滋賀旅行3日目

 前日の夜、8時過ぎくらいには眠ってしまったため、明け方の4時頃に目覚める。
 朝食は7時半に予約していたので、それまで延々本読んでました。


 ちょうど、旅行出発の日から読み始めた『城の日本史』を読み終えたところで朝食の時間。
 この朝食も大変美味でありました。夕飯として出されても満足しちゃうくらいの充実した品数とボリューム。良い宿ってすごいね。今後は、旅行に行くときは宿にはきちんとお金をかけようと思いました。旅行してるって実感を得るためにも意外と重要だった。やっぱり漫画喫茶に泊まるとかやってちゃだめだね(←それはお前だけだ



 さて、職場へのお土産も買って、8時20分に出立。最寄りの唐崎駅から一駅移動して、比叡山坂本駅に着いたのが8時半。
 目的の日吉大社まで、バスが出ているのを前日に調べてはおいたのですが、その出発時間より思ったより早くついてしまいました。30分はある。
 のんびり待ってればいいのですが、なんとなく動いてないと落ち着かないそわそわした気分になるもので……結局、歩き始めてしまいました。
 JR湖西線比叡山坂本駅から、目指す日吉大社まではゆるやかな上り坂。着替えなどの入ったボストンバッグを抱えながらの行軍は避けても良かったのですが……まあほら、ね。毎度おなじみの、高い所には登りたい症候群であります。



 側溝を流れる水。
 そんなに雨が降ったというわけでもないと思うのですが、道の両側にこうして水が流れ続けていました。側溝というより、ちょっとした小川なのかな。なかなか綺麗で、また町にいつでも水音が響き続けていて、とても良い空気感でした。こういう町に住みたいなぁ。水音が聞こえる町。



 まあ、写真はいかにも私らしいピンボケっぷりですが。



 坂本の町については、中世の地図を本で見たことがありました。かつては比叡山の堂舎がここに建ち並び、ちょっとした比叡山出張所みたいになってたようです。
 またそれゆえに、室町時代足利義教比叡山焼き討ちの際に攻撃され、また織田信長比叡山焼き討ちの際にも、真っ先に攻め込まれたのがこの坂本でした。
 しかし本で読んだだけなのと、現地に来てみるとやはり全然違いますね。実際に歩いてみると、本で読んだだけでは想像できなかったような、見事な坂の町でした。比叡山に向けて、気持ちいいくらいに一律の勾配で上っていく坂、という印象。2Dだった町のイメージが、訪れた事で一気に3Dになった、とでも言えば良いでしょうか。
 もっと町並みの写真も撮ればよかったなぁ。



 さて、上記のように書くと、なんかいかにも風雅な散歩をしているように見えますが、実際は荷物抱えてえっちらおっちら歩いておりました。
 ようやく、目的の日吉大社に着いたのは9時少し前。
 まだ参拝できないかな、と思いながら受付の人に聞いてみたら、もう入れるという事だったので中へ入りました。
 天気はあいにくの曇りでしたが、朝方の静謐な空気の中で歩く境内はなかなか雰囲気もあって。一人旅は時に孤独ですが、こういう時、場の空気を心行くまで味わえる利点もあります。



 山王鳥居
 日吉大社系の神社に独特の鳥居ですね。
 2009年、赤坂へ東京彷徨で散歩に行った時に、同じ形の鳥居を見ました。



 境内を横切るせせらぎと、石橋。
 かつて、歴史上でここが宗教権力の力の源であり、また苛烈な焼き討ちにあった時代があり……そうした事への興味関心からこの地を訪れたのですが、いざ静謐な空気の中に立ってみると、なんだか別世界の事のようです。



 日吉大社は、中世にあって比叡山延暦寺の鎮守、護法善神であり、僧侶たちがこの神社の神輿を担いで、京都にある朝廷へと嗷訴を仕掛けていったのでした。平家が専横を極めていた時代、その嗷訴の神輿に誤って矢が射られてしまった際には、日吉大社の神の祟りによって京都に大火が起こったとも言われます。その大火事の際、日吉大社の神使の猿たちが松明を持って京の町を駆けまわっていたのを目撃した者もある……と『平家物語』に語られています。
 そしておそらく、そうして比叡山を守る存在であったゆえに、織田信長が叡山焼き討ちを行った際に最初のターゲットに定められたのかな、と個人的に思っています。信長は京都側からではなく、琵琶湖北岸の城を攻め落とした帰り道に、まず坂本を、そして日吉大社を襲い、それから延暦寺へと攻め上ったのだそうです。「祟り」をもたらす護法善神を先に叩く事で、神仏に刃を向ける諸大名の精神的不安を軽減したのかな、と。


 元々、私が織田信長に興味を持ったのは、この比叡山焼き討ち事件がきっかけだったので、そういう意味でもこの日吉神社への立ち寄りは今回の旅のマストイベントでありました。
 その上、この日吉大社にはもう一柱、お会いしたかった神様が鎮座されておりまして。




 白山宮。
 日吉大社内では「客人社(まろうどしゃ)」とも言われる摂社のうちの一つ。祭神は白山比竎。一説に菊理媛と同体とされる神様です。
 去年の中ごろ、織田信長について調べるより前に白山信仰について色々と調べたりしていまして。さらに、菊理媛についてはちまちま書いている小説内のキャラクターのモデルとして使わせて頂いたりもしていました。小説の方は2008年が書き始めなので、4年かかってようやくご挨拶が叶った次第です。



 私事ながら、そうした次第で大変お世話になってるので、念入りにお参りw
 どうも私の場合、神社や寺に参拝するといっても、自分の願い事を願掛けしたりする感じじゃなくて、調べたり話題に出したりした神様に挨拶回りをしている感じの方が近いようです(笑)。
 あと、必ず内心で、「写真を一枚撮らせて頂きますのでご容赦ください」と唱えていたり。
 本殿を写真に収めさせていただくだけなら、きっと寛大に許してくだされる……と信じているのですが。ダメだったらバチとかあててください、という。
 まぁ、元々神仏に祈るほどの願い事ってあんまりないんですよね。日々のうのうと暮らしておりますし。自然、挨拶回り的な参拝になりがちですw



 この後、西本宮にお参りし、東本宮へ移動する途中に、例のアレがありました。そう、



 例のアレ。
 かつて朝廷を震撼させた、日吉大社の神輿です。
 実際に朝廷まで至る事はなく、大抵はこれが延暦寺へ運ばれただけで僧たちの要求は通ったそうで。たまに山を下る事があっても、都に入るか入らないか辺りで北面の武士たちに阻まれて振り捨てられる事が多かったそうです。
 しかし、これが朝廷にとっては大いに脅威だったわけでした。当時としては、文字通り障れば祟りのある神々が押し寄せてくるわけですし。振り捨てられた後の神輿も、下手に扱えないでしょうし。
 あと、現地の説明書きを見て知ったんですが、この神輿、ひとつ2トンもするんですね。物理的にも後始末は大変だったでしょう。
 もう一つ、この嗷訴が朝廷にとって脅威だった理由がありまして……これらの神輿は嗷訴の末に振り捨てられた場合、もう汚れてしまっているので新調することになるわけですが……日吉大社の神輿を新しく作る場合、その資金は朝廷が出すという決まりがあったのだそうです。つまり、延暦寺が要求を掲げて嗷訴すると、なぜか朝廷が多額の出費をする羽目になる(笑)。金銭的な揺さぶりも兼ねていたのだそうで。


 現在見られる神輿は当然、嗷訴を経験してはいないわけですが。それにしても、なかなか感慨深い。



 やがて東本宮へ到着。
 こちらにも神輿が。



 本殿はこちら。



 それにしても、全体的に建物が傷んでいるのが気になりました。本殿はさすがにそこそこですが、境内の端にある小ぶりな末社とかは、もう崩れかけているかと思うくらいに。
 色々苦しいのかなと思いつつ、いろいろ調べた身としては寂しくもあり。境内に一口2000円の寄付を募る看板とかが出てたので、一口だけのってみたりしました。かつて歴史上で存在感を果たした神社で、山王一実神道の本拠でもありましょうし、やっぱり気持ちだけでも応援したいよなぁ、と。
 朝方に訪れて、神主さんや巫女さんが境内を箒で掃除している姿が見られたのも、ちょっと心が動いた理由かもですが。
 どうか日本の神社がもっと元気になりますように!



 日吉大社を出て、近くに東照宮があるというのでそちらに向かう。そこで、途中に……



 石段がありました。ちょっと雰囲気素敵。
 で、とりあえず石段があると登ってしまう私は無論上まで登ったわけですが。
 行ってみたらアスファルトの上り坂の車道に続いてて、「延暦寺根本中堂」とか案内看板が出ていたので即引き返しました。登山じゃないですかー! やだー!
 この日のうちに東京に帰って、翌日はもう普通にお仕事なのです。体力は温存しなきゃいけないのです。叡山に徒歩で登山とか誰がするか!w



 とはいえ、とりあえず足を延ばした日吉東照宮とやらも、なかなかの上り坂を登った先にあり。



 結局またこんな高さまで登って来ていて、なんかもう良いや。



 日吉東照宮は、案内看板につられて行ってみたものの、ほとんど廃墟状態で、扉が閉まってて近づく事も出来ず、賽銭も入れられず。わざわざ足を運ぶほどの事もなかったなーという感じ。すごすご引き返しまして。
 で、道行の途中に叡山へ登るケーブルカーの乗り場があったわけです。
 迷ったのですが……結局、ケーブルカーに飛び乗りました。



 旅行出発前に予定していた日程は、日吉大社で終了しておりまして。その後は特に決めていなかったわけです。しかし時間はまだ午前中。東京へ帰るにしてもさすがにちょっとまだ早い。


 ルート候補は二つ、頭の中にありました。
 一つは坂本の町まで降りて、そこから大津へ入り、三井寺を見ようかなというプラン。比叡天台の山門に対して、寺門派を形成した著名な寺であり、やはり一度見てみたいお寺であります。何より、滋賀県への旅行を完遂するなら、こちらのプランはやはりスタンダードで捨てがたいだろうと。


 しかし。
 現在地点は滋賀県西の端、坂本です。東京に帰るために新幹線に乗るとすると、米原まで戻るより、京都駅へ行ってそこから乗った方が時間もかからず、交通費もかからないことが分かっていました。
 どうですか。
 京都駅まで行くのに、京都を見ないなんて考えられますか皆さん!(何



 ……というわけで、結局迷った末、比叡山を超えて京都に入る事にしたわけです。
 三井寺は見たかったけど、いつかもう一度滋賀県に来るとき……いずれ、多賀神社あたりを見たくなった時にでも、一緒に見に来ることにします。
 滋賀県の見どころは、3日間では結局全然見つくせませんでしたしね。湖北の方は竹生島以外手つかずだし。また古代史方面では壬申の乱の舞台でもありますし。いずれその辺の興味が高まった時に、きっとまた来よう、と。



 そう心に誓いながら、ケーブルカーで一路延暦寺へ。延暦寺嗷訴の時に日吉大社の神輿が通った順路でもありましょうし、また信長が叡山へ攻め入った順番もたどっている事になります。
 ……まぁ、信長の叡山焼き討ちは坂本周辺だけで、延暦寺にはほとんど攻め入っていないという説もあるんですけどね。火災の痕跡が無いとか。



 ともあれ、ケーブルカーで山の上まで登りまして。



 こんな景色。
 さっきまで歩いていた場所も、泊まった宿もこの視界の中にあるんだなー、とか。


 徒歩で延暦寺まで歩きます。
 本当に今回は立ち寄るだけなので、境内へ立ち入るための参拝料も無駄みたいなものですが、まあ旅行の間くらいは固い事言わない事に。
 そんなわけで、




 根本中堂。


 比叡山に登ったのはこれが三回目。大体一度見た所なので、軽く写真を撮って下山する事にしました。もちろん、立ち寄ったご挨拶に根本中堂の中でお参りだけはしましたが。
 そして、滋賀県では長浜以外でとんと見かけなかった修学旅行生たちが大挙して登場し、なかなか良い写真が撮れなかったりもしました。さすが……行政上は滋賀県ですが、ここはもう京都のテリトリーですな(ぇ
 まあね……延暦寺については、焦らなくてもどうせまた来る、という根拠のない確信があるのです(笑)。よく分かりませんが。



 そのまま、京都側へロープウェーとケーブルカー、叡山電鉄を経由して降りようと思っていたのですが、一日に10本あるかないかの京都行直通のバスがたまたま来る時間だったので、そのまま乗車。今回の旅はなかなかツイてる。


 車窓の景色を楽しみながら30分ほどでしたか、バスに揺られて、出町柳へ無事到着しました。



 高野川と賀茂川の合流点。久しぶりに来たなぁ。
 三年前の京都旅行の際、比叡山から叡山電鉄で降りてきたあと、ここの河原に座って一息吐きながらしばらく悩んで、結局もう一日滞在しようと決めたのでした。懐かしい。
 今回は日程がぎりぎりのため、旅程を延ばすわけにはいきませんが。



 で、京都に来る予定は全然なかったため、どこへ行くかまったく決まってない状態。
 夜には東京に戻っていなければなりませんから、あまり無計画に動くわけにはいきません。そのまま近くのコンビニで、今さら京都旅行ガイド本を購入。
 そしていろいろ考えた結果、今回は北野天満宮を見て帰ろう、と決めて歩き出しました。
 ……まぁ、相変わらず荷物が多い中なので、徒歩移動は冷静に考えれば無謀だと分かりそうなものですが。うっかり浮かれてしまうのが困った所。
 今思えば、さっきまで乗ってたバスは京都駅まで直通だったんだから、そこまで行ってから行動開始すれば良かったんですよね。京都駅からなら大抵の名所にバス出てるんだし。
 後の祭りですが。



 とはいえ。
 体力的な問題はあるものの、そぞろ歩きもそれなりに愉しいところはあります。京都御苑を通ってみたり、途中のお土産屋を覗いて気まぐれに扇子なんぞ買ってみたり。
 久しぶりに、地元の食堂みたいなところで「にしんそば」食べてみたり(笑)。


 また、あてもなく歩いても寺社仏閣に行き当たるのが京都。



 白峰神宮
 伝奇・妖怪マニア的には、日本最大級の御霊、崇徳上皇が祀られてる所、というミーハーな視線で見てしまいますが。同じ境内に蹴鞠の名人っぽい人が祀られてるとかで、むしろサッカーがうまくなるご利益があるという事で、サッカーボールがたくさん奉納されてたりしました。神様もうまく現代に適応するものですね(笑)。



 少し脇道に入って千本ゑんま堂、引接寺。
 ここには、高校の修学旅行の時に一度来ているのですが(それもどうか)、その時の記憶と比べて結構印象が変わってました。確か当時はご本尊様にも会えたはずなんですが。それに、本堂壁面の地獄絵も一応鑑賞できたように記憶しているのですが、今や壁面の絵は完全に劣化してしまって、まったく判読できなくなっていました。
 これも時の流れかな、と思いつつ。



 さて、そんなこんなで歩き続けて、いい加減足が棒になった頃にようやく北野天満宮へ到着。
 特に説明も不要かと思いますが。菅原道真を祀っております。
 やはりこれくらいの格の神社となると境内も広くて、雰囲気があります。
 本来ならゆったり楽しむところなのですが、生憎とこれが、修学旅行生で大盛況。バスも片手で収まらないくらいの数が停まっておりまして。さすが京都。
 で、さすがに歩き続けで疲れていたので、うっかり、屋台のかき氷とか食べてしまいました。何年ぶりだろうw
 しかし最近胃腸もめっきり弱い小生、こんな冷え冷えのものを食べたら即座に調子が悪くなります(笑)。せめて熱いお茶が欲しい……(←すっかり年寄り



 北野天満宮本殿。
 修学旅行生が大量に写ってしまうので、やむを得ず上半分だけ撮影。
 で、あまりのんびり見る機会もないまま外へ出てしまいました。まぁしょうがないね。


 で、熱いお茶を求めて、ちょうど近くにあった甘味処へ入ってみる。普段、およそ入る機会のないこういうお店に入ろうかという気になるのも、旅の楽しさ。
 もっとも、入ってみたらどこかのお茶かお花の先生が来店していたらしく、着物姿の上品なご婦人方が陣取っておりまして、場違いな空気を全身から醸す、野暮が服着て歩いているような私は、居心地悪くそそくさと隅の方へ落ち着きました。怖いよぉ、上品な店怖いよぅ(笑)。


 で、ここで食べた葛餅がね、また大変美味しく。楽しんだのでした。
 まぁお茶はちょっと温めにしてあって。昨日の宿にしてもこの甘味処にしてもそうですが、どれほど料理が美味しくても、お茶に関してだけはね、我が家で祖母が淹れる緑茶に敵わないわけです。自宅で飲む緑茶は最強の飲み物であります。
 まあでも、楽しみました。



 で、自分の残り体力ゲージを考えつつ、翌日に仕事が入っている事を考えると、そろそろ引き際らしく思えてきました。
 最後に、歩いてすぐのところにある大将軍八神社だけ見て、そして帰ろうと決めました。


 近くの案内板を見ながら、目的の神社への道を辿っていくと……



 ……なんだこれ。
 周辺の商店街の企画というか、町おこし的な何かなのだと思いますが。この先、各商店に手作りの謎妖怪オブジェが並んでたりしまして。いや、まぁ、なんだ(笑)。
 とりあえず描くなら最後まで描けば良いじゃない、看板(笑)。
 大体、地元の方々が思いついた創作妖怪的なものが(食パンの妖怪とか?)並んでるわけですが、そんな中に一体だけ琵琶牧々さんが混じってて、あれこんな所で何やってんの?的な状態になってました。なんだこれw



 それはともかく、間もなく大将軍八神社です。



 社殿。
 方位除けの神様です。京の都の西北の守護でもあり。
 陰陽道関係の星の神様で、名前は何度か見かけていたのですが、これも調べてみると奥深いようで。私はまだあんまり把握できてません。まあでもせっかくだからお参り。
 本殿の前に立つオブジェが何かカッコいいですね(中二病的に



 さて、これにて旅の全日程を終了としました。
 妖怪ストリートを辿って戻り、バスに乗って京都駅へ。そこから新幹線で東京へ帰ったのでした。
 やっぱり新幹線速くて、いざ帰るとなったら、あっという間に東京まで着いてしまって軽く驚く。


 で、歩き慣れた新宿駅に降り立って、人の多さに愕然とするのでした(笑)。のどかな旅行の後だと、人ごみの中歩くのも煩わしくっていけないね。ま、一日もすればまたこれが普通になって慣れるんですけどね。



 そんな感じで、無事帰宅できたのでした。



 私の普段の関心の向きというのは古代とか、伝奇妖怪とかの方面が中心なので、戦国武将、それも織田信長とか調べるのはちょっとイレギュラーです。元々、有名どころは避けてマイナーに奔る、という天邪鬼精神の持ち主でもあり、「織田信長について調べてます」とか言うのは今でもちょっと照れくさい(笑)。
 まあしかし、取り組んでみるとやっぱり面白くて。今回、安土桃山時代をメインにあちこち巡ってみたのも、大変楽しい旅だったと思います。発見もたくさんあったし。


 また、無理のない旅というのも今回初めてちゃんとできたかなと。またいずれどこかに旅行に行きたいと思いますが、その時にはちゃんと観光向けの宿に奮発して泊まる事にしたいと思います(笑)。


 そして、今回の旅で得た新たな関心を元に、また日々の読書・勉強を進めていければ。



 というわけで、2012年6月の滋賀県旅行記はこれにて終了。読んで下さった方がいらっしゃいましたら、お疲れ様でした。