さきたま古墳群行ってきた


 新宿から、湘南新宿ラインで1時間ちょい。JR行田市からレンタサイクルで、埼玉古墳群へ行ってきました。
 さいたま古墳群じゃないですよ、さきたま古墳群、です。


 おそらく東京からアクセスしやすい大規模古墳としては一番だと思うのですが、この古墳群から出土した鉄剣に文字が掘られており、当時の時代背景を探る事の出来る一級史料という事で国宝になったりもしています。考古学関係の文献をあちこち見ていると、高確率で目にする遺跡名だったりしまして。
 また何より、古墳の上に登れるのです。
 前方後円墳について色々考えるにしても、本の上の情報だけだとやはり限界がありまして。一度自分の足でスケール感を掴んで見たかったので、そういう意味でも一度行ってみたい場所だったのですが。思い切って先日、行ってまいりました。



 というわけで朝9時30分ごろ、行田駅着。
 一応観光地ではあるのでしょうが、駅周辺にお店らしいお店もなし。まぁ、どうしても「埼玉県に観光に行く」っていうのはあんまり聞かないですからねぇ。今後に期待、かしら。
 この駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りました。去年、滋賀県に旅行した時にレンタサイクルが非常に気分が良かったので、味を占めて今回も。なお、最近とみに体力面で自信のない小生、余分にお金を払って電気自転車を借りました(笑)。



 今回の旅のお供。


 実は朝食がまだだったので、少し進んだところにあったモスバーガーで軽く。なんかあれですね、東京住まいの感覚だとどうしても、「いつでも食べたい時にご飯食べれる」気がしてしまうのですが、ちょっと足を延ばすと実はそんな事なくて、いつも痛い目見ます。駅前に松屋くらいあるだろ、とつい考えてしまうのだけど、必ずしもそうとは限らないのだ……。


 とりあえず、行田市街までしばらく国道沿いに移動。



 途中で新幹線の高架下を通過しました。こういう景色を見ると、郊外に来たなという実感わきます。



 途中の畑に咲いてた花の写真とか、気まぐれに撮りつつ。
 しかし、こういう時すんなりと「○○の花が咲いてました」って書けないもどかしさ(笑)。もっと頻繁に出歩く習慣があるなら、花や鳥の名前の勉強なんかはもっとしておけば楽しみが増すんだと思うんですがねぇ。
 えーっと、とりあえずこれは……キャベツの花ですか???w



 で、さらに途中で忍川に差し掛かり、情景の綺麗さに思わず1枚。
 川辺の景色は無上に大好きです。過去の写真遡っても大体、水辺写真の比率高いかと思います。


 これも非常に良い川でした。意味もなく遠回りして川辺を走ってみたりなんだり。寄り道のない旅なんて旅じゃないと思ってる人なので、なかなか目的地にたどり着かないわけなのですが。



 そんなこんなで、ようやく目的の古墳群までたどり着いたのは10時過ぎ。
 まずは古墳の遺物を収蔵している博物館を先に見学しました。どうせ見るなら予備知識をできるだけ念頭に置きながらの方が良いわけで。まぁ一応この日、以前読んだ新泉社『シリーズ遺跡を学ぶ』の埼玉古墳群の巻も持って行ってたんですけどね。

鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

↑これ


 で、ここで国宝の「金錯銘鉄剣」も見る事ができました。文面は把握してましたが、実物見るとやっぱり「おぉー」となりますねぇ。肉眼ではっきり読めるから、単純に見て楽しい展示でした。
 一応、死ぬまでに日本の国宝をいくつ見られるかな、というちょっとした目標があるわけですが、今回でひとつクリアできたわけです。全コンプリートは正直かなり苦しいですが(笑)、とりあえず潰せるところは潰しておく。



 一通り展示を見て、外へ。いよいよ実際に古墳を拝見。



 とりあえずメインディッシュは後に残しておきまして、まずは奥の山古墳。
 全長70m。前方後円墳なのですが、横から撮影すると、円とか方とかはあまり見分けがつきませんね(向かって左が円部)。



 手前が奥の山古墳、奥が瓦塚古墳。さすが古墳群というだけあって、近距離に密集して古墳があるためこんな写真も撮れます。



 近くの林。この日は天気に恵まれました。
 冬場に出かけると、晴天に恵まれやすくて良いかも知れない。寒いけど(笑)。前回の滋賀県旅行もわりと晴れに恵まれましたし、これはそろそろ曇天男の汚名は返上できそうかしらん。



 鉄砲山古墳を円部側から。うーん。



 瓦塚古墳。全長73メートル。


 博物館周辺の古墳を一通り見て回ったところで、いよいよ大規模・メインの古墳が連なる方へ。
 ……と、途中にお寺があり。



 なんや、現代人のお墓も一緒にあるんかいな(笑)。



 そしてこれが、武蔵国最大の前方後円墳、二子山古墳です。こちらは側面部です。まずは一周してみます。



 前方部。



 最初の写真と逆側の側面。



 後円部。


 どうでしょう。
 前方後円墳には、「どっち側が正面なのか問題」というのがありまして。
 もともと、江戸時代の学者蒲生君平が、「方部が前」という事で「前方後円墳」という名称をつけたわけなのですが。しかし彼がそのように判断した根拠である「前方後円墳は宮車を模した形だ」という説は現在では否定されており。それでいて「前方後円墳」という名前だけは残ったのでした。


 どうも、初期の前方後円墳、特に山の稜線に沿って作られたようなものだと、方部の片方の角を意図的に低めに作ったような節があり、そこからエントリーして棺を後円部に運んで埋葬していたのではないか、という説もあるようです。
 個人的にも、実際に埋葬する際には方部から墳丘に登って行ったのかなという気がしているのですが。しかし一方で、では埋葬後の儀式や祭礼は、どこでやっていたのかという事で。


 なんとなく予想はしていた事ですが、古墳にピークが二つあるのに、前方部側からや後円部側から見たらもう片方の墳頂が見えないわけです。少なくとも傍から見る立場としては、前方後円墳は横から見るものだな、という気がするわけで(笑)。
 本などで平面図だけ見てると、線対称にならない側面からって気持ち悪いような気がするのですが、実際現場に立ってみると墳丘全体を見渡せる側面からの方がしっくり来るような気がする。
 そして実際、古墳側面にも、どうもそのためらしいスペースがあるのですよ。



 前方後円墳を囲む四角い堤に、一部「造り出し」という凸部があります。
 出土状況などを見ると、どうもこのスペースに大型の埴輪が置かれていたらしく。そして今回実際に見てみると、



 思ってた以上に、何かしらイベントをするための舞台っぽい地形でした。
 ちょうどスケール的に、演劇とか舞とかをやるのにピッタリな広さだったので、おお、と思いながら見てました。



 もちろん、日本全国に前方後円墳という形式が広がっていたわけで、広域にわたる間に作法の類いも地域差が出来ていた可能性がありますし、一律には何とも言えませんけれども。
 少なくとも二子山古墳については、この造り出しのある側が祭祀の正面なのかな、という風に思えたわけでした。
(※注  この辺の文章は、筆者が数冊本で読んだ程度のにわか知識で書いています。真に受けないように!)



 まぁ、なんだかんだと下手な考えも展開しますが、そういうの抜きにして、関東でも有数の古墳を見るだけでもなかなか楽しく。



 これくらいの大きさだと、さすがに迫力もあります。


 ゆっくり二子山古墳を一周して、次へ。



 こちらは将軍山古墳。
 発見当時かなり崩れてしまっていたという事で、こちらは復元された墳丘。復元ついでに、横穴式石室を再現したものを見学できるようになってました。
 まぁ、本来の石室の位置が2階で、入口が観光客向けの都合で1階にあるためちょっと分かりにくくなってましたが。



 で、本命の稲荷山古墳です。先述の鉄剣が出土したところですが、この古墳自体もなかなかの見ものでございまして。



 登れます。
 大規模な古墳は、中には宮内庁が立ち入り禁止扱いにしてるところもあったりして、なかなか登る機会はありませんので、これはなかなか楽しみにしていました。さっそく。



 稲荷山古墳の前方部から、隣の丸墓山古墳を臨む。
 この丸墓山古墳は日本最大の円墳。また周辺一帯で一番の高さを誇ることから、後述する忍城を攻める際に石田光成が陣を敷いた場所でもあるとか。



 逆側は田園地帯。こちらもなかなかの眺めです。



 で、前方部の一番高い位置から、後円部を見るとこんな感じ。けっこう急な坂道です。



 中央のくびれ部分、墳丘の一番低い地点から前方部を見る。
 意外に高低差あるんですよねぇ。これも現地に立ってみないと分からない感覚だったので、出向いた甲斐があったというもの。



 そしてこれが後円部の礫槨部分。ここに遺体が安置され、そして金錯銘鉄剣も置かれていたそうです。
 現地に出向いて、この場所に立ってみて初めて思い至ったのですが、墳丘の頂上にこうして竪穴に葬られるという事は、平地よりも高い場所で、天を仰ぎながら眠る形になるんですね。周辺に遮るものがなく、空が近い。



 天円地方説という中国の世界観がありまして、前方後円墳の形をこれに結び付けて考える説があるのですが、こうして後円部に葬るのが天に王の魂を返す、といったような意味だったとすれば、確かにこうして墳丘のてっぺんに安置するというのは実感として分かるなぁという気がしました。
 おりしも冬ならではのからっとした晴天で。



 一しきり観察した後、隣の丸墓山古墳にも登りまして。



 ここから確かに、遠く忍城が望めます。写真中央あたり。



 その近くにあった。
「緑を大切に」とか「森を大切に」というのはわりと良く見ますが、「古墳を大切に」なんて注意書きはめったに見られるものじゃないですよ?w



 で、一通り見学を終えて、近くの食堂にてお昼。
 せっかくなのでご当地名物という「フライ」「ゼリーフライ」というのを食べてみた。



 でっかいのがチーズフライ、小さいのがゼリーフライ
 フライ、というのはまぁ平べったいお好み焼きみたいなの。
 ゼリーフライというのは別にゼラチン質のアレではなく、衣のついてないコロッケみたいな代物でした。
 どちらもまぁまぁのお味。こういうのは熱いうちに食べませんとな。


 食堂を出て、すぐ近くの前玉神社(さきたまじんじゃ)に立ち寄りました。
 なんでも、前玉→埼玉が「さいたま」になったそうで、この周辺は「埼玉県」の県名発祥の地でもあるのだそうな。
 で、その前玉は幸魂(さきたま)の意であるようなので、ということは埼玉県って幸魂県でもあるんかね。こう書くとちょっとハッピーそうな県名に見えなくもない。



 前玉神社。れっきとした延喜式内社です。
 そしてこの神社の鎮座している小山もまた、実は古墳なのでした。発掘調査によって判明しているそうで、浅間塚古墳という名称になるそうです。
 古墳の近く、または古墳そのものが神社になってるケースってけっこうあるみたいで、その辺の関係性はすごく興味があったりします。いずれデータがまとまってきたら考えてみたいけどなぁ。考古学的な遺跡って必ずしも土に埋まったまま発見されるまで沈黙してるとは限らなくて、継続的にその地にとって意義ある場所になってたりするケースも色々あるのかなとか。考古学も、断絶した古代の事を調べてるだけよりも、そういう現代と地続きでつながった存在という形に興味があったりします。
 ……などと言いつつ、まともな事を言うにはもっと勉強をせねばならないわけで、浅学の徒が何を言っても仕方ないw 精進精進。



 ここで、観光案内所でもらったパンフレット通りならさらに道を進んで古代蓮の里とかいう場所に行くことになっているようなのですが、古墳で時間を使い過ぎてしまったので断念しました。レンタサイクルの返還リミットが午後3時半なのでな。
 そこで引き返して、さっき丸墓山のてっぺんから見えた忍城をついでに見ていきます。



 途中、道端から見えた小川。
 いいなー、こういうちょっとした川が自分の暮らす街の、通勤途中とかにあればどれだけ心癒されるだろうか、とか思ってしまいます(笑)。



 で、若干迷いましたが、無事忍城に到着しました。
 この辺、最近公開された映画『のぼうの城』の舞台という事で、現在地元で絶賛PR中なスポットらしく。まあ私は件の映画を見てなかったので、通り一遍に眺めるだけになりましたが。
 でもこの城、小ぶりながらなかなか面白くて。というのも石垣とかに囲まれてないので、



 市街地とほぼ地続きなのです。
 これ、向かいの家の人はどういう気分で暮らしているのだろうか(笑)。家から出入りするたびに目の前にお城があるってどういう気持ちなんだろうなぁ。



 一応、この忍城内部も郷土博物館になってるのですが、こちらは一通り眺めて、特に自分の琴線に引っかかるところなく退出しました。まぁ行田が足袋の名産地だってのは、そういえば聞いたことあるかな、くらい。



 そして、この後お土産を購入して帰宅しました。


 まだ日のあるうちに帰り始めるって、なんかもったいないような気がする性分なのですが、しかし日帰り旅行だとこんなもんかな。少し余裕をみるくらいでちょうど良いのでしょう。なんだかんだで、非常に充実した旅でしたし。



 そんな感じで。
 今回は古墳目当てという趣味全開の旅でしたが、たまにはこういうのも良いかなと。日帰りでも案外楽しめるところいろいろあるわけで、今後も時間を見つけて出かけてみたいと思います。それも今年の目標かなぁ。


 できれば今年こそ、東京彷徨も再開したいのですがね。
 やりたい事山積で、大変なこっちゃ(笑)。