王蟲の怒りは大地の怒りじゃ


 借りてきたダンバインを見なきゃいけないはずが、ついつい日テレでやってた『風の谷のナウシカ』の後半とか見てしまう。延滞料金支払い確定(ぇ
 やっぱり、見ないつもりがいつの間にか引き込まれてしまう物語運びは大したもんだよなぁとか思った。
 けれどそれ以上に、なんかかつてに比べて、ものすごく冷めた視線で話の成り行きを見ている自分に驚いたりした次第。


 こう見えても私は学生時代、宮崎駿作品の熱狂的マニアだった。
 それはもう、魔女の宅急便の、キキの父親の車のナンバーを覚えていた男なのだ(ぉ
 今日だって見ながら、覚えていたセリフがバンバン口をついて出て苦笑してしまった。「バカめ! 雲の中は乱流と天気の地獄だ!」とか、「何があったか知らねぇが、かわいくなっちゃってま」とか、「メシねぇ、ゆっくり食うことにしますか」とか(クロトワ率が高いのは突っ込み無用w
 そんな私だったのだけれど、なんていうか、今日は全然違う視点で見ていたことに気づく。


 たとえばそれば、種が違うにもかかわらず王蟲ナウシカが分かりあって終わるラストであり、都合よく引き上げていく王蟲やトルメキア軍についてであり、巨神兵に対して「あんなものにすがって生きてなんになろう」と言ってしまう明確すぎるメッセージについてであったりした。
 むしろ逆に、あんなに穏やかだったにも関わらずトルメキア軍に徹底抗戦をしていた風の谷の人たちとか、とにかく大量の数で押し寄せる王蟲の描写とかに戦慄したり見入ったり。
 あー、つまり、宮崎アニメから次のステージへ行くために富野作品に移った、その視点で再びナウシカを見ている自分を意識したというわけ。
 とりあえずナウシカの監督が富野だったら、最後、ナウシカ王蟲が分かり合うラストは絶対無かったよねw
 クシャナなんか、ぜったいアスベルに殺されてたろう(笑)。
 そういう見方をしていて、だから最後、ナウシカが奇跡でよみがえるシーンに物凄い勢いで鼻白んでしまったりしたのだった。
 まああれは、宮崎監督自身「宗教映画にしてしまった」と反省しているシーンでもあるのだけれど。
 なんか色々、自分の心境の変化とかを実感してみたりした。


 あと、ラスト以降、エピローグの風の谷だけれど、多分王蟲の体についてた腐海の菌糸のせいで大変なことになってたはずだよねw
 そんな無粋なツッコミを思いついたのでした。