ボトルネック
- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/08/30
- メディア: 単行本
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以下、ネタバレ注意
ああ、小説で人を殺すこともできるんだなぁ、というのが読後の最初の感想。
実際、読み終えてから三分くらいの間、本当に自殺しかねないくらいの精神状態でした。
私がこの作品を読み終えたのは実家の、祖父がテレビを見ているその脇だったのですぐに落ち着きましたけど。これ、たまたま駅のホームとかで読み終えてたら本当に危なかったんじゃないか、って思います。
比喩とか誇張ではないです。
読者をそこまで感じ入らせるという意味では、間違いなくこの作品は傑作なのだろうと思うのですよ。
京極夏彦氏もいつか言っていたように、小説家の仕事は「何かを考えざるをえないところまで読み手を追い詰めること」であるわけで。この作品はそれを十全に果たしています。
また、これだけの作品を書き上げた作者に、ただ通り一遍で「送り手は、受け手が希望を持てるものを書かなきゃ駄目だ」などとコメントするのも、非常に失礼なのでしょう。そんな決まりはどこにもないし、むしろこんな表明から生まれる作品には、予定調和しかないのだろうし。
これも私の小説上の恩師の言葉ですが、「小説とは、自分の中の最も純粋な部分と最も邪悪な部分が両方参加しなければ高みに上がれないものだ」というのも、私はその通りだと思うし。
けれど、それでも。
ここまで露骨な「死んでしまえ」というメッセージを、送り手が受け手に発信するってどういう事なんだろう、とは思うのです。
というか、小説って、作品って何だろう? とか。
作品が人畜無害でなければいけないなんて決まりはないけど、それでもこういう作品を、送り出すっていうのはどういう事なのか。
少なくとも私は、「この作品が好き」だとは口が裂けても言えません。そういう気がしています。
けれど、「ではどうあるべきなのか」はちっとも見えてこない。せめて読み手が作品世界から戻ってこれるための最低限の仕掛けはするべきなのか。けど、本当にそんな事が必要か? それによって作品の切れ味は間違いなく落ちてしまうのに?
自分はこの作品の何に引っかかっているのか。これを書いている今もまだ明確につかめていないのですが。
どうなのでしょう。