明恵上人

明恵上人 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

明恵上人 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)


 なんだか懐かしい気分になった。
 私がまだ中学か高校の頃、その青臭い理想の中で、自分はこんな人物になりたかったんだよなぁ、と。
 山奥で、求道のためにひたすら座禅をしている。「この山で、一尺ほどの面がある岩の中私が座禅したことのない岩はない」と上人自身が述懐するほどひたすら座り続ける。自分の煩悩、特に性欲に身を惑わせないため自分で耳を切り落とし、誰に対してもへりくだって接して、情緒豊かで和歌を多く詠んだ。
 ある時、上人はもう何年も訪れていない故郷の島に手紙を出しています。その磯で子供の頃遊んだことを思い出すだけで胸が詰まる思いだが、忙しくて訪れることもできない。変わりはないか、と。で、そんな手紙を渡された従者は困ってしまう(笑)。どうしたらいいのかと聞くと、「明恵上人からの手紙だと言って、その島に放っぽって来い」と言われたとか(笑)。
 華厳宗出身と言いながら、どの宗派にも属さず、自由にただ釈迦という人物を慕って過ごした。お経を読むだけで、感極まってすぐに泣く(笑)。自分も釈迦と同じ時代に生まれたかったと言っておいおい泣く。
 それでいて、毅然とした時には驚くほど毅然としていた。
 明恵の時代は承久の乱が起こった頃。逃れてきた敗残兵を、明恵はかくまっていた。で、そのせいで勝者側の兵に引っ立てられてしまう。親玉のところに引き出された時点で明恵上人だと判明して相手側大慌て。明恵はそこで、敗残兵をかくまっていることを肯定した上で言う――自分は長らく山に篭っていた身で、世の中の事も忘れそうなほどだ。だからどちらに味方しようという意図はない。ただ、自分の住む山は殺生禁断の地、猟師から逃れた獣たちも皆ここに逃れてくる、まして敵兵からからくも逃れてきた兵を見捨てることはできない、できるなら自分の懐や袖にでも隠したいという気持ちでいる。政治的にこれがまずいというなら「即時に愚僧が首をはねらるべし」。


 なんていう覚悟だろう、と思った。
 明恵はもともと武士の家の生まれで、武人としての激しさも持っていた。その武人としての勇気と気概を、こういう風に使うこともできるんだ、という感動にしばらく身じろぎもできなかった自分がいた。


 そう。自分はまだ青臭い頃、こういうあり方に憧れていたんだ、と。
 情緒豊かで、感情の動きが激しくて、慈愛と優しさにあふれていて、けれどそれがそのまま勇ましさでもあるような。そんなあり方もありえるんだなぁと。


 白洲正子女史の筆致は、少々感覚的にすぎて、というか情感が出すぎていて明恵という人物像をすこしぼやかせてしまっている気もするけれど、本質を射ている部分も少なくない。良い仕事だと思います。