東方儚月抄は思想としての「東方」の核心だぜ?

 なんか、東方界隈での東方儚月抄の評価があまり良くなく。
 荒れ過ぎて東方幻想板からスレが一時追放されたとかも聞きつつ。
 でも個人的には、儚月抄のストーリーは今後の我々の指針として考えても面白いと思うので、正直もうちょっとだけ評価されても良いと思ってる。


 儚月抄で示された方法というのは、日本鬼子キャンペーンにつながる「争いを受け流す」メソッドとして評価する余地があるって事なんですよ。


 詳しくは私の過去の儚月抄感想を一読して頂きたいのですけども。
http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20090411/1239392539


 露骨な武力に対して、「目には目を」のような過激な報復をせず、こっそりお酒を盗むだけの意趣返しで「無血の勝ち」を得ること。
 そして武力をちらつかせる事は、結局幻想郷のような楽しい場所、ユートピアに参入する権利をなくすのだ、という形で相手に不利益が生じる形にする事。


 儚月抄スレなどでは、綿月姉妹は圧倒的な(チート的な)強さで勝ち、レミリアや紫たちは無様に負けたように解釈されていますが、とんでもない、実は最終的に負けたのは綿月姉妹の方なのです。
 その証拠に、綿月姉妹を扱った同人作品なんてほとんど作られていないじゃありませんか。
 彼女達は武力で無理やり勝とうとした結果、幻想郷から締め出されたのですよ。酒を取り上げられると言う事は、幻想郷に参入する資格を奪われるという象徴的なメッセージでしょう。



 このようにして、武力の行使や、憎悪の連鎖を受け流す方法というのは、非常に日本的だし、賢いやり方だと感じています。
 最近のネット上だと、韓国からのサイバー攻撃の報復に、南米地震クリック募金を押しまくろうぜ! とか。あるいは、日本鬼子という蔑称をキャラクター化して肯定的に読み変えてしまおうぜ! というようなやり方は、非常に「東方的」なやり方なんじゃないかと感じています。
 正論ばかり振り回すいけ好かない説教魔も、核の脅威を振りまく危険なヤツも、天下りを目論むタカビーな天上人も、キャラクターになれば許せるし愛せるという文化を育んできたのは、他ならぬ東方Projectなのです。
 東方儚月抄は、そういう意味で、近代以降の日本が忘れてしまっていた「負けるが勝ち」というメソッドを見せてくれているストーリーなんじゃないかと思っています。


 まぁそんなわけで。あの話を、レミリアや紫がただ無様に負けただけだと読んでいる人たちというのは、私の中では綿月姉妹同様に「ぎゃふん」と言わされている人たち、という理解なのでありました。