって、やろうと思えば誰でも出来るわけですよ。今の時代。


 この作品を読むと非常に分かりやすいのですが、確かに古今東西、文系理系関わらず該博な知識が援用されてはいます。ヒロインの凛田莉子さんが、それらの知識を使いこなせる才能の人物であるというのは、作中内のリアリズムのレベルでは納得できる描き方になってはいます。
 けれど、では出てくる話題はどうかというと、互いに全然関連がなく。
 書き手の目線で見ると、作者がまず「自分の知っている使える知識」を持って来て、それが出てくるように作中のシチュエーションを作るという順番でやっているのがアリアリと分かります。たとえば、「食べられるキノコと毒キノコに関する知識」という「使える知識のストック」があって、それを作中で披歴するために、「毒キノコを鑑定依頼しにくるおばあちゃん」を作中に出しました、とか、そういう作り方をしている。
 しかし、これはやろうと思えば、中学生でも同じ事ができるわけですよ。キノコに関する知識を扱ったサイトを30分くらい眺めて、そのままの知識が出てくる状況を作って作品を書けば良いだけです。
 ですから、作中の凛田さんはいざしらず、作者がキノコの他の知識を持っているとは私には思えなかったのでした。キノコ全体に対する深い理解があって書いているのではなく、使えそうな知識だけをピックアップして持ってきている感じがすごくあった。
 個人的には、こんなのをいくら並べられても、そのキャラから知性を感じる事は全然できないのでした。


 たとえば、巻末の解説で、博覧強記の探偵役として京極夏彦作品に出てくる中禅寺秋彦京極堂の名前が挙がっていますが、この辺と比較すると全然違うなぁと思わないわけにいかないのでした。
 京極の妖怪シリーズは、たとえば髑髏なら髑髏に関する古今東西の要素を作品のあちこちに散りばめる。民俗における髑髏、密教における髑髏から、黄金バットまで。様々な情報を連関させて、適材適所に使っていく。
 また京極堂の蘊蓄は、複数の文献を読みこむ事によって、テキストクリティークが出来ている。柳田國男と、他の学者とが同じ題材を論じているのを読み比べ、検討して、柳田の論点に問題のある事を考察したりできる。
 そして、たとえば妖怪「しょうけら」と、比叡山の元三大師とを結び付けられないかという仮説も立てられる。


 情報は、互いに連関させて、ネットワークを形成させるからこそ意味がある。雑学と学問の違いはここにあります。一つの事象を複数の視点から見る。別な何かと結びつける。新たな解釈を取り出す。
 そういうものが本当の知だとした時に、たとえばキノコについても、一冊キノコについての本を読んだだけでは、雑学にしかならないわけです。キノコの図鑑を見て、江戸時代の本草学書にはキノコがどう描かれていたかを見て、栄養学の観点から見たキノコの記述を見て、西洋の人がキノコをどう見ているのかも確認して、キノコの文化史についても調べて……などなど、キノコ一つとっても、その知を深めていく余地はいくらでもあるハズなのですが。


 作中、ヒロインの凛田さんが博覧強記になった経緯、その指導をした人物とのやりとりが詳細に語られています。しかし、そこでは単に「暗記すること」「計算する時の工夫」などしか語られていません。たとえば、Aという本とBという本にまったく逆の、矛盾する事が書かれていたらどうするか、というような事に関するアドバイスは全くありませんでした。
 これはつまり、作者が「知」というものを、その程度にしか認識していない事の表れです。


 まぁ、別にそれはそれで構いません。人によって考え方はそれぞれです。
 しかしネットが発達した現在、このような「暗記」による知が、一体何になるのでしょうか。グーグルで調べれば5秒で分かる事を、ただ暗記しているだけで何が偉いのでしょうか。
 ここで提示されている、ヒロインの「知」が凄いとは、私には思えなかったのでした。こんなものが「知性」なら、グーグルとウィキペディアに取って代わられて滅びて、それまででしょう。


 正直、そういう洞察の働かない作者の作品というのは、お金を払ってまで読む気になれないので、私はこの作品の続刊を読む意思を失いました。
 ふざけた事に、裏表紙にあらすじとして書かれている「力士シール」の謎はこの1巻では解決せず、2巻目に持ち越されるそうなので。そういう構成の下手さも、若干気に障っております(笑)。


 大体、その博覧強記(笑)の凛田さんにしても、本のかなり序盤で、その過去エピソードに飛んで、彼女がいかに博覧強記になったかを、この1巻の半分くらいの分量を使って語るわけなのですが……こういうキャラは、過去を伏せておいて、ミステリアスさを演出しておくのが常道だと思うし、特に2巻以降で必然がないのなら、そうした方がキャラの魅力も高まったと思うのですが……。どうも、その辺の構成意図も腑に落ちませんでした。


 というわけで、このシリーズの継続購入は中止。他の作家さんを探してみる事にしました。