ツンデレについて思うことなど


 昨日の日誌にも書いたけれど、今回気がついたらいわゆる「ツンデレ」にカテゴライズされるだろうキャラを書いていたわけで。
 その時に、「ああ、ツンデレってのが受容されたのはこういうメカニズムなのかなぁ」というのを実感したりしたので、備忘録的に書いておく。


 今回の話はヒロイン5人、そのすべてが主人公に何かしらの好意を寄せているという、まあいわゆる「ハーレムもの」的構図をとっている。
 その中で、ツンデレさんは主人公相手にデレる……甘えて見せるわけだ。
 私自身、ヒロインがそうして甘えるというのを初めて書いたわけだけれど、そうするとそのシーンを書き終えた後、疑念が湧いてくるわけで。すなわち――ここで甘えて見せたのは、打算なんじゃないか、という。


 なにせ、男一人を女五人が取り合っているに等しい状況だ。そうした計算をするキャラがいてもおかしくない。
 主人公が去った後、そのヒロインが舌をチロリと出して笑ってみせる――というような想像は容易にできるなぁと思った。
 そうした感覚も初めてのことだったので戸惑いながら書き進めていると――そのヒロインが再び日常場面で、主人公にツンするシーンを書いたところで疑念がすぅっと消えていったわけだ。
 ああ、なるほどと。


 つまり、好きな相手なのに照れ隠し的にキツく当たってしまう、という不器用さによって、「そんな不器用な子が打算で甘えてみせるはずはない」的な安心感を読み手に与える。そういう効果が篭められてるのかもな、というのを感じたので。


 無論これは――観測としては甘い。その「照れ」「ツン」さえ演技である可能性は当然あるからだ(実際、どこぞの女性誌で「今はツンデレとかいうのが流行ってるから、好きな相手にも適度にツンツンしておきなさい」的な特集が組まれたりしたという話だし)。
 とはいえ、ただベタベタに甘えるよりは、安心できる。


 安心って何かといえば、「彼女の一番純真な、本当の気持ちを向けられてるのは自分」という部分を確保したいワケで。まあこの辺のオタク的心情は、ササキバラゴウ氏あたりが詳しく書いてるわけだれども。
 彼女にとって自分がスペシャルな存在だという保証によって、俺は世界にオンリーワンな存在だと思い込める。まあ身も蓋もない言い方をすれば、そういう事、らしい。

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

 そこまで察していて、それでもオタクの慰めのためツンデレキャラをお前は書くのか、というのは――まあ難しい問題。その書き手のスタンスによって違ってくるだろう。