スレイヤーズ


 友人からのもらいもの。一度に20冊ぐらいドーンと渡されまして。
 ライトノベルを書くにあたり、「王道を知らずに変化球を投げようとしても駄目だぜ」と散々言われていたわけですが。その一貫として、王道を知る一冊というわけです(笑)。


 で、まあそれなりに面白く読んだわけですが。
 この作品自体が、それまでの、水野良あたりの割りに本格志向なファンタジーに対するパロディの意味があった……とか何とかいう意味づけの話も耳にはするものの、まあ私としてはピンと来ない話で。
 ファンタジーって言葉の意味もだいぶ変容してしまった現在に私がこの作品と出会い、読んだわけです。私がこの作品から感じるとすれば、それは単に「現在のファンタジーというジャンルの周辺状況を生み出した祖形の一つ」という感じ。


 そういう意味では、恐らく元々「パロディ」として配されていたんだろう、妙にひねった部分が結果的に、独特の面白さみたいに読めて面白かった。
 例えば、トロルというやたら回復力の高い敵がいて、そいつにちょっとだけ手傷を負わせたあと、主人公独自の「回復魔法の逆回し」とかいうような魔法をかけて、回復力を逆手にとって傷を広げて倒してしまう、みたいな。
 明らかに、既存のファンタジー概念における回復魔法、読者の中に既にあるだろうそういうものへの印象を利用して、そいつを逆手にとって見せているわけです。
 つまりカウンターとして考えられた趣向なんだけれど、そういう想定された読者じゃない私などは、これをただ単に「珍しいシーン」として読んでいたり。


 実際、ゴブリンに囲まれた、なんて状況を、ただ攻撃魔法とかで打開するんじゃなくて、魚がよく釣れるようになるオリジナル魔法で相手の気を引いて突破してしまうとか、そういう発想の自由度が、それまでのファンタジー的作品の関節を外していったのかな、とか愚考する次第。
 むしろ逆に、作中で世界観を説明するところ(善と悪の神がいて云々、みたいな)にそういうパロディ的ひねりが見られなくて、なんかかえって浮いてるような気がしたりも。「あ、そこは普通なんだ」みたいな。


 ……ってまあ、そんな大仰に言うような作品でもないんですけどね。むしろこの、ぼーっと読める軽さと、後味の良さを見習うべきなんだろうし。
 さて、まだ十数冊残ってるわけで。先はながいなぁ(笑)。