セイレムの魔術


 今書いている小説に、よりにもよって魔女をモティーフにしたキャラが出てくるのですが。
 京極夏彦が『妖怪馬鹿』あたりでごねていたと記憶するのですが、「魔女」という言葉はやっぱり、魔女裁判とかあの辺のバックグラウンドなしで語れないので、「魔法使いサリー」はアリだけど、「魔女っ娘」って少々問題あるんじゃねぇの? という話があり。
 で、その辺を踏まえていろいろキャラをいじっていたら、二つ名が「セイレムの亡霊」とかになってしまい。
 アメリカはマサチューセッツ州で起こった魔女狩りがキーワードとして出てきた次第。


 普通は、知っている中からそういうフレーズを出してくるんでしょうが、私はフレーズ先行であとから泥縄式に調べるタイプゆえ。あわててセイレムの魔女狩りの本を読み始めたのでした。


 いやしかし、これ、鬱になりますねぇ。
 どんなに、教会や為政者の人たちが理性的な助言をしても、また被告人が敬虔で礼儀と節度を持った、ほとんど模範的キリスト教徒だったとしても。それでも状況が、その被告人を魔女として殺してしまう。
 理性ってこんなに無力なのか、っていうか、本当に人間やめたくなります、こういうの読んでると。


 事件のアウトラインは大体把握。ただ、これ一冊だけで済ますのは問題ありそう。やっぱり関連書をもう少し読み込まないと、この事件そのものを大々的に取り扱う事はできないっぽいです。以前、参考文献一冊だけで執筆に望んで、実はそこで取られてる説が今はもう否定された説だった、という素晴らしい煮え湯を飲んだ事があるので。
 でもまあ、雰囲気は伝わってきました。


 いやしかし本当、朝の通勤電車とかでこんな鬱な本読むもんじゃないですね。その日一日、ずっとテンション下がりっぱなしですよ(笑)。