盤上の夜


盤上の夜 (創元日本SF叢書)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)


 前々から気にはなっていた、宮内悠介の小説。たまたま気が向いて手に取りました。そしてなかなかに楽しめました。


 囲碁、チェッカーなどのボードゲームを題材に、そこで活躍する人物を評伝形式で追って行くという体裁の短編集。一見、淡々とした語り口ですが、裏腹に各話ごとのプロットや仕掛けが大胆に変わるので、油断ができません。これを引き出しの多さと見るか、新人さんゆえの不安定と見るかは人それぞれかもですが……扱う題材への踏み込みも含め、個人的には前者と見えました。



 四つ目の話を読むくらいまでは、この作品がSFの賞を獲ったという事があまりピンときていなかったのですが。確かに非常に巧みだし、題材の料理法も面白いけれど、SF? という疑問符は頭の片隅にあったりして。
 それが、五つ目の、将棋を扱った話に来て、一気に瞠目させられたわけです。そこまで、どちらかというと「まぁこう来るよねぇ」といった、ある程度こちらが想定していた範囲に落ちて来てた話が、この第五話目でいきなり斜め上に突き抜けてくれました。私の作品評価メーターの針が、この瞬間に振りきれて観測不能に(笑)。
 なるほどこれはSFだわ。やられました。



 私はSFというジャンルには全然詳しくないので当てずっぽうで言うのですが、全盛時代のSFが夢想した「未来」って、やはり一度ご破算になったのだろうなと。
 もちろん、宇宙への進出も、テクノロジーの発展も現在進行形で進んではいるのでしょうが、一方でかつては想定されてなかった部分が発展したり、軌道修正を迫られたりして、そうした再調整をこのジャンルはやっているのかな、と外側からは見えたりするのです。


 実は、スーパーコンピュータの情報演算なんか目じゃないくらい、人間の五感と脳の方がはるかに膨大な情報を処理してるらしい事が分かって来たり、あるいはインターネットの現在のような形での普及がかつてあまり予想されてなかったり、といったところでしょうか。


 そういう意味で、この作品が昨今のサイエンス関係のトピックのどの辺を拾って来てるのかなというのが、かなり共感とともに理解できました。私が関心を向けてる方向とけっこう近いということもあり。
 たとえばラマチャンドラン『脳の中の幽霊』的な、人間の五感と脳への関心とか。あるいは電王戦のような人間vsコンピュータの将棋対決とか。そうそう、今の時代にSFやるならその辺に目が向くだろうな、っていう個人的な共感と重なってくる感じで。
 しかし、この著者の射程はもう少し遠くまで及んでいたようでした。



 宇野常寛にいわく、ゼロ年代エンタメが無意識に共有していたのは決断主義者たちのバトルロワイヤル。自分が正しいと思う事を掲げた者たち同士が熾烈な戦いを繰り広げる、善悪が判然としない世界。
 そしてそれに対して、10年代のエンタメが無意識に共有していると私の感じているのが、バトルロワイヤルのルール自体の不備でした。『魔法少女まどか☆マギカ』や『Fate/zero』に顕著なように、「自分が正しいと思ったものを掲げて、互いに潰しあうゲームに参加するのだけれど、実はそのルール自体が老朽化していたり、あるいは悪意ある仕組みが込められていて、その中で頑張っても報われない。勝者になっても願いが叶わないシステム」。そのようなシステムにどう立ち向かうかというのが、ゼロ年代エンタメの隠れたテーマになるのではないかと思っています。


 仮にそのように読んでみた時に。この『盤上の夜』の第五話で登場人物が掲げた構想というのは、ちょうどゼロ年代と10年代の狭間で、その橋渡しをするような想像力だと言えるのではないか、と思ったのでした。4話目、5話目と、プレイヤーではなく、ゲームのルールそのものを生み出す側にフォーカスが当たるのは、そうした関心の移行の表れと見る事ができるからです。そこで目論まれている事も含めて。


 おそらく、この著者の方は非常に勉強家なのだろうと思います。各章の末尾に参考文献を示す律義さからも、何となくそう感じさせます。
 そして、広く様々なジャンルを勉強して、それらを複合したクロスポイントにプロットを立てるという、こういう作風の作者さんが個人的に非常に好みなので、一気に気に入ってしまいました。
 そんなわけで、次回作も手に取ると思います。
 直木賞は逃したようですが、引き続き活躍してほしいものです。