リーンの翼 第五話
――富野由悠季といえば、虐殺、ジェノサイドを描くアニメ監督であり。
彼の歴代ほぼ全ての作品に、そういった大量殺戮シーンがあり、そういった行為への意識が向けられていたわけで。
その富野監督が、東京大空襲とか、原爆とか、沖縄戦のような現実の大量殺戮に言及したのを今回見せられたわけなのですけれども。
何だろうな、この違和感は。
私は小学校の修学旅行が長崎だったのです。だから原爆関連の資料館にも行ったし、そうでなくても学校や、テレビなどで夏には原爆や沖縄戦に関したドキュメンタリーみたいなのを見てきた。
だからかどうか知りませんが、たとえ富野監督の手になった映像であろうと、原爆や東京大空襲を扱った瞬間に、そういう臭いがしてしまうのですよ。
子どもを送り出した母親がふと空を見上げると、原爆を投下した直後のB29が見えるとかね。それは今、アニメをリアルタイムで見る我々の世代に訴えかけるものという枠からはずれてしまって、やっぱり何か、「戦争体験者の語り」に還元されちゃう感じがするんです。そういう臭いしかしなくなってしまう。
富野監督の、ジェノサイドへの視線に私が共振したり、のめりこめたりしたのは、フィクションの大量殺戮であるコロニー落としやコロニーレーザーや「機械による無作為の粛清」という形であったからで。いわば、「戦争体験者の語り」っていう呪縛から逃れたところで大量殺戮を語れていたからこそ、かえって自分の身に引きつけて、感じることができていたのに。
もちろん、富野監督がこれをやりたかった気持ちは分かるんだけれど。
それでも私は、この展開には納得できなかったっていうか。なんか違和感を抑え切れなかったのですが。
……もっとも、私よりもっと若い世代の、「へ? 日本ってアメリカと戦争したことあるの?」とか、「60年前の戦争って、応仁の乱ですか?」みたいな連中にとっては、かえってああいう映像が新味として感じられたりするのかも知れませんけどね。
まぁでも、それにしたって描き方が半端な気はするのであった。微妙。
新旧聖戦士ご一行様が現代の東京に来てからの展開は、素直に良かったと思います。
さて、では最後の一話を。