生きる


生きる[東宝DVD名作セレクション]

生きる[東宝DVD名作セレクション]


 黒澤映画。これも、「定番映画見よう」ってわざわざ取り組んでなかったら絶対見なかっただろうストーリーの話。24時間テレビとかでこのストーリーのドラマやりますって言われたら300%見ないなw


 序盤の入りにくさという意味では、ここまで見てきた黒澤映画の中で一番だったかもしれない。主人公にぜんぜん共感できなかったのですよねぇ。やりたい事が多すぎて時間がいくらあっても足りないと日々嘆いている身としては。
 なので、中盤くらいまで、もうこれ見るのやめちゃおうかなと思ってたくらい見るのがつらかったです。うーん。


 後半、ようやく主人公が目標を見出して頑張りはじめるわけですけど、それを主人公の葬式場面で進めていくわけですが……そちらはそちらで、なんか見てて、つらかった。


 自分の余命を知って、人生を閉じるにあたって何をしようか悩んでいた主人公がようやく目標を見出した、という流れなのに、結局ストーリーとしては日本の役所組織のダメっぷり批判みたいになっていくのが、なんかとてつもなくツラかった。これ、二重の意味でツラいんだよね。
 元々、黒澤監督の現代日本舞台にした作品は大体どれも気分的にツラいというのは過去の感想でも書いたのですが、要するに日本社会の閉塞感とかそういうのが純粋にツラいわけですよ、私も過去そういうのに良い思い出が一つもないわけなのでね(笑)。でも、そこを批判するだけが眼目の作品であるなら、まだマシというのはあります。その批判に頷いて見ていれば良いわけですからね。しかし、この『生きる』という作品において、そういう「日本社会批判」は、おそらく、ミスリードなのです。


 主人公の葬式の場で、公園造成の功績が主人公にあることを最初は否定していた同僚たちが、徐々にそれを認めるようになってきて、同時に主人公の努力、頑張りに気づいて感動して、「我々も同じように頑張らなければ!」って決意するんだけれども、後日談で結局元通りのお役所仕事に戻っている事が示されます。それで、やっぱ主人公はすごかった、みたいな印象を残して終わったように見えるんだけど……。
 しかし、後任の課長さんたちが失敗するのは、当たり前なんですよね。


 主人公が公園のブランコで歌を歌っている、有名らしいシーン。その場面を目撃したお巡りさんが、「主人公の様子があんまり楽しそうだったので」声をかけずに見逃してしまった、と言っています。
 そう。「楽しかった」んですよ。唐突に目の前に現れた死期を前に、自分のなすべきことが分からず惑っていた主人公は、最後に何かを作り、残すことができて「楽しかった」のです。その楽しさこそが彼のモチベーションだった。
 けど、主人公の葬儀の場で、彼の生前を思い返している同僚たちも、また主人公の最も近くにいた家族たちも、そこが見えてないという、残酷な脚本なのです。主人公がせっかく仕事に対して喜びを見いだせたのに、一緒に仕事をしていた同僚たちの誰一人として、その喜びを共有していないのです。
 だから、主人公を突き動かしていた「喜び」「楽しさ」というモチベーションを理解していない後任の課長さんたちが、同じことをしようとして失敗するのは、実は当たり前なんですよ。
 もうね、本当にツラかった。だから私にとって、この作品は「黒澤明監督作品の中でも特にヒューマニズムに溢れた作品」とかいう世評とはまるで逆の、恐ろしい日本的ディスコミュニケーションを描いた残酷な作品です。


 なんかさ、日本だとスポーツ選手の舞台裏を紹介するんでも、とにかく「血のにじむような努力をした」とか、つらい側面ばかり強調するじゃないですか。でも、本来、スポーツ選手がトレーニングをしているとき、肉体的な辛さ以上に「楽しさ」もあるはずなんだよ。目標に向かっている楽しさ、自分が前進している実感からくる楽しさが。
 実はその楽しさこそがモチベーションなのに、日本人ってなぜかそういう「楽しさ」には目を向けないんだよな、とずっと思っていました。そして、まるで「我々のために辛さをひたすら引き受けてくれた人」であるかのように英雄視して、祀りあげて、それを傍から見て「感動」する。でも、それって本当は貧しい見方なんだよね。


 ……というわけで、黒澤監督の現代日本を舞台にした映画は、見てて辛すぎるくらい、日本人のダメなところを浮き彫りにしてくる素晴らしい作品なのですが……うん、だから、見るのは辛いんだよ!w