一日が過ぎるのって早いなぁ
部屋の掃除を軽くして、京極の『邪魅の雫』読み終えたら一日終わってしまった。
本当に、読書って時間を食う趣味だよなって思うけど。
だからこそ、やっぱりあんな出来の作品で、読み手の時間を削るのは良くないことだ。
いつの間にか、「間に合わせる」ことが至上命題になっていて、良い作品を作るという本来の目標がまるっきりおろそかになっていた。
手段が目的になる、なんて小説とかでは良く出てくるけど、本当にそういうことあるんだなとか、いらぬ感心をしている。
まぁいい、しばらく休養を取ろう。ただしダラダラしない。
今回の作品を書いてみて、自分の引き出しがとんでもなく少ない事に気がついた。
そりゃそうだ。京極みたいなとんでもない読書家ですら、十年も書いたら引き出しとかネタとかは縮小気味と見受けられる。
まして今回の自分の醜態はひどい。
今まで、京極みたいなペダンティックな、いろんな分野の知識を幅広く引き込んだ潤沢な小説世界というのに憧れていた。
まあもちろん、そこには「俺は物知りだぜ」って自慢したいという、つまらない見栄も含まれてるけれど。それを差し引いても、自分は学問とかそういうのの、思わぬ発見があったり目からウロコが落ちたり、知らなかった世界を見せられたりっていうのが好きで。そういう感覚を読者にも感じさせるような、そんな小説を書けないかなとは何となく夢想していた。
けど、なかなかそんな風にはいかないわけで。
自分の浅学を差し置いても、小説に専門知識を引き込みつつ、読み物として面白い物を書くというのは難しいこと。
今まで、そこを効果的に料理できるような、そんなフォーマットを見出せないでいた。
作品の執筆に活かせないのだからと、専門知識そのものの蓄積も半端にしかやらなかった。
けど今回は違う。同人シューティング東方の「スペルカードシステム」を援用した今回の小説のフォーマットは(まぁ細部にまだ改善の余地が有るにせよ)そうしたペダンティシズムを取り込んで、しかも冗長にならない――そんな風にできる可能性を持っていたと思う。
ZUN氏は凄い。自分であれを小説の場で真似てみて、上手いシステムだなと感心したりした。
けどそうしたら、今度は今まで半端にしていた自分の知識の浅さが、モロに表に出てしまったのである。過去読んだ本とかも、全然身になってない。そもそも体系的に読む、調べるという事をしないから、結局あちこちからそれっぽい専門用語を引っ張ってきただけという、お寒いものになってしまっている。
だから思うわけだ。勉強しよう――と。
とにかく暫くはインプット期間だ。器の用意が整ってきた以上、中身を貧相なままにしておくわけにはいかないので。
さて――どうしたものかな。