明日に向かって撃て!



 劇中歌の「雨に濡れても」は中学時代くらいに英語の授業で聞いて大好きになりまして、そらで歌えるくらいお気に入りの曲なんですけれども、その出典であるこの映画は初めて見ました。というわけで『明日に向かって撃て!』。


 とりあえず、これを見る前にもっと西部劇を見ておけばよかった、というのは少しありました。明らかにこの作品が、先行する「西部劇」というジャンルのパターン、セオリーを意識しながら、そういうパターンをメタ的に使って物語を作っている事が感じられたからです。先にその「西部劇」のパターンに関して頭に入っていた方が、感想もよりクリアになったと思うのですが……。


 ある種の懐古を意図して作られた映画である事は間違いないと思います。冒頭の劣化したフィルムのような効果を入れたり、セピア色の静止画を多用するシーンがあったり。そういうところから、やはり、「もはや西部劇というジャンルの全盛期が過去のものになりつつある」、あるいは「もうなっている」事を了解して、懐古的に作っているというのは確かだろうと思います。まぁ、それを自覚して意識的にやっているだけでも、まずまず偉いわけですけれども。
 しかしこの作品は、ただ「あの頃はよかった」式の懐古じゃない。そこが多分、この作品を古典的名画、名作にしているところなのだろうと思います。
 割と序盤で、劇中に「未来の乗り物」として自転車が登場してきたり。舞台が途中で南米に移ったり。また、主人公たちのライバル的に登場した凄腕の保安官も南米に渡ってきている事が明示されているのに、主人公とそのライバルとの決闘といった結末を迎えられない事。何より、最後に主人公たちを追い詰めるのが保安官的な存在から、軍隊になっていくところ。
 こうした諸々の材料を描き込むことで、西部劇を成立させていた諸々の環境条件が徐々に崩壊していき、否応なく近代の、20世紀の影が迫ってきている事が暗示されているのでしょう。
 また西部劇であり、主人公のうちの一人は凄腕のガンマンであるのに、劇中には彼らの華麗な銃撃戦シーン、といったものは極めて少ないのでした。


 こういった要素から見えてくるのは、どこかで「西部劇的なパターン」「西部劇的なドラマ」がもう断念されているのだな、という事です。
 本作を見て、そうした「時代の変化」「時代の変遷」を意識させられたというのは、やはりこの作品の奥の深さだと思います。
 でも、これだけでも、やっぱり凡作だったと思うのです。


 こういった、西部劇の黄金パターンがもはや成立しないという諦念を作品のプロットや小道具に刻みつつ、けどこの作品、すごく見ていて楽しい。主人公たちの軽妙さと陽気さ、メリハリのあるカメラワークや、ウィットや、気の利いた展開など。純粋に、難しいこと抜きで明るく楽しい映画でした。
 実のところ一番感動したのはそこで、上記のような懐古と諦念があるにも関わらず、そういう鬱屈も呑み込んだ上で、純粋に楽しく明るい映画に仕上がっているのが素晴らしいと感じたのです。
 自分ももし、全盛期を過ぎてしまったジャンルに餞(はなむけ)になるような作品を手向ける事があるなら、こういう作品にしたいもんだな、と思いました。「雨に濡れても」の歌詞のように、たとえ雨に降られても、それに文句を言って止めようなんて事はするまい、これはこれで自由なんだから、と明るく歌える心境で。


 実に良い映画でした。