ケルトの薄明


ケルトの薄明 (ちくま文庫)

ケルトの薄明 (ちくま文庫)


 たまたま、Twitterのタイムライン辺りで、「柳田国男遠野物語』のケルト版みたいな本」として本書の名前が挙がっていたので、なんとなく手に取ってみた次第。予備知識はほとんどなしでした。訳者である井村君江さんが妖精関連の本をたくさん出してる方だってことを知ってたくらいかしら。


 とりあえず、序文を読んだ時点で既に「あ、これめちゃめちゃ好みの本だ」と直感しました。言葉の選び方だけで分かる場合がありますよね、そういうこと。なので冒頭部分読んだだけで期待値が跳ね上がったのですが、その期待に違わない内容でした。
 小説であればストーリーや展開を楽しむとかセリフの機微を楽しむとか、あるいは評論やその他の書籍であれば新知見との出会いを楽しむとか、本にはいろんな楽しみがありますけれども、中でも言葉運びが醸す全体的な雰囲気に包まれるような、そうした気分を楽しむことが出来る読書というのがマレにあって。個人的に、読書体験の中でもそういうのは最上なのですよね。本書は正にそれでした。


 読むならエッセイとして読むべきなんでしょうが。著者自身もけっこう幻視とかしちゃったりもしている。ただ、妖精や怪異たちへの距離感とまなざしが良い。

人々の想像力というものは、夢想的なそして気まぐれなものに宿っているからで、その夢想や気まぐれを、悪とか善とかに結びつけるなら、その生命の息吹ともいえる、自由さが無くなってしまうからだ

 この何気ない一文が言い当ててることに、ゆっくりと頷かざるを得なかったというか。私が中学時代からずっと妖怪だの何だのに興味を惹かれて追いかけ続けてきたのも、要するにそういう「気まぐれ」な「自由さ」に魅せられたからだよなぁ、と思うわけです。
 善でも悪でもない、そして善や悪に結び付けようとすればたちまち霧散してしまう、そういう連中が好きだったんですよ、きっと。
 本書は、そういう自由で気まぐれな連中の息吹を久しぶりに私に吹き込んでくれた、とてもありがたい本でした。
 私自身、たまたま偶然の気まぐれで手に取ったわけですけど、気に入ってしまったのでいずれイエイツの他の本も読んでみようかなと思っているところです。まぁ、またいずれ。


 とりあえずそんな感じ。