神曲


神曲 上 (岩波文庫 赤 701-1)

神曲 上 (岩波文庫 赤 701-1)


 先日『旧約聖書』を読んだ事で、ようやくいくつか、学生時代から「いつか読もう」と思ってた有名古典を読むための最低限の予備知識を得られたので、ガンガン進む事にしました。というわけでダンテ。


 何も考えずに岩波文庫版を手に取ったのですが、これが事実上の文語訳でありまして。まぁそれだけなら無理して読み切ってしまう手もあったのですが、人物名がイタリア語読みになっていて、誰が誰だか分からないというところで決定的に躓きました。「カエサル」が「チェーザレ」になってるんだもの、初読では判断つきませんがな。そして、その辺の有名人物の名前を把握しながらでなければ作品全体の意図が分からないだろう事は序盤でなんとなく想像がついたので。
 というわけで、

神曲 地獄篇 (講談社学術文庫)

神曲 地獄篇 (講談社学術文庫)

 比較的平易な現代語訳かつ、詳細な注釈つきの講談社学術文庫版も用意して、交互に読むことにしました。お蔭で倍近い時間かかりましたが……(笑)。


 読む前の段階では、一抹の不安があったというのが正直なところでした。というのも、作者ダンテの初恋の人が重要人物として出て来るとか、ダンテの政敵が地獄に落とされてるとかいう話を耳にしていたからで、なんか私情や私怨が作品世界をせせこましくしてるのでは? という疑念があったわけでした。
 では実際読んでみたらどうだったかというと……せせこましいなんてとんでもない、むしろとんでもないスケールの大きさを誇る話だったので素朴にびっくりしたのでした。実際のところ作者ダンテの私情も私怨も入ってはいるのでしょうが、むしろこのとんでもないスケールの大きさの中ではそうした私情こそが実感をかろうじて持たせてくれるアンカーになっているような気すらしました。いやほんと、すごい。


 実際、読む前に想像してたのと実物とがこんなに違ったのも珍しい気がします。
 古代ギリシャ・ローマの文化が見直されたのがルネサンスだ、という通り一遍の知識から、それ以前は相当下火になってたんだろうし、『神曲』はキリスト教の世界観を描いた作品だと思ってたんですね。
 なので地獄編の早い段階で、アッシリアの伝説の女王セミラミスとトロイア戦争の主因を作ったパリス、エジプトの女王クレオパトラに円卓の騎士トリスタンというメンツが並んで地獄の責め苦を受けてるとかいきなり出てきて衝撃を受けたわけですよ(笑)。Twitterでその驚きをツイートしたら「まるでFateみたい」と言う人が続出したわけですが。
 とにかく、ギリシャローマ神話の話題が縦横無尽に登場することにカルチャーショックを受けたのでした。それどころか、ダンテ自身が天国の様子を詩として表現する力を与えた前とアポロン神に祈るという一節まであって。
 どうも解説その他総合すると、まるで日本の神仏習合のように、ギリシャ神話の内容をキリスト教的に読み替えるというケースがあったようですね。まったく意外でした。おかげで、ダンテはあわやメデューサに石にされそうになったりなんだりの大冒険となり。なんかこう、慣れるうちにガイド付きでテーマパークを回っているかのような楽しい気分になってきたりもしました(笑)。


 天国篇では、これも想像してたキリスト教天国イメージと違った、太陽系の惑星巡りになっていて、しかもそこで太陽系の天体が天国の各階層として扱われている背景に、以前読んだアリストテレス『形而上学』を読んだ時に感心した、太陽系の天体とオリュンポスの神々を対応させていくロジックがある事も解説から察せられて、なるほどそうなってるのか! と膝を打ったわけでした。いやはや、背伸びしてアリストテレス読んだかいがありました。
 そういえばキリスト教神学とアリストテレスの関係性についてはぼんやり耳にしたことはあったわけですが。よもやこんなすごい事になっているとは。本書を読み進めるうちに、かつては戸惑うばかりだったキリスト教神学に、以前よりも触れられそうな気がしたりもして、そういう意味でも有意義な読書だったかなと思います。


 正直、本書の内容のうちどれくらい把握できたかといえば、おそらく二割にも満たないでしょう。当然の話で、本書はキリスト教神学やキリスト教史、ダンテの時代の政治情勢、ギリシャ・ローマの古典知識などが頭に入っていないと完全に話が通じないという内容です。少なくとも私は神学と中世以降の西洋史はさっぱりなので。
 とはいえ、古典作品というのは必ずしも初読で十全な理解を目指すようなものではない、特に本書のような大著であればなおさら、というのが私の基本スタンスなので、分かった範囲内だけでも楽しめた部分は多かったというのが素朴な感想なのでした。
 上記のようなギリシャ神話フィーチャーぶりもそうですが、地獄の底に到達したダンテたちの脱出経路、そこから見えて来るとんでもないスケールの世界像、特にコキュートスに閉じ込められたルシフェルを中心とした南北の反転が、物語の構造、意味反転の構造として面白かったのでした。


 これほどの大著ですから他にも個々の感心したポイントなどは列挙すればキリが無く。ともあれ、つくづく有名作品というのも実際に読んでみなければ分からんもんだと改めて思った次第でした。
 さて、とりあえずこいつを読み終わった辺りで2016年は一つの区切りになりますが、来年もガンガン進めていく予定です。