『まどか☆マギカ』の射程のことなど


魔法少女まどか☆マギカ3話。オリジナル新房昭之ワールド
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20110125/1295950043


 とりあえず、「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」が「痛み」を「隠蔽」していたというのには賛成できないなーと思いつつ。『プリキュア』はともかく。
 マスコットキャラ(?)のチャックが毎回ほとんど惨殺に近い扱いを受けながら平気で毎回登場しているわけで、つまりあれは意図的に「トムとジェリー」とかあの辺の、身体性を持たない記号としてのアニメキャラとしてキャラを描いているのだろうし。大塚英志が指摘した手塚治虫の「流血するキャラ」というエポック以前に引き戻してあるという事ね。
 そうだからこそ、ヒロインがウンコまみれになろうが鼻くそまみれになろうがヒロインでいられる、という構造なわけなので、たとえばパンスト第一話の脚本をもしも、もしも富野監督にやらせたら、恐らく見るに堪えないものが出来上がっていたはずです(富野監督は、そういう記号化を潔しとしないので)。
 つまり、あれは隠蔽ではなく戦略でしょう。あえて記号化を徹底しているからこそ、毎回ああもヒドイ(褒め言葉)展開が可能になっていたわけです。
 富野監督は素晴らしいクリエイターですが、彼と同じ道を行っているかどうかだけで作品評価するのはどうかと思うなぁ。



 さて、それで『魔法少女まどか☆マギカ』です。
 私はニコニコで視聴しているのでまだ3話までしか見ていませんが、とりあえず虚淵氏脚本が本領を発揮しているようで。
 私なりに、監督や脚本の狙いを読み取ってみたのをツイッターでぼそぼそ呟いていたわけですが、適当に編集しながらブログに再掲してみます。


 よりによって虚淵氏に魔法少女アニメの話が行って、結果としてこの路線に行くのは、個人的には必然という感じがします。ここ数年の「魔法少女」という言葉が抱えてたギャップというか、アンバランスさを突き詰めた当然の行先という印象があって。


 そもそも「魔法少女」もののアニメって女の子のものだったわけです。しかし、恐らくセーラームーン以降、オタク男子が視聴者層に入ってきて、制作する側のターゲット層にも入ってきたわけで。
 そしてとうとう、純粋にオタク男子向けの魔法少女アニメ『リリカルなのは』に至って、魔法少女の持つ杖がなんかすごく男の子好みのメカメカしいギミックになって、薬莢排出したり、蒸気噴いたりするようになった(笑)。
 別にそれが悪いってわけではなく。私の弟もなのはの大ファンだし、私自身も弟に連れられて劇場版見に行って、すごく楽しんだし。良い作品だと思うのですが、しかし魔法少女というジャンルの成立過程には歪みというか、無理に接ぎ木されてるような側面がある。虚淵氏が狙いを定めてるのは多分そこ。
 女の子向けのファンシーな外側と、男の子が好きな「メカと少女」をプッシュする内側と、そういう二重構造が最近の作品に目立ってきた。そこで、どうせ不自然に目立つなら、いっそ悪趣味なほどに、その二重構造が露骨に見えてしまう作品を作ろうと。
そんな意図が極めてクリアに感じられる、というのが私の『まどか☆マギカ』感想なのです。
 それは結果として、第三話のようなショッキングな展開、グロテスクな展開を生み出すけれども、そこで見えるギャップこそがこの作品の表現の狙い目なのだろうと。


 そもそも日本アニメって、素性の違うものを組み合わせて色々と新しいものを生み出すんだけど、そのジャンルが定着してくると接ぎ木部分の不自然さに自覚的になって、その歪んだ接合部分を抉り出して晒してみる、追及してみるような芸風なんですよ。
 ガンダムでリアルロボットを確立した富野監督が、ロボットと戦争という組み合わせの接合部分をえぐりこむようにしてZガンダムやVガンダムを作ったりw


 なんだかんだで、過去作品に対して批評的な目を向けて、あえてグロテスクに歪んだ部分を抽出して作品化する、という作者の気骨がアニメを面白くしてる。
 何か特定ジャンルが盛り上がっても、そこに淫するだけでなく、「本当にこれで良いのか」と問いなおす姿勢が感じられる、と。私がアニメに面白みを感じるとすればそういうところだったりするのです。
 そういう意味で、この『まどか☆マギカ』は非常に興味深い作品かな、と思ってみているのでした。
 以上、取り急ぎ。