リオリエンタリズム


 先日、東方の話題とからめて、
「画一化された西洋のコードで日本を表現するという道を行けばいいんだ」
 的なことを書いたわけですが。
 これについて友人から突っ込みを受けまして。
「それってオリエンタリズムと何が違うの?」


 オリエンタリズムっていうのは、こんな感じらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0


 これは西洋人が東洋をそういう風に見るケースだけれども、逆に日本人の方が自発的に自分たちの「東洋的」な部分を西洋の文脈で再評価して、それにアイデンティファイするケースもあると。これを「リオリエンタリズム」と言うそうな。


 で、具体的な例として、25年前の音楽――YMOの「ライディーン」とかいう曲――を聞かされて、敗北を認めたのでした。
 あー、ダメだ、ZUN氏の音楽と同じにおいがする……。
 もちろん曲としてはZUN氏の曲の方が好きだし、良いと思うのだけれど……西洋音階で東洋的な雰囲気を出す、っていうコンセプトがほぼ同じなため、しかもそれが25年前に既にあった形だとすれば、結局今かかげる指標にもなりえないよなぁと。


 そんなわけで、前回のカテゴリー「雑感」のエントリーでの主張は取り下げ。
 同時に、作品としての限界を認識し始めたことで、おそらく東方シリーズへの熱もゆっくりと冷めていくかと思います。
 もちろん、それでも私が、あの作品たちを好きである事には変わりないのだけれど。今でも私がガンダムを好きでいるように。


 そして願わくは、また何か、私が熱中できる作品に出会えますように。