搾取関係の話へレス2


 前回の記事についてさらにボイさんよりコメントがありましたので、それに関するレス。


ただ、その指摘は分かったのですが・・・・・「じゃあどうすれば良いんだ?」という疑問が残りました。


 友人本人から、ボイさんのこの書き込みへのレス内容を言付かっていますので、その要旨をお伝えしますと。


 まず念のための確認として。
 友人の私への指摘は、「税金は搾取ではない、という私の発言が論理的に誤りである事の指摘」であって、「搾取は是か非か」という事を論じるための話ではないですよ、という部分は押さえておいて頂きたい、という事。
 従って、彼は決して「税金に依存しない社会施策を構想すべきである」、と考えているワケではないですよ、との事です。


 そして、今回「搾取」という言葉で話をしてますが、近代国家におけるこうした状態を指す言葉としては本当は、「収奪」という言葉を使った方が正確だ、という事。
 ……正確というか、まあ誤解が少ないという事ですね。
 以下、その友人の論から引用。


浅田彰なんかが良く言っていることだけれど、人間が行う「交換」の形態には大きく三種類あると言われているわけです。


ひとつは、贈与と返礼。
ひとつは、収奪と再分配。
ひとつは、売りと買い。


 「収奪」と「再分配」がセットであることに、一応留意。取りっぱなしだと収奪される側が干からびて死んじゃうので、そうならない程度に収奪した中から分配しなおすわけです。


 まあ、これは私(zsphere)が思うに、税金に関する議論というのは、この「再分配」をいかに適正に行うかっていう議論なんでしょうかね、とか。
 この再分配の部分をもっときちんとしやがれ、という部分では、我々も多少主体的に関わる事のできる余地を持っているわけです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E6%B0%91%E7%9B%A3%E6%9F%BB%E8%AB%8B%E6%B1%82

 こんなのとか。


 とはいえ、結局収奪する側が、収奪される側の上前をはねている事は確かです。
 ではそうした収奪(≒搾取)をなくす事はできるか、という話ですが。
 私の友人に曰く、どうしてもそういう方向で考えると、アナーキズム無政府主義)に近い方向に行ってしまうとの事。

で、だとすれば浅羽通明の『アナーキズム』でも通読した方が、その辺の思想領域を概括してるので分かりやすいとは思うのだけれども…。


 との事でした。
 一応、「こんな風に考えている人もいるよ」という事例も二つ三つ思い浮かばないわけでもない、という事で二つほど事例を聞かせてもらいましたけれども、長くなるのでもしご希望ならメールいただければ、続きはそちらにて。


 そんな感じで、友人からのレスが概ねこんな感じでした。
 ご納得いただけましたでせうか?