ヘルシング1〜5


 今さらですが、マンガ『ヘルシング』を読んでみたら見事にハマった。
 もう、なんですか、良い感じに読んでる私のタガがはずれてく(笑)。


 そもそも、1巻の巻末収録の読みきりからして、アレですからね。
 ライフルぶっ放しながら、「カトリックをなめるなよ、邪教徒」ですからね(笑)。電車の中で読んで思わず失笑。
プロテスタントの異教徒なんざ十人死のうが十兆人死のうが知った事ではないが」だったかな、そんなセリフがポンポン出てきて。あれぇ、私のよく知るキリスト教徒の姿があるぞ、みたいな(ぇ


 長年、キリスト教に対する違和感みたいなのをさんざ口にしたり日記で垂れ流したりしてきた私ですが、こういう形で、あっけらかんと堂々と表明されてしまうとね、なんというか。逆に毒を抜かれてしまって、大変面白いです(笑)。
 とりあえず、アンデルセン神父素敵。おかげで最近の口癖は「エイメン!」ですよ(ぇ


 そして。ネット上でもあまりに有名な、少佐の「諸君、私は戦争が好きだ」演説。
 読みながら、自分の思考の関節がコキコキ音を立てて外れていくような感じが。
 こんなにもあっけらかんと「戦争って楽しいじゃん?」って言われると、何かかえってスカッとしてしまう自分がいます。
 よりによってナチスドイツ。もう不謹慎極まりないんだけれど、けど、徹底的に突き抜けていて気持ち良い。

一体どこの誰に話しかけているか判ってるかね?
私が黒衣のSS軍装を着ていれば良かったかな?
我々は第三帝国親衛隊だぞ?
一体何人殺したと思っているのかね?
闘争と暴力を呼吸するかの様に行う髑髏の集団にかね?
いかれている? 何を今さら!!
半世紀程いうのが遅いぞ!!

 ここまで開き直られて、もう何を言えというのでしょう。
 戦争が好きだから、戦争の快楽が好きだから戦争をしよう……って言い切られた時に、不謹慎と同時になんかやっぱり、気持ち良いんですよね。これ。


 かつて『天空の城ラピュタ』で、ムスカが「人がゴミのようだぁ!」と叫んだ時。私はそれは典型的な悪役のセリフとして流して聞いていたのですが。
 今、なんとなく新たな回路が開いた今は、ちょっとだけわかる。あれは、やっぱり気持ち良いんだと思うのです。「人がゴミのよう」である様子を、特等席から見るというのは。
 それは私の大学での恩師である宮内先生とか、平和運動家の人とかでも、そういう立場でそういうものを見てしまったら、心の片隅で「気持ち良い」って思ってしまう事はどうしようもないんじゃないかな、という気がする。
 心理学の有名な実験を引き合いに出すまでもなく、すべての人間の思惑の中にはそういう回路だって通っているんだろうし。


 もちろん、特等席ではなく、ゴミのように散らされる立場というのがあり、そこで蹂躙される事を私は拒否する。故に、私はやっぱり「戦争をしよう」とは言わない。
 けど、けれど、この作品であまりに活き活きと描かれている「戦争って楽しいじゃん」という主張は、真理なんだろうな、と。
 だからこそネットでもこれだけ有名になったんだろう。
 多分、実際の戦争を構成する思惑の何パーセントか何十パーセントかも、同じ心情なんだろう。


 だから。
 その「快感」を認識していない平和運動家の言葉は、どれだけ真摯であっても的を外すんだろう。


 私のひいきの歌手がこんな歌を歌った。
「赤ん坊は天使のにおい、兵隊さんに届けようか、戦争なんて嫌になるに違いない」
 けど、現実に兵隊さんの前でこんな歌を歌ったら、返ってくる返答はこうなんだろうね。
「豚のような悲鳴をあげろ」


 とにもかくにも、このマンガは自分のお気に入りにいきなり踊りこんで来ました。
 いやだって、普通ここまでやらないよね(笑)。素敵です。
 私が今度書く小説でも、この少佐殿のような存在感が、半分程度でいいから欲しいものだ。