機動戦士ガンダムAGE 第33話「大地に吠える」

     ▼あらすじ


 シャナルアの死にショックを受けたキオは、遭遇したゼハートに怒りをぶつける。しかし一方、ゼハートたちがロストロウランの連邦軍本部に仕掛けたプラズマ粒子爆弾の爆破時間が迫っていた。フリットとアルグレアスの働きにも関わらず、最後の一つが見つからず危機に陥る中、キオはXラウンダー能力を働かせて最後の一つを発見、間一髪で爆弾を除去する事に成功した。
 そしてディーヴァは、宇宙での反攻作戦のため、月軌道へ打ち上げられたのだった。




      ▼見どころ


    ▽引き続きジャブロー


 いつも通り、まずはオマージュ元を確認していくところから入りましょう。
 とりあえずサブタイトル「大地に吠える」ですが、これは『∀ガンダム』第1話「月に吠える」を意識したのかと思います。もっとも、ストーリー的に似通った部分はあまりみとめられません。


 この回も引き続き、ファーストガンダムジャブロー戦がイメージ元になっており、早くも冒頭で




 有名なシャア専用ズゴックのシーンを回収したりしています。
 ただし、この回でスポットが当たるのは、ファーストガンダム29話の「ジャブローに散る!」よりも、むしろその次のエピソード、第30話「小さな防衛線」かと思われます。
 ジャブロー基地に潜入したシャア率いるジオン工作隊が、MS工廠に爆弾を設置、それをホワイトベースのカツ、レツ、キッカたちの働きで見事除去できた、という話。



 連邦軍基地内部に爆弾を仕掛ける、という展開が、



 ほぼ同じ、というわけです。
 ただし、表面的なモチーフは似ているものの、細かい部分で相違があるところも見逃せません。具体的には、



「小さな防衛線」では爆弾除去の立役者として子供たちが活躍しました。
 一方、ガンダムAGEのキオ編にも、わざわざ同様の子供たちを登場させているにも関わらず、



 まったく活躍していません。
 ヴェイガンの仕掛けたプラズマ粒子爆弾を見つけるのは、敵の思惑を読み取るフリットの慧眼と、アルグレアス率いる連邦軍、そしてキオ・アスノのXラウンダー能力です。
 些事のようですが、この違いはガンダムAGEの脚本意図を考える上で意外に重要であるように思えます。
 もちろん一番の脚本上の目的は、キオのXラウンダー能力の高さを強調する事にあるのですが。しかし同時に、ここで描かれる爆弾が、小さな子供にどうにか出来てしまうような代物に描くわけにはいかない必然性があったと見る事もできるでしょう。
 上のスクリーンショットを見ていただければ一目瞭然なように、ファーストガンダム作中でジオンが仕掛けて行った爆弾は、昔ながらのスパイ映画に出てくるような物です。一方『ガンダムAGE』で描かれた爆弾は、より大型で高性能なものに描かれていました。
 この意味するところの違いは、読者諸氏も薄々感じていられるのではないかと思います。
 初代ガンダムが放映された1970年代と、AGEが放映された2012年では、「爆弾」の意味するところが大幅に変わっているという事です。言うまでもなく――今日において、爆弾はテロリズムと切り離して考える事はできません。
「小さな防衛線」で描かれたように爆弾を対象に設置する形ではなく、意図的に遺棄したMSに爆弾を隠しておくという方法も、近年の爆弾テロが多くカバンや自動車などに爆弾をかくして爆発させる形が多い事を踏襲していると見てよいでしょう。



 ロボットアニメにおいて、いわゆる「爆弾テロ」に言及する機会というのは案外ありません。ロボットで爆弾と戦うわけにはいかないわけです。そんな中で、現代の世情を取り入れられるチャンスとして、「小さな防衛線」のエピソードが呼び出されたように思えます。
 たとえば、同様の事は劇場版Zガンダムにも起こっていました。第3作目『星の鼓動は愛』にて、「ハーフムーンラブ」のエピソードが大々的に採用されたのです。TV版Zの終盤には、他にもキリマンジャロ攻略戦やダカール演説など、重要と思われるエピソードはたくさんあったはずなのですが、平成になって作られた劇場版Zの第三作では、こうしたエピソードは採用されず、視聴者的には決して印象が強くない、カミーユサラ・ザビアロフのやり取りをメインとする月面でのシーンが、かなりの尺を使って挿入されたわけです。
 その理由はいろいろあるだろうとは思いますが、少なくとも理由の一つは、



 このエピソードが爆弾テロの話だったから、でしょう。
 30年近く前のフィルムの中で、現代の時代感覚に通じることが出来る数少ないシーンとして採用されたのではないかと考える事ができます。


 そしておそらくは、AGEのロストロウランを巡るシーンがファーストガンダムジャブロー戦を重点的にオマージュしている理由の一つも、同様の事情であったろうと思われます。
 実際上記の、シャア専用ズゴックの有名な場面をオマージュしたと思われるシーンは、オープニングより前のアバンタイトル部分でさらっと済ませただけであり、元になったシーンの印象深さとは対照的です。
 何度も書いているように、AGEの過去作品オマージュは単に有名な場面を再演するファンサービスではなく、歴代ガンダムの時代相を点検していく事に主眼がある。この回のジャブロー関連オマージュにも、そうした傾向を看取する事ができるということでした。
 さて、そこで爆弾を巡る各陣営の動向ですが。



      ▽プラズマ粒子爆弾に関わるあれこれ


 ヴェイガンの撤退の早さから、フリットは基地内に爆弾が仕掛けられた可能性に思い当たり、ただちにアルグレアスに対応を促します。



 セリックも薄々勘付いてましたが、動いたのはフリットの方が早かった。
 やがて、ヴェイガンの仕掛けた爆弾が発見されますが、爆発までの設定時間が奇妙に長い事に気づきます。フリットはここで、



「あの時もそうだった……」
 と、ノーラ崩壊時の事を思い返しています。
 実にTV放映の第3話、半年以上前の内容が伏線として再度強調された形です。
 近年のガンダムTVシリーズでは、『ガンダム00』のように視聴者の反応を見て中途で路線変更を余儀なくされるケースも多く、このように長期的な伏線が安定して回収される事は難しかったりもします。AGEについては、ゲームとの連動企画であったため路線変更が困難だったという事情もあるようですが、結果として作品の総体的な解釈の楽しみが残った面はあります(だからこんな長文の解説連載が可能になってもいます)。
 ここで再確認された伏線が、本編で回収されるのはさらに先の話となります。


 フリットは、この奇妙な冗長さについて「我々を試しているとでもいうのか? 答えにたどり着けるかどうか……」と一人ごちていますが。
 一方で爆弾を仕掛けたゼハートたちにとっても不審に映ったようです。部下から疑問をぶつけられたゼハートは、



「味方の安全な避難を考慮してのことだ」
 と答えています。が、ゼハート自身もこの点疑問に感じてはいたようで、



「イゼルカント様は、故意に地球種に猶予を与え、試しておられるように思えます。なぜそのようなことを?」
 イゼルカントはというと



「ゼハートよ、わたしは常にヴェイガンのことを思っておる。それ以上、語る必要があるか?」
 露骨な回答拒否でした。
 イゼルカントのこうした態度も非常に問題なのですが(同じ回に、フリットがナトーラをサポートして、彼女の成長を促しているのと対照的に、イゼルカントは肝心なところで部下ゼハートを突き放している)、ここではゼハートの中間管理職としての苦しさも露わになっています。ゼハート自身が、イゼルカントと同じように部下からの疑問を撥ねつけている、そうせざるを得ない立場であるということ。
 ヴェイガンの組織編制には、こうした不協和音が絶えない側面があります。そしてその影響をもろにかぶって苦悩するのがゼハートです。
 この回、結局プラズマ粒子爆弾による基地破壊は失敗に終わり、ザナルドに



「失敗しおったかゼハート……! イゼルカント様に甘やかされた小僧が!」
 などと言われてしまいます。
 当解説記事をここまで読まれた方なら、ザナルドのこの評を真っ向から否定される方は少ないでしょう。不憫ながら、ここまでゼハートが指揮した作戦はほとんどが失敗しており、しかもなぜか、失敗するごとにイゼルカントから更なる重要ポストを任されるという事が一度ならずあったからです。これでは、不審を招いても仕方がない。
 業を煮やしたザナルドは、ゼハートの元へお目付け役を送り込みます。



 フラム・ナラ。
 サポート役として着任したように言っていますが、ゼハートが去った後、露骨にその人物を値踏みするような発言をしています。


 ヴェイガンは基本的には、単一の目標に向かって活動する団体であり、連邦と比べても立場や目的の相違は少ないはずなのですが、以降ますますこうした軋轢は深まっていく事になります。
 特にAGE終盤の展開を理解するには、こうした背景を把握しておく事は不可欠になってきますので、折に触れてこの記事でも動向を注視していく事にします。
 一方の、連邦側。



 結局、プラズマ粒子爆弾の最後の一つは、キオの力により除去される事になるわけで、それ自体は主人公らしい活躍ではあるのですが。
 しかし、気になる事はあります。このプラズマ粒子爆弾を発見したのが、



 キオのXラウンダー能力のお蔭であるという事です。
 フリットは、そのXラウンダー能力によってコウモリ退治戦役を戦い抜きましたが、アセム編においてXラウンダー能力は乗り越えるべき壁として扱われ、結局アセムはスーパーパイロットとなる事で「Xラウンダーでなくても強いパイロット」となる事ができました。ついでに言えば、ヴェイガンの首領イゼルカントはXラウンダー能力を「退化」と見なしていました。
 また、第21話の解説でも書いたように、アセム編の対応する80〜90年代ガンダムにおいて、ニュータイプというガンダム独自の概念について、問題点と限界が示されてきたわけでもあります。宇宙世紀においては、逆シャアを最後にニュータイプという概念は後退していき、F91では半ば過去の伝説のようになり、Vガンダムに至ってはただの「強いパイロット」の意味でしか使われていませんでした。
 しかし、AGEではキオ編に至って、再びXラウンダー能力の高さが大きなキーポイントとして浮上してきます。


 いずれストーリーの流れに合わせて解説していくと思いますが、ここでは問題提起だけをしておきたいと思います。二つ、あります。


 一つ。『ガンダムAGE』という作品において、結局Xラウンダーという能力は肯定されるのか、否定されるのか。
 二つ。キオ編において再びXラウンダー能力が有用な力として描かれている、それに対応するガンダムシリーズの歴史上の事実はあるのか、あるとすれば何か。


 以上を念頭に、今後のストーリーを見ていくと、『ガンダムAGE』という作品の射程とテーマ的な到達点が見やすくなると思います。
 そんなわけで、この回のもう一つの見どころについて。



      ▽祖父、フリット・アスノ


 戦闘終了後、キオ・アスノはロストロウラン基地で物思いにふけっています。



 ロストロウランの夕景。ここもファーストガンダムのオマージュである事はお分かりでしょう。


 シャナルアの事を思い返して涙ぐんでいるキオの元に、やがてフリットがやってきます。
 ここが、ある意味でこの回の最大の見どころでもありまして。
 前回の展開を思い出していただければお分かりのように、キオはフリットの言う事をきかずに、シャナルアを追いかけるという勝手な行動をしていました。その後ディーヴァMS隊には「西岸エリア」の防衛が一任されていますから、ガンダムの戦線離脱は連邦軍全体にとっても大きな影響を与えています。この点について、フリットはキオを叱らないとならない立場のはずです。
 また、フリットにとってはヴェイガンに通じていた兵など、ヴェイガンと同等としか思えないでしょう。そうした者に、キオが肩入れしている事も決して歓迎出来る事ではないはずです。
 以上を踏まえて、キオの前に現れたフリットの表情を見てみましょう。



 この好々爺顔である。
 そしてフリットは、飛びついてくるキオを



 思い切り甘やかすのでした。
 それはもう、圧倒的な甘やかし方です。アセム編での、息子に対するフリットはこんな甘い事はしませんでした。



「アセム、もっと効率よく動いていればあと4機は撃墜できた。これからはもっと戦況をよく見るんだ」
 戦果をあげてすら、これほど厳しい事を言われていました。雲泥の差です。


 アセム編を通して、個人的な感情を抑え合理的に動き続けていた「意志と理性の人」フリットらしからぬ甘さではあります。しかし、そうであるが故に、筆者私にとってこのシーンは非常に印象深く、また端的に好きなシーンでもあります。
 筆者も体験したわけではありませんので実感してはいませんが、孫というのは別格に可愛いものなのだそうです。
 MSパイロットとしても、MS開発者としても、指揮官としても司令官としても優秀な超人的な人物が、キオ・アスノの前でだけは埒もない好々爺になってしまうのでした。ガンダム史上屈指の実力者が、「孫が可愛い」という人間臭い理由の前でだけはメロメロになってしまうのです(笑)。
 等身大の人間としてのフリットが感じられる、貴重なシーンなのだと思います。
 まぁ実際、



 こんな顔で泣きついてくる孫を、突き放せる人がいるだろうか。いやいない(反語


 とはいえこのシーンは、フリットとキオの信頼関係に微妙な影が落ち始めるシーンでもある事は押さえておく必要があるでしょう。二人の会話を追って行くと……



「シャナルアの件はお前のせいじゃない。それに、生き残っていたとしてもスパイ行為は死刑だ……」
「そんな、シャナルアさんは仲間だったじゃないか」
「キオ、これが戦争なのだ」
「じいちゃん……! こんなに悲しいのに、それでも戦わなきゃならないの?」
「いいか? 悲しみから皆を守るためには戦うしかない。それがガンダムに乗るものの使命だ」
「……じいちゃん」



「さあ、発進準備にかかるぞ」


 フリットの応答は、キオにとって納得できる内容ではなかったように思えます。最後のカットは、キオとフリットの間に溝が生じ始めた事を暗示したものでしょう。
 どこがまずかったかといえば、私見では次の二つです。


 一つは、「これが戦争なのだ」というフレーズ。戦場の様々な相を見てきたフリットにとっては実感から出た言葉なのでしょうが、キオには違うように響いたはずです。というのもこの回の前半、ゼハート・ガレットと接敵した際に、



「スパイは人類が戦争を覚えた時代から存在している。それをとやかく言われる筋合いはない。戦争はゲームではないのだよ、坊や」
 シャナルアの件で、このように言われているからでした。
 当然、このゼハートの発言の直後に、キオは「人の弱みに付け込んで!許さないぞ!」と激昂しています。
 ところが、フリットが「これが戦争なのだ」から仕方ないと言う時、事実上ゼハートと同じ見解を示してしまっている事になるのでした。家族を救うためというシャナルアのやる瀬ない事情を「戦争」という理由で切り捨てている点では、共通してしまっています。


 そしてもう一つ。
 キオが「こんなに悲しいのに、それでも戦わなきゃならないの?」と聞いているところ、ここで「悲しい」のはキオ自身です。
 ところがこれにフリットが「悲しみから皆を守るためには戦うしかない」と答える時、これは身内や、連邦市民一般に降りかかる悲しみの話であって、「キオ自身が悲しく思っているのをどうするか」という部分には答えていません
 これは実に、フリットのような人がやってしまいがちな、すれ違いです。


 フリット編を思い返せばわかるように、フリット自身も戦場で悲しい思いはたくさんしてきました。
 しかし、その悲しみのほとんどは独力で乗り越えて来ており、今や強靭な意志力を持って「悲しみから皆を守るために」戦っています。アセム編でウルフの死を知った時には、悲しみはしても、即座に立ち直っていました。
 そのような強いフリットだからこそ、今まさに現在進行形で悲しんでいる繊細なキオの心情を、見過ごしてしまうのです。それを独力で乗り越えるのが当然と、思ってしまうのでした。


 前回の解説で、シャナルア・マレンはファーストガンダムのミハル・ラトキエのエピソードを踏襲している、と書きました。
 ミハルのエピソードは、それに関わったホワイトベースパイロット、カイ・シデンにとって戦う理由を見出す重要な契機になっています。



「ミハル、俺はもう悲しまないぜ。お前みたいな子を増やさせないために、ジオンを叩く、徹底的にな」
 正にカイは、ミハルの死という悲しみを乗り越える事で、「悲しみから皆を守るために」戦う決意を固める事になりました。ファーストガンダム世代のメンタリティでは、この流れは非常に自然なものでした。フリットも、キオに同様の成長があるものと無意識に思っていたかもしれません。
 しかしキオは、『ガンダムSEED』以降の世代なのです。


 キラ・ヤマトは、ザフトの攻撃を止めさせるためにラクス・クラインを人質にする事を潔しとせず、命令違反を承知でラクスをザフトに帰しました。
ガンダムUC』のバナージ・リンクスも、ほぼ同じ状況でオードリー・バーンが人質にされた事に激しく反発していました。
 どうも世代が後になればなるほど、「多少の必要悪や悲劇は、戦争なんだからしょうがない」という感覚は希薄になっていくように思えます。まさにそれは、『Zガンダム』以降の主人公たちから「大人の理屈」と言われていた事ではなかったでしょうか。


 そして、『ガンダムSEED』でニコル・アマルフィトール・ケーニヒの死亡シーンが何度となく回想された事からも分かるように、これら登場人物たちは身近な人物の死を「こんな悲しみが繰り返されないように」といった一般化によって戦う理由に変えていく感覚は希薄で、死んでいった人への個人的な心情を(一般化しないまま)ずっと持ち続けている事の方が多いように思えます。


 以上のように見てきた時、フリットとキオの間に現れた小さな感情の溝は、まさにガンダムにおけるジェネレーションギャップを内包している、と見る事も出来ます。
 そしてこの差異が、三世代編以降の主要なテーマの一つになっていくわけです。



 正直な感想を言えば、この32話、33話で展開されたシャナルア・マレンの裏切りを巡るエピソードは、作中で効果的に展開されたとは言えません。せめてキオとシャナルアが共に戦い、感情を通わせる様子をあと1〜2話分描いた後ならば、シャナルアの裏切りがよりドラマティックになったでしょうし、視聴者の感動を喚起する事も出来ただろうと思います(キオがシャナルアを知ってから、彼女が裏切るまで事実上2話分の時間しか経過していない計算です)。
 慢性的に詰め込み過ぎ状態のガンダムAGEという作品において、一番惜しいのはこうしたシナリオ上のタメが作れない事であったりします。
 この解説記事で、どれほど言葉を重ねたとしても、そうした短所が埋められるわけではありません。
 私に出来るのは、「そうまでして詰め込まれた情報の意味」をできるだけ解きほぐしていく事だけです。


 次回はいよいよ、「宇宙海賊ビシディアン」。キオ編で一番大きなストーリー上の転換が起こる回です。
 なぜ「宇宙海賊」なのか、という話だけでも長大な解説が必要になることでしょう(笑)。相変わらず読みにくい長文になるかと思いますが、よろしければお付き合いください。



※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次